違うということと、同じということ(『文藝』2019年秋季号「韓国・フェミニズム・日本」特集に寄せて)
『文藝』2019秋季号(河出書房新社)の「韓国・フェミニズム・日本」特集に寄稿した拙エッセイ「違うということと、同じということ」を、改めて公開する。掲載から2年半、変わったことも変わっていないこともあるが、今なお思うところがあり、許可を得て転載する。ちなみに同号は大反響を呼んで創刊以来86年ぶりの3刷となり、その後、再編集された「完全版」も発行された。
昨秋(2018年)、勤務先とゆかりの深い地域映画祭で韓国映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』(2017年、チャン・フン監督)の上映があり、トークイベントに登壇することになった。質疑応答で年配の男性が、「安倍政権下でこんな映画は作れない」とか、「日本の若者はダメだ」的な感想を述べたので、ちょっとイラッとして、日本には日本の問題があり日本のたたかい方があるのではないか、それはもしかすると権力側が巧妙だからより巧妙にたたかっていかなきゃいけなくてそれはそれで難しいことかもしれないし、それが映画である必要があるのかどうかはわからない、韓国はすごいかもしれないけど大きな犠牲を払いながら歴史を作ってきたし報道や映画における自由も手に入れてきた、などと話したうえで、ここにいる日本の若者はどう思いますか?と少し挑発してしまった。
『82年生まれ、キム・ジヨン』がなぜ日本で売れたのかという記事にコメントする機会もあった。私のコメントは、「あまりに『近い』話だと苦しいが、近くて遠い韓国の話だから少し安心して読める。日本の、でも、韓国の、でもない等身大の女性の話として読める。そこがうけているのではないか」と、まとめられていた。記者はさらに地の文で、「日韓の『そこそこの距離感』が『静かな共感』を後押ししているとみる。抑制のきいた筆致で、時代性や国の違いが強調されず、日本の読者も共通点の方に目を向けやすい」と書いた(朝日新聞2019年4月16日付)。まあ実際はもう少し意地悪なことも言ったように思う。
前者は、違うことへのファンタジーと同じことによる焦燥であり、後者は、違うことによる安心感と同じことへの共感と言っていいかもしれない。両者はそれぞれ表裏の関係で、結局は同じことだったりもする。「同じ」と言うためには「違う」が必要だし、「違う」と言うためには「同じ」が必要で、それを可能にさせるのが、集団のカテゴリーを成り立たせる線引きだ。集団のカテゴリーとしての属性がある以上、人はそれに左右されるし、だからこそそれは軽視できない(でも一方で、必ずそこからこぼれおちるものがあるし、そのような線引きの境界線上でつねに所属や立ち位置を問われる存在がいる。だからこそそのような存在は、所属や立ち位置を求めつつその問題からの自由を目指す)。
後者の、「キム・ジヨン」にまつわる共感は、フェミニズムの問題として語られる(もちろん、それは作者が意図したことだろうし、正しい)。フェミニズムは、先に述べたような集団のカテゴリーとしての「女性」たちの運動から始まり、その属性を掲げた「イズム」だ。私はベル・フックスのシンプルな「性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす運動」という定義が好きだが、とはいえ字面は「属性+イズム」である。それは女性という属性をもってたとえば日韓の女性をつなぐものだけど、同じ女性というつながり方は、それぞれの異なる文脈だったり、境界線上の存在を見落としがちにもさせる。
つながりをもたらすカテゴリーも、またたたかいのための武器となりうるイズムも、ひとりひとりの人間の尊厳や人権、幸福より重要ではない。そこに貢献してこそ意味がある(よいナショナリズムと悪いナショナリズムがあるなら、よいフェミニズムと悪いフェミニズムもあるはずだろう。もしくは、たとえばフェミニズムの「名誉」のためにフェミニズムという名を捨てる選択もありうるのではないかと、その賛同者でありつつ部外者でもある私はこの間の、トランス女性への差別をめぐる議論を眺めながら考えていた)。
このようなものとしてのイズムについて、日本社会はナイーブなのではないか、と思うことがある。それはもしかすると、イズムの恐ろしさから逃れることができた脱・近代=ポストモダンな社会ということで、表面的にでも平和だからなのだとしたらそれは悪いことではないかもしれないが、とはいえ、個々人の尊厳や人権に対する意識が確立されているとは言い難い。一方で、今なお未完の近代=モダンを追い求めている韓国社会において、イズムの恐ろしさはいまだリアルで生々しい。そのようなイズムの恐ろしさを知りつつ、だからこそイズムを使いこなそうとしているようにも見える。だがそれは、激しい対立や分断をも生んでおり、その背景には、鋭いイデオロギー対立の歴史がある。たとえば韓国で性的マイノリティが「アカ」と攻撃されたりするのだ。日本の読者にこの文脈がわかるだろうか。だがそのような文脈が存在する経緯には、日本という存在も深い影を落としている。
ここで私の話になるが、先日、所用で麻布十番に行った。地下鉄の改札を出たところでギュッと胸が苦しくなり、ああそういえばと思い出した。昨年(2018年)、現在の政権になって許可が下りるようになったことで数十年ぶりに韓国を訪れたのだが、麻布十番にはその許可申請のために何度か足を運んだ駐日韓国大使館東京領事部がある。一連のプロセスは、かなり心が削られる体験だった(それは再入国許可を申請しに行った東京入管も同様だったが)。実はその訪韓の出発前夜、突然の呼吸困難と胸の苦しさに襲われ、救急搬送された。検査をしても原因はまったくわからなかった。その後何もないので、おそらく心因性のものだろう(今思えばよく旅行を決行したものだ)。国家権力は、こういうレベルで人間の身体を蝕む。そして私に起きたこの一連の出来事(申請やら許可やらのイレギュラーさ、わずらわしさ)の背景には、南北のイデオロギー対立と東西冷戦、朝鮮に対する日本の植民地支配がある。このような背景、歴史的経緯についての文脈は、日韓のフェミニズム的な共感のなかで、とくに忘れられがちな部分だろう。
昨年(2018年)、日韓のアーティストが共演するライブを見に行った。そこで日本の男性アーティストが、朝鮮民謡の「アリラン」を日韓両国語で歌った。前に韓国で歌って怒られるかと思ったら現地の高齢者が泣いていたというエピソードも披露しながら。私はそれをよきこととして受け止めていたのだが、その場にいた親しい韓国の若い女性たちからは強い違和感が表明された(とくに今は、「文化の盗用」という概念もある)。とはいえその日本のアーティストはMCで、韓国映画やその共演した韓国のアーティストの歌詞に感じるのは、自国や自国の人間に向けてもアイロニーを向けるところで、それは壮絶な歴史があるからだろう、とも語っていた。そこには文脈理解への意思と、リスペクトがあったように思う。私たちは、今はまだ存在しない一緒に歌える歌を探しているのかもしれない。
そのような歌は見つかるのだろうか。再び私の話になるが、女性であることと、在日であること、私にとってそれらの要素は互いにリフレクトしつつつまりは相対化しあい、ときに相殺しあうものにもなっている。違うということと同じということを、引き受けつつ、そこから逃れる。イデオロギーやイズムに殺されない、自由のために。
斎藤真理子責任編集『完全版 韓国・フェミニズム・日本』(2019年、河出書房新社)より転載。初出は『文藝』2019年秋季号。