井上ひさしの青春時代と“古巣”NHKへの痛烈批判
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
そんな座右の銘で小説や演劇の世界で数々の名作を生み出した井上ひさし。
しかし彼は『ひょっこりひょうたん島』の脚本を担当した通り、そのキャリアの前半、主戦場はテレビやラジオだった。
その頃のことを綴ったエッセイが『ブラウン監獄の四季』だ。
1977年に単行本として発売され、79年に文庫化されたが、長らく絶版となっていた。
それがこの度、8月に河出文庫から復刊された。
彼がテレビの世界で活躍し始めたのは、いわゆるテレビ草創期。今年、同じくテレビ草創期を描いた黒柳徹子原作の『トットてれび』(NHK総合)が大きな話題を呼んだが、まさに本書は、井上ひさし版『トットてれび』ともいうべき、彼の青春記である。
ちなみに念の為に補足するとタイトルの『ブラウン監獄』というのはアナログテレビを「ブラウン管」と呼ぶことから名付けられたものである。
新人時代の意外なライバル
彼がテレビやラジオに関わるようになるきっかけは「金」のためだった。
出版社の倉庫番の仕事をしていたが金が足りない。そこで思いついたのが、当時テレビやラジオで募集していた各種脚本の懸賞に応募することだった。
当時はほとんどの局が開局して数年しか経っておらず、一般から脚本を募集していたのだ。井上は、図書館で全国の新聞を一通り読み、全国各地の放送局の脚本募集要項を書き写し片っ端から応募していったという。
この頃、井上ひさしには“ライバル”がいた。半年程度、この応募を続けているうちに、入選者の名前にやたらと同じ名前を目にしたのだ。たいてい入選、悪くても佳作。強敵だった。
その「彼」こそが、大阪府立大学在学中の藤本義一である。
井上ひさしの「相棒」
井上ひさしのテレビ作家として最高傑作といえば『ひょっこりひょうたん島』(NHK総合)だろう。
この作品は、児童文学出身の山元譲久との共作である。
井上は「『テレビ』というコトバを聞いたり発したりするたびに、ぼくはなぜかこの山元さんの顔を思い泛べる」と書いている通り、テレビ作家のキャリアのうち、10年という長きにわたってコンビを組んできたのだ。
その共作スタイルは極めて特殊なものだった。
通常、共作といえば、数話ごとにそれぞれが担当回を交代しながら執筆する普通だろう。だが、2人の共作スタイルは違っていた。
ディレクターの武井博はこう証言している。
しかも、ディレクターから修正の指示があったとしても、「それは山元さん(あるいは井上さん)が書いたところですから、彼に言ってください」などとは決して言わなかった。
そのために互いの筆跡を真似て、どちらが書いたのか分からなくしたというのだから徹底している。
井上と山元は「すくなくとも相棒に対しては『フェア』であった」のだ。
それにより彼らは、どちらかが番組を降ろされるのを防いでいた。つまり、「自分を守るために、まずもうひとりの仲間を守っていた」ということだ。
ちなみに彼らは当時の双子アイドル「ザ・ピーナッツ」を模して、「ザ・ドーナッツ」と名乗っていたという。
まさに双子のように一心同体だったのだ。
NHKばかりで書いた理由
井上ひさしが当時よく言われていた悪口がある。
「井上某は見下げ果てた権力主義者だ。その証拠にNHKばかりやっている」
実際、彼は『九ちゃん!』など数少ない例外を除いて、NHKを主戦場にしていた。
その理由を彼は身も蓋もなく綴っている。
そんな井上ひさし、遂には一時期、NHKに“下宿”までしてしまっていたという。それも勝手に。
元の下宿先を半ば強制的に追い出されてしまった井上が困った末、「NHKに住み込むわけには行かないだろうか」と思いついたのだ。
そんな考えで勝手に住み込み始めると、当初思い描いていた「仕事に便利」どころの利点ではすまなかった。職員食堂は安価だし、お風呂もある。もちろんラジオもテレビもある。図書館やNHKホールなどもある。しかも、いつもNHKにいるから「筆は遅いが熱心だ」とか「打ち合わせの時間に遅れない」「タクシー券をくれなど言わない」等々、スタッフから良い評判まで立ってしまうのだ。
だが、その後、NHK(というより放送界)は、「先管理、後番組」が当たり前になっていく。
そうした中、井上ひさしは次第に活動の場をテレビ界から演劇や文学の世界へと移していったのだ。
井上ひさしのNHK批判
本書の前半はこうしたテレビ界ですごした青春期を描いたものだが、終盤は、テレビから離れた後のテレビ界へ思うことなどが綴られていく。
特に「巷談俗説による日本放送協会論」と題した日本放送協会、つまりNHKに対する批評が3回にわたって綴られている。
前述のとおり、NHKはいわば井上ひさしにとって“古巣”といっても過言ではない場所。
それに対し、辛辣とも言える批判を浴びせている。
特にその標的になっているのは「報道」についてだ。
まずこの頃よくNHKが好んで使っていた「国民のNHK」というフレーズを槍玉にあげている。
時は「ロッキード事件」が発覚し世論が大きく揺れていた頃。しかし、NHKは当時、この事件に対する報道は決して積極的とは言えなかった。
そして「公正・中立」の名のもと、政権批判などは決してしなかったと井上はいう。
これが書かれたのは、約40年も前のことである。
井上は彼にとっての「昔」を振り返った本書で「『昔は良かった』のではない」と書いている。「昔は“正しかった”」のだと。