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昭和39年東京オリンピックは晴れやすい日を選んで決めたが、雨の日が多い大会

饒村曜気象予報士
国立代々木競技場(ペイレスイメージズ/アフロ)

オリンピックの日程

 日本初のオリンピックが東京で昭和39年(1964年)の開催となったとき、日程をどうするかが大きな問題となりました。

 2年以上前の準備を始める頃から、特定の日の天気を予想をすることは無理で、過去の統計から秋の長雨が終わって晴れやすい時期で、屋外競技を行うのに寒くない時期ということから10月10日が選ばれました。

 ただ、東京の10月10日の頃は、秋の長雨が終わる頃といっても、まだまだ雨天の可能性が残っています。11月であれば、晴れやすい確率は10月より高くなりますが、気温は10月より低くなります。

 「わずかに晴天の可能性が高い」ということで選ばれた、東京オリンピック開会式の昭和39年(1964年)10月10日は、「オリンピック晴れ」と言われた晴天のもと、盛大に開会式が行われました。

 前日に関東の南海上を通った低気圧の影響で雨が降っていたのですが、10月10日9時には朝鮮半島に中心がある大きな移動性高気圧に覆われたことによる「オリンピック晴れ」です。一日ずれていれば雨の開会式でした。

東京の日降水量(昭和39年(1964年))

10月5日の降水量  なし

10月6日の降水量  0.0mm

10月7日の降水量  1.0mm

10月8日の降水量 38.0mm

10月9日の降水量 17.0mm

体育の日は晴天とは限らない

 東京オリンピックの開会式が行われた10月10日が、「体育の日」として祝日になったのは昭和41年(1966年)からです。

 東京オリンピックの日程は晴れやすい日を選んで決めたといっても、わずかに可能性が高いというだけですので、いつも「東京で晴天」とは限りません。

 まして、「体育の日」はハツピーマンディ法により、平成12年(2000年)からは、10月の第2月曜日となっていますので、ますます「体育の日」は、東京で晴れやすい日、屋外活動に適した日とは限らなくなっています。

 東京以外の地方では、もっと晴天との関係が薄れています。

雨の日が意外に多かった東京オリンピック

 昭和39年(1964年)の東京オリンピックは、開会式が青空の下で盛大に行われていることから、東京オリンピックというと、晴れの大会というイメージがあります。

 しかし、実は、雨が多かった大会です。

 10月24日までの15日間の大会期間中に、東京で0.5ミリ以上の日降水量があった日は、約半分の7日もありました(図)。

 なお、図中で「0.0」は、降水現象があったものの降水量が「0.5ミリ」に満たなかった場合、「ー」は降水現象が全くなかった場合です。なお、10月10日の「×」は、この日には雨量計が作動していない時間帯があったことを示していますが、実質的には「ー」と思われます。

 ただ、人気種目についていえば、マラソンなどの屋外競技の日は雨が降っていません。また、女子バレーボールの決勝戦(対ソビエト連邦)などは雨でしたが、室内競技であり、雨の影響は全くありませんでした。このことが、東京オリンピックを晴れの大会との印象付けをしています。

図 昭和39年東京オリンピック時の気象(東京、気象庁HP等をもとに作成)
図 昭和39年東京オリンピック時の気象(東京、気象庁HP等をもとに作成)

東京オリンピックに水をさす中国の核実験

 日本中がオリンピック開催にわきたっていた昭和39年(1964年)10月16 日、中国はタクラマカン砂漠で核実験を行っています。アジアでは初めて、世界で5番目の実験でした。

 中国は、台湾にある中華民国が国としてオリンピックに参加することは認めないとして、オリンピック大会のボイコットを続けていました。昭和39年のオリンピック東京大会もボイコットでした。

 そして、オリンピックという世界中が注目しているタイミングで、存在をアピールするかのように核実験をしたのです。

 核実験によって生じた放射能を含んだチリが偏西風に乗って日本にやってくるのではないかという懸念があったため、気象庁では全国各地で雨粒や雨が上がった後の大気に含まれる放射能を測定しています。

 そして、17 日夜半から18日にかけ、深い気圧の谷が通過してほぼ全国的に20ミリ程度のまとまった雨がふったとき、微量ですが、雨の中に放射能を出す物質が含まれていました。

 放射能対策本部(本部長は愛知揆一科学技術庁長官)は、19 日夕方、「中国の核実験によって日本に降った放射能チリは、1平方メートル当たり12万キューリで平常の100倍に達したが、特に人体への影響はない」と発表しました。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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