35人学級で教育は変わるか?(1) 40年ぶりの大改正、期待と課題
小学校で1クラス35人以下にする改正義務教育標準法が、3月31日の参議院本会議で全会一致で可決、成立しました。約40年ぶりの大改正です。たとえば、いま36人いる学級は、今後は18人、18人の2クラスになります。けっこう大きなちがいだと思われるのではないでしょうか。
35人以下学級(以降35人学級と呼ぶ)になると、どんないいことがあるのか、また、課題はなんなのか、解説します。
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■5年かけて小学校の全クラスで35人以下に。中学校や高校は対象外。
まず、今回の改正の対象は、小学校であり、中学校や高校のクラスサイズ(学級規模)については今後の課題として残されました。加えて、今年度は小2、次年度は小3というように、5年かけて徐々に変えていきます(小1は既に35人以下学級)。
しかも、現在、小学校で36人以上のクラスが多いのは、次の図のとおり、おもには都市部です(東京、埼玉、神奈川、愛知、宮城など)。地方では大分、宮崎など。このため、今回の法改正の恩恵を受けるのは、一部の地域、小学校である、という点は留意してください。
■「きめ細かな指導が可能になる」と言われるが・・・、ICT活用と両輪
35人学級となると、どんないいことがあるでしょうか。学校の先生や教育委員会からよく聞くのは、「より一人ひとりの子どもに応じた、きめ細かな指導が可能となる」という言葉です。
ですが、これがどういう意味なのか、わかったようで、わかりにくい言葉です。論者によってイメージしているものも微妙にちがっている感じもします。
去年と今年、全国の小中学校では、児童生徒一人一台のICT端末(タブレットやノートPC)の整備と活用が進んでいます(「GIGAスクール構想」)。これと35人学級の推進は、セットで考えたほうがよいと、わたしは思います。
次の図は、文科省作成資料で、ICT活用と少人数学級は両輪である、というイメージで描かれています。
しかし、まだちょっとわかりにくいですよね?
わたしがイメージしやすいかなと思うのは、音楽の授業です。従来であれば、同じ曲を40人の児童生徒がみんな鍵盤ハーモニカ(あるいはリコーダー)などで練習します。これは、昭和の頃から令和の今日まで、あまり変わらない風景のひとつでしょう。
ところが、パソコンやタブレットがあると、児童一人ひとりちがった曲を練習したり(ソフトが正しい音や演奏方法を個別に指導してくれたり)、ちがった種類の楽器の音で演奏したりできます。作曲を始める子やほかの子たちの演奏の様子を編集する子が出てきてもいいですね。これを最近、文科省や経産省がよく使う「個別最適な学び」と呼ぶのがいいかどうかはわかりませんが、個々の子どもたちの個性や好奇心を伸ばす学び、と言えると思います。
※4/3 追記
上記はICTの活用により学びの幅が広がる可能性があるという例示でしたが、音楽教育に詳しい方から、以下の内容をご教示いただきましたので、補足、訂正いたします。
●音楽の授業では、児童生徒に身につけてほしい資質・能力をつけるために作品等があるので、同じ作品を聴いたり、演奏したりすることが「個性」を否定するものではありません。
●これまでの音楽教育でも作曲などの創作活動は実施されています。
●一人ひとりが、好きな曲を演奏していることが「個性」を伸ばすと捉えるよりは、正しく音楽作品を紐解くための素地を習得したうえでの表現に「個性」が生まれる、と理解をしたほうがよいかもしれません。
次に、英語の授業をイメージしてみましょう。「I like ~」などの文章を使って、好きなことや嫌いなことについて、情報交換してみましょう、という授業だとします。
ある子は教科書や副読本などで文字を読みながら勉強してから、近くの子と会話します。別の子は自分の端末からWeb会議で海外の児童とつないで、会話しながら勉強するのが好きです。また別の子は英語の歌をもとに学んだほうが理解がスムーズなようです。
このように、従来は、先生の講義を中心とする一斉授業では、理解しにくかった子もいましたし、知識や関心が広がりきらなかった部分もありましたが、ICTの活用により、学びの選択肢が広がる可能性があります。先ほどの例まで個々にバラバラな学びにはならないかもしれませんが。
さて、以上はICT活用についてですが、これとクラスサイズはどう関係するでしょうか。
さまざまな授業があるので、一概にこうだとは言いにくいですが、個々の子どもたちの関心や好奇心を伸ばす教育にもっとウェイトを置いていくのであれば、1クラスに40人もギュウギュウでは、1人の先生がコメントやアドバイスをするのにも限界があるし、発表等をするにも時間が足らないよね、だから学級規模を小さくしたほうがよいね、という理屈だと思います。
大学などのゼミでも40人もいたら、かなりしんどいですよね?しかも、大学なら、ある程度の学力以上の学生さんが来ることを想定できるかもしれませんけど、公立小学校は、さまざまな学力の子がいますし、障害や個性もより多様です。日本語が十分にしゃべれない子もたくさんいます。
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■クラスサイズ縮小の効果検証は、テストの点数だけに矮小化してはいけない。
なぜ、こういう具体例付きで説明をしたかと言うと、35人学級の効果をどう見るかが今後の大きな課題のひとつだからです。
35人学級の導入には大きな予算がかかります。有識者や学校の先生のなかには、今回の35人以下は一里塚に過ぎず、本来は30人以下、25人以下などにしていくべきだ、と主張する方もたくさんいます。中学校や高校のクラスサイズも減らしていくべきだという主張も多いです。そうなると、もっと予算はかかってきます。いったい、いつまで、どのくらいの税金を使え、と言うのでしょうか?「よりきめ細かな指導」などと言っていてはキリがない。
小学校でのクラスサイズの縮小がこれまで40年近くずっと放置されてきたのは、その効果を文科省も、教育委員会も、研究者等も、説得力あるかたちで十分に示すことができなかったからです。「きめ細かな指導」なんて、曖昧な言葉では、少子高齢化して医療や福祉にお金がどんどんかかっている日本で、予算獲得できるとは思えません。
財務省等からは、今回も強く言われましたが、35人学級にして「教育上の効果はいかほどなのか?」、「税金を使うことに見合った効果は大きいと言えるのか?」という疑問、批判が常に寄せられます。学力テストの点数など、限られた数値だけでは、クラスサイズを減らして効果があったという研究も出れば、たいして大きな効果はなかったという研究も出ています。
しかも、ICT活用は、議論の使い方によっては「諸刃」です。クラスサイズを縮小しなくても、ICTの力をかりることで、一人ひとりを細かくモニタリングしたり、支援したりしやすくなるよね、というロジックにも使えるからです。
たとえば、少人数学級になれば、もっとノート点検などを丁寧にできるし、コメントも一人ひとりに返せる、とおっしゃる学校の先生や一部の有識者がいます。
ですが、それは、ICTを活用するという、少人数学級よりもはるかに小さな予算コストで、かなり進みやすくなる部分もあります。たとえば、基礎基本の計算・漢字などのドリルや英語の発音チェックなどは、機械、AIのほうが瞬時にその子のミス、弱点などを指摘し、動画などで丁寧に解説してくれるわけですから、生身の先生が30人以上の子を相手にするよりも優れているかもしれません。
■ひとつだけの正解を求める「正解主義」から脱却できるか?
わたしは、小学校教育、ならびに中学校以降でも、AI等では教えてくれないこと、ネット検索しても答えが簡単には見つからないについての学びがどれくらいできるかが、大事だと思います。クラスサイズの縮小も、ICT端末の整備も、そういう観点で、効果がいかほどだったかを示していくことが、今後は重要だと思います。数値化できないことも多いので、難題ですが。
昨今、テレビではクイズ番組が多いですが、ネット検索して出てくる知識等の習得に、学校教育で多大な時間を使うのは、やめるべきです(もちろん、エンターテインメントとしては、まったく構いませんけど)。
たとえば、「織田信長は楽市楽座を実施した。〇か×か?」はネット検索やAI学習などで大丈夫でしょうが、「信長はなぜ楽市楽座を実施したのか?」とか「あなたが仮に戦国時代にタイムスリップしたとして、ある大名から政策を進言せよと言われました。何を提案しますか?」は、いろいろな答えや考え方があっていいですよね。
今般の35人学級化は、「より丁寧に見られるようになる」といった、ふわふわした発想だけで捉えるべきではなく、上記のような学びを変革していくためのひとつの環境整備なり投資という側面から理解したほうがよいと思います。
また、今後、都市部を中心に教員需要が高まりますが、人材はいるのか、質は低下しないのかなども心配されているところです。これと、先生たちの労働環境はよくなるのか、も関係します。これらの論点については、別の機会に扱いたいと思います。
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