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阪神・横田慎太郎選手が教えてくれた、あきらめない心と神様の存在

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
9月26日、自身の“引退試合”が終わり笑顔でベンチへ向かう横田慎太郎選手。

 最後の最後で6連勝してリーグ3位の座を勝ち取った阪神タイガース。これは奇跡と言われました。2年ぶりに進出したクライマックスシリーズ・ファーストステージでは10月5日の第1戦で、これまた奇跡の逆転勝利!2戦目はサヨナラで敗れたものの2度も同点に追いつく粘りを見せ、きのう7日に雨中の決戦を制した阪神が2014年以来、5年ぶり2度目のファイナルステージへと駒を進めています。

 6連勝中の9月22日に、横田慎太郎選手(24)が今季限りでの引退を発表しました。4日後の同26日に鳴尾浜で行われたウエスタン・ソフトバンク戦が引退試合となり、ここで横田選手の見せたバックホームがまさに奇跡!阪神のファームだけでなく1軍メンバーも、さらに対戦したソフトバンクの選手も「神様はいる」という言葉を口にしたほどです。あの横田選手の姿を見て、心が動かなかった人はいないでしょう。選手たちは“オレもやらなきゃ!”と思ったはず。

 CSファーストステージの第1戦で5打点と大暴れした北條選手、快走で第3戦の勝利を呼び込んだ植田選手。2人は横田選手の1つ先輩と1つ後輩です。そして横田選手がルーキーだった2014年以来のCSファイナル進出で、相手は同じ巨人。まだ何かが起きそうな気がするのは私だけですかね。このまま勝ち続けて、最高の奇跡を横田選手にも見せてあげてほしい。そう願います。

3年ぶりの出場で記した「補殺1」

8回表が始まる時、ベンチで伊藤隼選手(右)が声をかけました。
8回表が始まる時、ベンチで伊藤隼選手(右)が声をかけました。

 9月26日、鳴尾浜でのソフトバンク戦。脳腫瘍と診断される前の2016年以来、3年ぶりとなった横田選手の実戦出場は8回の守備からでした。9回に出る予定を早め、1点リードの8回表2死二塁で登場させる“演出”をしたのは平田監督。ベンチ横で伊藤隼選手とキャッチボールをしていた横田選手が、センターの守備位置まで全速力で駆けていく背中に浴びた大きな拍手と声援は今も耳に残っています。その時に気づきました。横田選手の背番号124を試合で見るのは、あれが初めてだったんですよね。

 交代してすぐ頭上を超えるタイムリー二塁打があり同点に。なおも2死二塁の場面で、続く塚田選手の打球もセンター前へ、横田選手が一番見づらいと言っていたゴロで飛んでいったのですが、がっちり捕球すると流れるような動きでバックホーム!大きな歩幅で踏み出し、豪快に投げる、これまでよく見てきたフォームでした。

ベンチを出て伊藤隼選手と2人でキャッチボール。すごいカメラの数です。
ベンチを出て伊藤隼選手と2人でキャッチボール。すごいカメラの数です。

 まるでスローモーション画像のように感じたけれど、そのレーザービームはノーカット、ノーバウンド、ストライクで片山捕手のミットに収まりタッチアウト!駆け戻る選手たちもベンチもスタンドも、そしてソフトバンク側でも割れんばかりの拍手が起きました。打った塚田選手は自軍のベンチに向かって、こう言ったのです。「すごいな!野球の神様はいるんだ!」と。

 甲子園球場での練習を終え、鳴尾浜へ移動してきた1軍首脳陣や選手、トレーナー、スタッフも同じ心境だったのでしょう。待機していた三塁側ブルペンの金網に、みんな張りつくような格好で拍手を送っていました。

 8回裏の攻撃を、いつものようにベンチ最前列で見ていた横田選手はバッターを見ながら時おりセンターにも目をやって、何かを思い出しているような表情。西日を浴びた顔に、汗だけではない光るものがありました。そして9回の守備にもついて、最後は笑顔でベンチ前へ。前日までは常に迎える側だった勝利のハイタッチを、この日は迎えられる側で味わった瞬間です。

一歩前へ押し出してくれた力

スコアボードの左端に『8横田』の文字。
スコアボードの左端に『8横田』の文字。

 引き続き行われた引退セレモニーに、1軍メンバーは有志と言いながら野手全員、投手もほとんどが参加。横田選手が涙で頬をぬらしながら何度も何度も感謝の言葉を述べた挨拶、そのあと花束の贈呈、選手全員での胴上げと続き、最後にチーム全員と握手をするところではみんな男泣きでしたね。試合後に「センターから見る景色はすごくきれいで、ここまで野球をやってきてよかった、諦めないでよかったと思った」と振り返る横田選手。また「バックホームで刺せたのも、僕ではなくて皆さんのおかげ」と感謝の意を述べました。

 「最後にああいうバックホームができて、本当に神様が見てくれたんだなと思います。いつもなら後ろに下がってしまうところで一歩前に出られた。誰かが前に押してくれたんじゃないかっていうくらい足が進んで、ボールもきれいには見えなかったけどグローブに入ってくれて、バックホームも練習で投げたことのないような球を投げられて、本当に今まで諦めずやってきてよかったなとアウトを取った瞬間に思いました。思い出したらまだ鳥肌が立ちます」

見事なバックホームで8回が終了。板山選手(左)とタッチをする横田選手(中)。右は笑顔の俊介選手。
見事なバックホームで8回が終了。板山選手(左)とタッチをする横田選手(中)。右は笑顔の俊介選手。

 1軍選手が駆けつけたことは知らず「ビックリしました。ベテランの福留さんや鳥谷さんも来てくれて。鳥谷さんから『神様は本当に見ているんだな』と言われて涙が出た」とのこと。セレモニーで袖を通した24番のユニホームは「ロッカーで着る際にも涙が出ちゃって、ちょっと時間がかかった。やっぱり試合で着たかったけど、きょうこうやって着られる機会を作ってもらって球団の方には感謝の気持ちでいっぱい」と話しました。

 なお8回途中から出ることは前もって言われておらず、本当にビックリしたとか。そのあとのコメントが「しかもピンチだったので“あらっ”と思いましたけど」と横田選手らしいですね。「でも監督に、ああいう場面で使ってもらって感謝したい」と締めくくっています。

野球ができることに感謝を忘れず

 では、引退試合直後と、数日後に聞いた選手のコメントをご紹介しましょう。なお9月22日に行われた横田選手の引退会見はこちらでご覧ください。→<阪神・横田慎太郎選手 もがいて苦しんで、闘い抜いた24歳の引退>

 セレモニー後、原口文仁選手に「泣いたでしょう?」と聞いたら「泣かないよ。横田の新しいスタートなのに」と言いながら、目は真っ赤でした。あのバックホームは?「見たよ~。最高だよ!しっかり準備をして、練習をしていたってことですよね。最後にあんなプレー、久しぶりに出てできるもんじゃない。最高のプレーだった!」

ベンチへ戻る横田選手(左)に拍手を送るのは、三塁ブルペンで試合を見ていた1軍メンバー。
ベンチへ戻る横田選手(左)に拍手を送るのは、三塁ブルペンで試合を見ていた1軍メンバー。

 前を向いていこうという、原口選手の言葉を胸に頑張ったと言っていました。「しんどいことがあった者同士でね。一緒に外野を走ったり、トレーニングルームでしゃべったり。毎朝、誰よりも早くトレーニングルームで素振りをして。その姿をみんな見ているから集まってくれたんでしょう。本当によく頑張ったと思う。悔しくて、まだまだやりたいと思っているだろうけど。頑張っていたので、お疲れ様と言いたいですね」

 最後に「野球できることが当たり前じゃない、そういう感謝をしっかり持ちながら、横田の分も頑張っていきたい」と締めくくった原口選手。重い言葉でした。

「横田のために」プレーした日

 横田選手が鳴尾浜に戻ってきてからも、彼の好きな曲をかけてあげて一緒に練習していた板山祐太郎選手は、あのバックホームを見て「練習でも、あんなのなかった…」とつぶやきました。「僕は(セカンドで)カットに入ろうとしていたんですよ。そしたらダイレクトでしたもんね。ほんとよかったです。神様はいるんだなあ」

 また「きょうは、横田のためにと思ってプレーしていた」と言い、8回無死二塁の場面では左前打を放ってチャンスを拡大!「最後の打席(8回)で打ってベンチを見たら、横田がこっちを向いてガッツポーズをしていた」と嬉しそうに話す板山選手。「来年は1軍でやる姿を見せたい」と飛躍を誓いました。

8回裏、勝ち越しのチャンスを広げる左前打を放った板山選手に両手を上げて拍手!
8回裏、勝ち越しのチャンスを広げる左前打を放った板山選手に両手を上げて拍手!

 同い年で、見れば常にじゃれあっているイメージの熊谷選手は、セレモニーが始まってすぐにもう目に涙。試合中は大丈夫だった?と尋ねたら「あの、刺したところで泣きそうになって。でも我慢しました」という返事。やはり「野球の神様はいるなと思った」と言っています。そんな熊谷選手の隣で、顔をクシャクシャにして泣いていた小幡選手は、日を改めて聞いたのですが「はい、泣きました。キャンプの時から、ずっとよくしてもらったので…」と言ったあと「ダメです。話したらまた泣いちゃいます」と引き揚げていきました。

 江越大賀選手は「8回のバックホームでアウトにしてくれたので、絶対に勝ちたいという気持ちが出てきた。あのプレーは、めっちゃ感動ですよ」とのこと。「(直後の攻撃は)先頭だったので、打席に集中しました!自分のやることをしっかりしようと」。そして放った二塁打。そこから勝ち越し点が入ったわけです。

先輩も後輩も泣いたセレモニー

セレモニーで騎馬を組み横田選手を運ぶ北條選手(前)、中谷選手(右)、高山選手(左)、梅野選手(後)。
セレモニーで騎馬を組み横田選手を運ぶ北條選手(前)、中谷選手(右)、高山選手(左)、梅野選手(後)。

 中谷将大選手は宮脇ファームディレクターからの連絡を受け、引退セレモニーで“騎馬隊”を編成した1人です。終わったあと話を聞こうとしたものの、真っ赤な目を見て(お互いに)無理だなと思い、諦めました。でも2日後、28日のDeNA戦(横浜)で中谷選手が素晴らしい守備と先制タイムリーで勝利に貢献したことは、皆さんも覚えていらっしゃるでしょう。横田くんが力を貸してくれた?と聞いたら「打たせてくれましたね!」という返事です。

 騎馬の先頭にいた北條史也選手にとって横田選手はすぐ下の後輩。だから“1年生”のすべき仕事を指導してきました。毎朝、平田監督に渡す物とか、そういう日々のルーティンです。しっかりこなしていた?「いや…平田監督に『ちゃんと教えとけよ』って僕が言われた」と笑いながら「夜間練習でも一緒に素振りしたり、とにかく一日中ずっと一緒でした」と思い出話。「きょうは泣いた!みんな泣いた!」

引退セレモニーで鳴尾浜のスコアボードに表示された2016年の開幕オーダー。
引退セレモニーで鳴尾浜のスコアボードに表示された2016年の開幕オーダー。

 そういえば横田選手が、なぜか北條選手をものすごくライバル視していたことを覚えています。2016年に1軍で数字を残し始めた北條選手に対して「あの人には負けたくない」と、冗談なのか本気なのかわからない感じでよく言っていました。仲がよかったからこそのアピールでしょう。今回の活躍を見て悔しがっているかもしれませんね。

 牧丈一郎投手も「あれは泣くでしょ。でも自分は泣いていい立場じゃないと思って我慢しました」とコメント。そして「先輩方が泣いてはるのを見て…。高山さんとか、僕の中でめっちゃ強いイメージがあって泣くところなんか見たことないのに」と、それが一番驚いたようです。あのバックホームはどうだった?「僕はチャートをつけていたので、ネット裏で見ました。鳥肌が立った!野球の神様はいる!」

自分ではなく人のために、という意識

試合が終わって俊介選手(左)、江越選手(右)とタッチ。と思ったらグラブを外して握手をする横田選手(中)。
試合が終わって俊介選手(左)、江越選手(右)とタッチ。と思ったらグラブを外して握手をする横田選手(中)。

 片山雄哉選手は、まず「神様の存在を確信した瞬間だった」と力を込めました。横田選手からの返球を思い出してもらったところ「ボールがこう来て、捕りにいくとかアウトにするとか、そんなこと考えなかった。ただもう“来る”っていう感覚だけでした。時が止まったような。だから僕、動かなかったですもん。ああ、来る!と思って」と、身振りを交えて話してくれます。また、こんな“証言”も。

 「(あの日対戦した)ソフトバンクの選手も言っていました。センターへ打とうと思っていないのに、そっちへいっちゃうと」

 それはもう見えない力ですねえ。「本当に一番頑張っていたから。僕は1年しか見てないですけど、それでも一番頑張っていた。いい時より、しんどい時にどれだけやれるか。それを神様は見ているんだと感じました」。最後は「みんなが、自分のためじゃなくて人のためにやらなくちゃ、と思わされた瞬間だった。すごいです、ほんとに」と、つぶやくような言葉。それが6連勝でCS進出という奇跡を呼んだのかもしれませんね。片山選手もそう思っているみたいです。

ベンチ前で高野投手(左)からウイニングボールを手渡されたところです。
ベンチ前で高野投手(左)からウイニングボールを手渡されたところです。

 既に退団しているものの、並んでバッティング練習をしたり、ウエートトレーニングをしたり、一緒にいる機会も多かった一二三慎太さんは「バックホーム、見ました!僕は病気になる前のあいつしか知らないんで。でも弱音を吐かへん横田しか見ていないから、引退するってことは相当キツかったんやろうと思いますね。肩が痛いとか、ちっちゃなことやなと思いました」と、自分のことを挙げて話しています。投手としてもう一度プレーするという夢に、改めて気合が入ったでしょう。

寄り添ってきたトレーナーの皆さん

 続いて、トレーナーの方々に伺った話をご紹介します。まず昨年で阪神を退団し、現在はパーソナルコンディショニングジムを経営している土屋明洋さん。引退試合の日も鳴尾浜に来られました。引退会見の記事でも書かせていただいたように、土屋さんは横田選手の病気が判明した時から入院中も含め、ずっと近くにいたトレーナーです。

涙をこらえながら挨拶をする横田選手。
涙をこらえながら挨拶をする横田選手。

 2018年2月の安芸キャンプで、野球の動きがどんどんできてきた横田選手を見ながら立ち話をさせていただいたのですが、その時を思い出すと互いに泣けてしまうため、あえて事務的に短く感想を聞いています。「平田采配に感謝です。今までのバックホームの中でも一番でしたね。球のスピードも、コントロールも、チャージも」。ひとことずつ噛みしめるような言葉でした。

 杉本一弘副寮長兼トレーナーは2017年2月、1軍チーフトレーナーとして沖縄キャンプ序盤に頭痛を訴えた横田選手を病院へ連れていっています。診察後、病院から「すぐに来てください。トレーナーさんも一緒に」と電話があり、行くと大きな病院を紹介されたそうです。そこで検査を受けた結果、脳腫瘍という診断。「野球どころか命にかかわる病気だった。もっと早く行っていたらという思いが…」

矢野監督からも花束を受け取って涙ぐんでいました。
矢野監督からも花束を受け取って涙ぐんでいました。

 昨年はファームチーフトレーナーだったので、定期的に通院する際にも杉本トレーナーが付き添ったとのこと。目の件に関しても「病院の先生に『治りますよね?戻りますよね?』と訴えていたし、前向きに信じてやっていました。弱音はいっさい吐かなかった」そうです。

 「トレーニングをして、みんなと一緒に練習をして、それでも試合中はずっとベンチで。それがもう2年目だったわけですからね。辛いだろうと思いますよ。練習はすべてできているのに試合に出られないなんて。見ている僕たちも辛かったけど、やめようとは言えなかった。でも弱音を吐かずに一生懸命頑張る横田だから、今後どんな時でも大丈夫だと思います」

応援したくなる、ひたむきな姿

 退院後からの横田選手を担当してきた藤本将直トレーナーに、ここまでを振り返ってもらいました。「体力がついてきて、できることも増えてきて、筋力が戻ってくるのも早かったですね。それまでしっかりトレーニングをしていたからでしょう。昨年2月の安芸キャンプも別メニューから、ちょっとずつ、ちょっとずつ前進して。初めて屋外の打撃練習を見た時に、ああここまで来られたと思いました」。バッティングケージの後ろで土屋トレーナーとともに見守っていた藤本トレーナー、よく覚えています。

セレモニーの最後は、みんなで横田選手を胴上げしました。
セレモニーの最後は、みんなで横田選手を胴上げしました。

 「何事も真摯に取り組む姿を見ると、応援したくなりますよね。トレーニングもいっさい手を抜かないし。夏場とかランニングメニューを少なめにしようと提案しても、本人は『やります』と言う。それは多分、彼の向上心だと思います。どんな時もポジティブで弱音を吐かなかった。ネガティブになったらダメだと思っていたんでしょう。ひたむきに、諦めず頑張っていた。僕は何もしてあげられなかったけど…」

 そんなことはありません。横田選手の大きな支えだったはずです。感謝してもしきれないと本人が言っているように。そして「あのバックホーム、泣きました」と藤本トレーナー。これに続いた言葉は「目が奇跡的に回復しないかと今でも思っています」というもの。胸に響きました。

「思い出すことが多くて泣きました」

試合終了、みんなに迎えられてタッチをする横田選手。
試合終了、みんなに迎えられてタッチをする横田選手。

 ことしは1軍の手嶋秀和トレーナーは、横田選手が鳴尾浜に戻ってきた2017年9月以降、だんだんと野球の動きになっていくべき段階から担当。2018年2月の安芸キャンプでは打撃練習のピッチャー役を務め、初めて柵越えが出た時の写真は今も大事に持っているとのことです。キャンプ後も鳴尾浜の個別練習でノックを打ったり、トスを上げたりという毎日でした。

 「連ティーを20回1セットとして6~7セットやるメニューがあって、普通でも結構きつい。疲れていたらいいよと言っても止めない。負けず嫌いとは違う。人より遅れているからと思っていたのか、甘えのない子ですね。でも明らかに疲れが見えた時、半分にしようと言ったら『いいですか?ありがとうございます』と答えたので、きっと疲れていたんでしょう。本当は」

コーチ陣も笑顔で迎えてくれました。
コーチ陣も笑顔で迎えてくれました。

 「毎日ノックを打っていると、こっちも体力アップしてきて、横田が『手嶋さん、パワーついていますよ。僕の練習じゃないです、これ。手嶋さんの練習ですよね?パワー、やばいっすよ(笑)」と言ってきたことがありました」。そういう可愛いところも魅力ですね。

 「練習がしたいんですよ。原口もそうでしたが、もう鑑ですね。去年の夏、あの猛暑に耐えながら手を抜かずにやっている姿に心を打たれたことも思い出しました。あんなバックホーム、できちゃう子なんですよ。思わぬ力が出るもの。いや、持っている力なんでしょうけど。泣きました。思い出すことが多くて。これが最後というのは残念でならない。あんなボールを見たことがないから。携わってきた者にとって、あの横田の捕球とバックホームを見られたことがすべて。嬉しかった」

最後のあのプレーは彼自身の力

 次に、現在は1軍の山下幸志チーフトレーナーです。ルーキーイヤーに頑張りすぎて腰を痛めた横田選手についての「100か0かしかないから、こっちが止めてあげないといけない」という説明に、ものすごく納得した記憶があります。

 「今回の横田の引退は、我々トレーナーにとっても、非常に悔しい限りです。彼は本当に一生懸命リハビリに取り組んできました。引退となってしまった今は、もう少し何かできたのではと悔やんでしまいます。神様がいるのなら、なぜ?…とも」

次はご家族からの花束贈呈というところで、ご両親とお姉さんの顔を見て思わず背中を向け、涙する横田選手。
次はご家族からの花束贈呈というところで、ご両親とお姉さんの顔を見て思わず背中を向け、涙する横田選手。

 「入院中、ご両親に何度もお会いすることが出来ました。横田の人柄は、やはりこのご両親が、と納得するほど朗らかで、すごく気遣いをされる方々でした。横田と以前話したのですが、お母さんからは『あなたは勉強ができないのはわかっているから、野球を一生懸命やりなさい!』と言われていたそうです。なかなか勉強はしなくていいと言うお母さん、いませんよね。なので、引退と聞いた時は“野球がなくなってしまうのかぁ”と一瞬考えましたが、選手みんなも言っていたように、ヨコの人柄や性格なら周りの人から寄ってきてくれるし大丈夫!とすぐに思い直しました。いつの日かまた草野球でも、楽しく野球ができる日が来て欲しいです」

 「ヨコの引退試合のために、あれほどの監督、コーチ、選手、スタッフが集まり、涙を流すってすごいことだと感じました。すべては彼の人柄です。人に頼らず、人のいいところを見つけるのが上手で、本当に周りから何かしてあげたいと思わせる魅力を持っています。最後のあのプレーは、神様ではなく、彼の魅力と実力がそうさせた、と私は信じます!」

横田選手の次の一歩を応援したい

8回の守備を終えたベンチで涙を浮かべる横田選手(右)と、もらい泣きしそうな3人。左から熊谷選手、小幡選手、島田選手。
8回の守備を終えたベンチで涙を浮かべる横田選手(右)と、もらい泣きしそうな3人。左から熊谷選手、小幡選手、島田選手。

 もともと「疲れた」とか「しんどい」なんてことを言わない横田選手ですが、病気になってからも弱音を吐かなかったのは自分自身のためでしょう。マイナスなことを口にした時点で負けてしまう。折れてしまう。それが怖かったんじゃないかと想像します。そんな横田選手が引退を決意するということは、本当に苦しかったのだろうと周囲の方々は口を揃えました。応援してくれた人にもう一度プレーする姿を見せられないのが、何よりも悔しくてたまらなかったはず。

 たとえ自分が苦しくても、練習することを辛いと感じるわけがない。やりたくて仕方ないくらいの選手だったから。だけど、期待に応えることができないまま続けるのは、もう無理だったんでしょう。辞めるのはもったいない、もっと頑張れ、とは…とても言えないですね。

 あの日、試合終了の瞬間にベンチ方向へ走りながらサングラスを上げ、他の選手たちと交わした笑顔がとても自然でした。ことし見かけた物憂げな表情ではなく、先輩にいじられていた頃の横田選手そのもの。それが嬉しくて、少しだけ気持ちが楽になりました。山下トレーナーが言われたように「いつの日かまた草野球でも、楽しく野球ができる日が来て欲しい」と私も思います。

 バックホームに込められた横田選手の野球人生、阪神タイガースへの思い、すべての人や物への感謝が、何かを動かしたかもしれない。そんなことを感じた秋です。

締めは明るく横田語録で

センターの守備位置へ全力で走っていく横田選手の姿は、すべての人の胸に刻み込まれたはずです。
センターの守備位置へ全力で走っていく横田選手の姿は、すべての人の胸に刻み込まれたはずです。

 では最後に、横田選手が我々を楽しませてくれた“横田語録”をご紹介しましょう。本人は明るい性格なので冗談も言ったりしますけど、これらは真面目に答えていて、だからこそプッと笑っちゃうというものです。それと、2年目を迎えた横田選手に聞いた話を書いた2015年1月3日の記事も、よかったらご覧ください。ここにも「ジムに潜入?」という言葉が出てきます。→<阪神タイガース・横田慎太郎選手 2年目の誓い>

【2015年2月、安芸キャンプにて】

 ★昨年は発熱でキャンプ初日にいきなり休んでしまったので「ことしは風邪ひくなよ」と山下トレーナーが声をかけたそうです。すると横田選手は「大丈夫です!」と頼もしい返事に続いて「ちゃんと乾燥器を使っていますから」と答えたとか。「おいおい、乾燥させたらアカンがな。それは加湿器やろ」。山下トレーナーは爆笑でした。

 ★1年目で体重が10キロ増えた、その秘訣を聞いたら「とにかく食べました。好きなものを好きなだけ。肉、麺、魚、海鮮丼」。急に海鮮丼が出てきた!(笑)

 ★左方向への打球について「押し込んでいるつもりはあまりなくて。なぜでしょう?謎です」という言葉。またバッティング練習で「脇を締めるように」と八木コーチにアドバイスをされた横田選手。これまで脇が開いていたという自覚はあった?「はい。去年からずっと開いていました!」

 ★ちょっと疲れが出てきたのか、第1クールに比べて打球が飛んでいないかもという古屋監督の言葉を伝え聞き「これから打ちます!ぶり返します!」。風邪じゃないんだけど…。盛り返すと言いたかったんでしょうね。多分。

 ★ことしはキャンプ完走!まだ余力がある?「余力しかないです!」

8回裏、俊介選手の勝ち越し打で生還した江越選手を迎えに出てくる横田選手(左から2人目)。ヘルメットにバット、打席に立つ準備をしていた?
8回裏、俊介選手の勝ち越し打で生還した江越選手を迎えに出てくる横田選手(左から2人目)。ヘルメットにバット、打席に立つ準備をしていた?

【2015年、夏の鳴尾浜で】

 センターの守備についている横田選手のところにカラスが飛んできて、右中間の芝生に舞い降ります。試合は進んでいるのに、なかなか飛び立たないカラスが気になって仕方がない様子。投球の合間に、自分の左横で散歩するカラスをチラチラと見ていました。やがて少し歩を詰め(それほどは近づかず)、そーっと威嚇する横田選手。グラブで追い払う仕草をして、ようやく飛び立ってくれたようです。外野には3人の選手がいるのに、なぜか横田選手のところへ寄っていくカラス。試合後に聞いてみたら「ほんとウザイんですよ、あいつ」と憤慨していました。

【2015年11月、台湾ウインターリーグへ向けて】

 荷物は?「持っていきます」。いや、もちろん荷物は持っていくわね。わかってる。何か特別なものは?「ないですよ。普通です」。岩貞投手や陽川選手が「あまりお腹が強くない」と言っていたので横田選手にも聞いてみました。お腹は丈夫なほう?「はい!腹筋してるんで」…それはよかった。

【おそらく2016年くらいのある日】

 穴田真規さんに聞いた話。横田選手とは入れ違いだったので一緒にやっていないものの「おもろい子やと中谷から聞いていたので知っていた」そうです。ある時、鳴尾浜の寮の前で初めて遭遇した2人なのに、穴田さんいわく「向こうから『穴ちゃーん!』って走ってきましたよ。初対面で(笑)」とのこと。横田選手らしいエピソードですね。

いつもベンチで見た横田選手の姿が、引退試合の翌日からはありませんでした。これはやっぱり…寂しいですね。
いつもベンチで見た横田選手の姿が、引退試合の翌日からはありませんでした。これはやっぱり…寂しいですね。

【2019年9月26日の引退試合にて】

 あのバックホームは本能的なものだったのかも?と記者陣に聞かれ「本能はそんなにないんで」と答えた横田選手。周りの方々が力をくれたおかげで、本能とかそういうものじゃないと言いたかったんだと思います。でも「本能はそんなにない」は想像していなくてクスッと笑っちゃいました。ごめんなさいね、真剣に答えてくれたのに。

    <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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