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「踊り子」に「ロマンスカー」「夜行列車」…6月24日で没後25年 村下孝蔵の名曲と鉄道

清水要鉄道ライター
特急「踊り子」

今日、6月24日は平成11(1999)年に46歳の若さで急逝した歌手・村下孝蔵の命日だ。今年で彼が亡くなってから25年、四半世紀を迎える。

歌手としては遅咲きで、若くして亡くなったゆえに活動期間は決して長くなかった彼だが、その生涯で多くの名曲を残した。それらの曲の中には旅をテーマしたものや鉄道が登場するものもある。

鉄道と関わりの深い曲の中でもっとも有名なのは「初恋」と並ぶ代表曲「踊り子」だろう。大人の男女の叶わぬ恋を深みのある言葉で歌った名曲だが、実はこの曲の曲名の「踊り子」は東京と伊豆を結ぶ特急「踊り子」に由来している。村下を世に送り出した音楽プロデューサー・須藤晃が、この曲のデモテープを駅で聞いている際、目の前に特急「踊り子」が滑り込んできたのでその名を曲名につけたというのだ。「踊り子」のシングルが発売されたのは昭和58(1983)年8月25日。特急「踊り子」が運行を開始したのは昭和56(1981)年10月1日なので、局が制作されていた当時、「踊り子」はまさに最新鋭の特急だった。

小田急ロマンスカー NSE 定期運行からの引退は奇しくも村下が亡くなってからほどない頃だった
小田急ロマンスカー NSE 定期運行からの引退は奇しくも村下が亡くなってからほどない頃だった

曲名が鉄道を連想させる曲は「踊り子」だけではない。平成4(1992)年11月21日に発売された「ロマンスカー」もそうだ。村下本人も気に入っていた曲で、葬儀でも流された曲だが、残念ながら村下の期待ほどには売れなかった。

ロマンスカーと言えば、多くの人が思い浮かべるのが小田急の看板特急「ロマンスカー」だろう。歌詞にある「海にも山にも」という単語も、江ノ島や箱根へと向かう小田急ロマンスカーを連想させる。曲が発売された当時は3100形「NSE」、7000形「LSE」、10000形「HiSE」、20000形「RSE」が活躍していたが、いずれも既に退役し、「HiSE」が長野電鉄で、「RSE」が富士急行で余生を過ごしている。

ちなみに「ロマンスカー」は小田急の登録商標だが、固有名詞ではなく、二人掛けのロマンスシートを装備した車両を指す固有名詞で、かつては小田急以外でも使用されていた。東武鉄道でかつて活躍していた特急の愛称「DRC」は「デラックスロマンスカー」のことである。

寝台特急「あけぼの」
寝台特急「あけぼの」

「踊り子」や「ロマンスカー」に比べれば知名度はぐっと落ちるものの、村下には「夜行列車」という曲もある。夜行列車で住み慣れた町を離れ遠く旅立つ男の心情を歌った曲で、聞いているとその時代を知らないはずなのに昭和の旅の情景が思い浮かぶ。今やすっかり貴重になった夜行列車に乗りながら聞きたい一曲だ。ちなみに夜行列車(夜汽車)は最晩年の曲「同窓会」の歌詞にも登場する。

恋路駅
恋路駅

鉄道が登場する曲は他にもある。平成元(1989)年11月1日発売のアルバム「野菊よ、僕は…」に収録された「恋路海岸」もその一つだ。悲恋伝説で知られる能登半島の恋路海岸を舞台にした曲で、歌詞で無人駅の情景が歌われている。この曲に歌われている恋路駅は国鉄能登線を三セク転換したのと鉄道能登線の駅で、ロマンチックな駅名から旅行者に人気があった。平成17(2005)年4月1日の廃止後も宗玄酒造の手で保存されてきたが、1月の地震でトンネルが被害を受けたそうだ。能登復興の暁には恋路を訪れて現地でこの曲を聴いてみるのもいいだろう。

駅の情景が描写されている曲としては他に「帰郷」があり、今ではすっかり見なくなった駅の伝言板が歌詞として登場する。

また、鉄道こそ登場しないものの、村下孝蔵の曲には旅情をそそる曲が多く、「この国に生まれてよかった」「稚内から」「松山行きフェリー」など枚挙にいとまがない。彼の活躍をリアルタイムで知っている世代も知らない世代も、列車旅のお供に、車窓を眺めながら彼の曲を聞いてみるのはいかがだろうか。

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鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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