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【光る君へ】ドラマではカットされた、一条天皇の女御・藤原元子が水を産んだという事件

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」ではカットされた模様だが、一条天皇には藤原元子という女御がおり、水を産んだという事件があったので紹介することにしよう。

 元子は、藤原顕光の娘として誕生した(生没年不詳)。顕光の父は、兼通(兼家の兄)である。関白だった兼通が没すると、跡を継いだ兼家が台頭し、顕光の昇進は滞った。その一方で、道隆、道兼、道長(兼家の子)に次々と昇進の先を越され、無念の思いで過ごしていた。

 ところが、長徳元年(995)に道隆・兼家兄弟らが相次いで亡くなり、翌年に伊周(道隆の子)が失脚した。運が巡った顕光は、右大臣に昇進したのである。ここがチャンスとばかりに、顕光は娘の元子を一条天皇に入内させようと目論んだ。

 元子は長徳2年(996)に入内すると、その翌年には懐妊した。報告を受けた顕光は、大いに喜んだに違いない。当時、一条天皇には後継者たる男子がいなかったので、母の藤原詮子も大いに喜んだ。元子は懐妊して3ヵ月を過ぎると、里帰りをしたのである。

 元子が女房達とともに里帰りをする際、一条天皇の女御・藤原義子の住む弘徽殿を通過することになった。義子は、元子よりも早く入内したが、子に恵まれなかった。そして、元子の一行は、義子の女房が並ぶ細殿を通り過ぎようとした。

 すると、女房達が元子らの一行を見ようとして集まり、そのため御簾を押してしまい、大きく膨らんだ。すると、それを見ていた女童が「女御様は懐妊されず、簾だけが孕んだ」と悪口を言ったという。義子が懐妊しないことを皮肉ったのである。

 女童の言葉を聞いた女房らは、大変立腹したが、一方でうらやましいという気持ちになったという。しかし、長徳4年(998)になっても、元子が出産する気配はなかった。顕光は出産を祈念して、加持祈禱を行ったが、一向に効果がなかった。

 同年6月、元子が広隆寺まで出向いたところ、急に産気づいた。寺では大騒ぎになったが、元子の腹から水だけが出てきて、子は誕生しなかったのである。なぜこうなったのか不思議であるが、悲惨な結果に終わったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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