海外遠征を糧に「師匠への恩返し」を誓う岩田望来のこれから描くストーリー
印象に残った12歳の時に見た英国競馬
8月24日の中京競馬。早速、帰国後の初勝利を挙げたのが岩田望来だ。
6月23日の京都競馬での騎乗を最後に、フランスのシャンティイに入ると、7月29日にはドーヴィルへ移動。8月20日の飛行機でかの地を発つまで、現地に滞在。毎朝の調教と、依頼があれば競馬に参戦した。
「海外遠征はずっと前から考えていました」
実際、一昨年の某日、当時日本を訪れていたイギリスの調教師と都内で落ち合った。その席に私も臨場させていただいたが、翌23年でのニューマーケット遠征へ向け、かなり具体的に話は進んでいた。岩田は言う。
「師匠の藤原英昭先生に尽力していただいた話でした。あとは現地での対応を考えて『英語をしっかり勉強しておくように!!』と、時間も作ってもらいました」
そもそも海外への憧れは幼い頃のある出来事に起因していた。
2012年7月。ディープブリランテがイギリス、アスコット競馬場で行われたキングジョージ&クイーンエリザベスS(GⅠ)に挑戦した。騎乗したのは望来の父・岩田康誠。当時12歳の望来少年は父に連れられてこの遠征に立ち会った。結果は10頭立ての8着に敗れたが、果敢にチャレンジした父の姿を憧憬の眼差しで見つめたのだ。
「エリザベス女王も来場される中で、騎乗する父を見て、将来は自分も騎手になってこういうところで乗りたいと思いました」
フランスで初勝利
そんな長年の夢をかなえてのこの夏の遠征だった。
「僕の気持ちを理解してくれたクリストフ(ルメール)が、フランスの調教師を紹介してくれたので、思い切って遠征する事を決めました」
シャンティイでは新進気鋭の調教師として知られるクリストファー・ヘッド、ドーヴィルへ移ってからは伯楽J・C・ルジェの下で毎朝、調教をつけた。調教で股がるだけでなく、装鞍などの馬装から、ボロ(馬糞)拾いまでも自ら行った。
「初心に戻る感じがあって、精神的にも凄く刺激になりました。調教に関しては良い悪いではなくて、日本とのやり方の違い等も、現地へ行ったからこそ分かる点ばかりで勉強になりました」
また「競馬で乗れる馬を1頭見つけるだけでも凄く大変で、乗せてもらえる有り難さを痛感しました」とも続ける。とくに後半ベースにしたルジェ厩舎は調教師が闘病中のために不在。毎朝、真面目に調教をつけても競馬での騎乗の話は出て来なかった。
そんな中、助けてくれたのが現地で開業する調教師の小林智であり、清水裕夫だった。両日本人調教師が、同郷からはるばるやってきたチャレンジャーに、若かりし頃の自分を重ねたのか、レースでの騎乗馬を用意してくれた。
「1レースに乗るだけのために、自分で片道5~6時間かけてクルマを運転して競馬場へ行くのも当たり前でした。それでも乗れるなら全く苦ではなかったので、ありがたく乗せていただきました」
8月8日のサンマロ競馬場には約4時間をかけて移動。小林の管理馬メイショウボヌールに騎乗すると、海外初勝利をマークした。岩田が述懐する。
「この馬に騎乗するのは2回目でした。1戦目と同じ競馬場で同じ距離。馬の特徴も把握していたので、仕掛けどころも分かりました。それに馬が応えてくれて勝たせてもらえました。チャンスをくださったオーナーや小林先生には感謝しかありません」
また、直線1600メートルのレース等、日本では出来ない経験もした。
「想像はしていたけど、マイルの直線競馬はやはり長いです。ゆっくりとしたキャンターでおろす返し馬も、考えていた以上に長さを感じました。良い経験になりました」
痛感した言葉の壁に誓った事
実りの多い遠征となった。しかし、そんな中で、最も苦労したのは、やはり言葉の壁だった。
「現地のスタッフとは毎朝、顔を合わせる中で少しずつコミュニケーションを取れるようにはなりました。とは言ってもやっぱり少ししか通用しません」
レース後、裁決に呼ばれた際は「説明出来ないなら騎乗停止になる可能性もありますよ」とも言われた。もっと通じれば感覚を共有できる。もっと話せれば気持ちを伝えられる。そう思うと、藤原に言われた言葉が胸に刺さった。
「『英語を勉強しておくように』と言われていたのに、おろそかにしてしまい、それが原因でイギリス遠征は破談になりました。実際にこうして海外へ来て、師匠がいかに大切な事を伝えてくれていたのか、痛感しました」
遠征がおじゃんになったばかりか、以来、師匠の厩舎への騎乗機会も逸した岩田望来は「しなければいけない事」を胸に抱いて帰国した。
「まだ競馬学校の生徒だった時に、藤原先生がジャスティファイの勝ったケンタッキーダービーに連れて行ってくれました。また、香港やイギリス、ドバイへも行かせてもらいました。今の自分があるのは、そんな藤原先生のお陰です。これからは自分の力でトップジョッキーになって先生に恩返ししなければいけないと考えています」
そう誓うと、最後に改めて、続けた。
「何があっても僕は藤原先生の弟子である事に変わりはないですから……」
海外遠征の経験を糧に、いつかまた師匠に認められる日が来る事を願おう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)