パリ市に難民キャンプ
カレー市難民キャンプ解体
10月24日(月)、フランス北部、英仏海峡沿いのカレー市にある難民・移民キャンプ解体作業が厳戒態勢のもとで、始まった。
カレー市は英仏間のドーバー海峡に面しており、フランスからイギリスに渡るのにいちばん近い場所である。そのため、トラックの荷台につかまったり、フェリーのコンテナーのなかに隠れてイギリスへ渡ろうと試みるアフリカや中東からの難民が増え、いつのまにか、掘っ立て小屋や簡易テントが立ち並ぶ、「ジャングル」と呼ばれるキャンプができてしまった。
無法地帯で危険きわまりない「ジャングル」だが、住人の数は、増えるばかり。2015年には、イギリスに密入国しようとするジャングル住民1500人が、イギリスへつながる鉄道用トンネルに押し寄せ、死傷者が出た事件もあった。
では、なぜ、イギリスが彼らにとっての夢なのだろうか?
まずは、「イギリスに行けば、住居も衣類も生活手当ももらえる。失業率が低いから仕事はあふれている。身分証明書がなくても、不法滞在者でも簡単に仕事ができる」と信じられているからだ。
実際には、イギリスでも正規雇用のためにはbiometric residence permitという滞在許可証が必要だ。それよりも、「ジャングル」の人々の多くはアフガニスタン、イラク、ソマリア、エリトリア、スーダンという、イギリスの旧保護領や旧植民地からの人々で、親戚や知人がイギリスにいる人が多く、自分のコミュニティーを頼れば、仕事が見つかる、なんとかなるだろうというのが本当のところだろう。
相重なる事故、治安の悪化を懸念したフランス政府は、今回、「ジャングル」の解体を決行した。同時に、フランス難民・無国籍者保護センター(l’ Office francais de protection des refugies et apatrides)は、全国の280市に難民受け入れセンターに、「ジャングル」の住民総計約6500人から8000人を収容することにした。
しかし、彼らは失業率10%のフランスで暮らしたいわけではまったくなく、あくまでイギリスに渡ろうという夢を持っている人々だ。イギリスの欧州連合脱退が話題になったときも、フランスでは、「そんなに脱退したいなら、カレー市の難民たちを連れて一緒に出て行って!」という意見もあった。これを機会に、カレー市側にある英仏国境がイギリス側に移動するというデマが吹聴されたからだ。しかし、イギリスのEU脱退は国民投票で可決されたものの、国境の移動はなかった。
そんな彼らに、フランス国内の難民収容センターへの移動を説得するのは、簡単なことではない。ボランティアの人々、収容センター職員は、根気強くフランスで難民申請することのメリットを説明し、24日午前中には、ブルゴーニュ地方への収容を希望した人々を運ぶバスが、25日にはブルターニュ地方行きのバスが出発、26日には、解体された小屋が燃える様子がテレビニュースで報道された。
では残りの人々は?
このような難民キャンプ解体は今回が初めてではない。2002年にはサンガット市のキャンプ、2009年にはカレー市の「ジャングル1」、2014年は同市の「ニュー・ジャングル」が解体された。しかし、キャンプは、場所を変えて自然発生しまう。死ぬ気で海を渡り、徒歩で大陸を渡ってきた人々の意志は強く、解体はその場しのぎに過ぎない。
今回も、まだ、イギリスに渡りたい、失業率の高いフランスでくすぶるのはゴメンという900人から2400人の人々は、いちはやく、自力でキャンプから移動した。そんな人々が、いま、パリ市のスターリングラード駅付近、観光地であるサン・マルタン河岸近くに集まり、路上キャンプしている。1日あたり約50人の難民が、ここにやってくるという。(p.10 2016年10月30日付けル・モンド紙)
近くに住んでいる私は、行きつけの映画館が近くなので通ってみた。高架線下にテントが立ち並び、捨てられていたソファーや、棚も並んでいる。天気の良い日だったので、洗濯物もきちんとほされており、まだ笑顔が子どもっぽい若者たちがサッカーをしている。しかし、驚いたのは辺り一体にたちこもるアンモニアのきつい匂いである。
当然だ。これだけの人々が野宿すれば、外で用を足すことになる。野宿するということは、冬時間に切り替わった今日から厳しくなる寒さに耐え、空腹をこらえるだけではなく、この匂いにも耐えることなのかと実感した。テレビのインタビューで、「ヨーロッパに来たら、もっとまともな生活ができるのかと思ったのに、こんな動物のような生活をしなきゃいけないなんて」と言って涙ぐんだ難民男性の言葉が思い出された。
難民・移民に「祖国へ帰れ」と言うのは簡単だ。しかし
と聞くと、長期的な視点で、真剣に難民・移民問題に取り組むことは、もしかしたら欧州の生命線にかかわることかもしれないと思うのだ。