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PFのポジションで革命を起こし、NBA史上6人目となる偉業を達成した男の道のりはサンアントニオが起点

青木崇Basketball Writer
パワーフォワードというポジションに革命をもたらしたノビツキー(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

ダラス・マーベリックス一筋19年。3月7日のロサンジェルス・レイカーズ戦で、ダーク・ノビツキーは通算3万点に到達した。これはNBA史上6人目、アメリカ人以外としては初めての快挙である。

2011年のNBAタイトル獲得、ファイナルMVP選出といった数々の功績を残してきたノビツキーがNBA入りするきっかけとなったのは、1998年にサンアントニオで行われたNIKEフープ・サミットだ。アメリカの高校選抜が同世代の世界選抜と対戦するこのイベントは、第1回の95年にケビン・ガーネットがプレイするなど、数多くのNBAプレイヤーが参加した歴史がある。1998年3月29日にアラモ体育館で行われた98年大会は、当時レイカーズのGMだったジェリー・ウエストら、数多くのNBA関係者が訪れていた。その多くは将来ドラフトされる可能性を秘めたアメリカ高校選抜のメンバーを注目していたが、ノビツキーのプレイはだれよりもインパクトがあった。

フープサミットでのノビツキー(15) Photo by Takashi Aoki
フープサミットでのノビツキー(15) Photo by Takashi Aoki

NCAAファイナル4取材の合間に会場へ駆けつけた筆者も、ドイツからやってきた細身のビッグマンが持っているスキルを間近に見て驚かされた一人。アメリカは試合序盤、プレス・ディフェンスで世界選抜のガード陣からターンオーバーを立て続けに誘発させ、あっさりと得点を奪っていた。ところが、ノビツキーとマシュー・ニールセン(208cm、元オーストラリア代表)がボールを運ぶようになると、アメリカのプレスは効かなくなる。ノビツキーは巧みなボールハンドリングを駆使してのドライブだけでなく、3Pシュートも難なく決めてしまうレンジの広さも披露。これまでのパワーフォワードとまったく違うプレイスタイルでアメリカのディフェンスを最後まで苦しめたことは、23回フリースローラインに立ち、19本成功させたことでも明らか。30分強のプレイで33点、14リバウンド、2アシスト、3スティールを記録したノビツキーは、世界選抜が5点差で競り勝つ原動力となり、文句なしのMVPに輝いた。

ボックススコア Photo by Takashi Aoki
ボックススコア Photo by Takashi Aoki

「アメリカの選手たちは世界最高だけど、自分たちもプレイできることを示したかった」

こう語ったノビツキーがシュート力を武器にしたオールラウンダーへと成長するきっかけを作ったのは、1972年のミュンヘン五輪にドイツ代表として出場したホルガー・ゲシュヴィンドナー。型破りと言われながらも、ゲシュヴィンドナー自身が緻密に組み立てたトレーニングで7フッターの3Pシューターに育てたのは、「7フッターの選手がディフェンダーを3Pシュートラインの領域に引き寄せることは、ビッグマンがリバウンド争いに関われなくなることを意味する。背の高い選手が3Pシュートを打つことができれば、チームにとっては大きなアドバンテージになる」という理由から来ている。

ミルウォーキー・バックスに1巡目6位でドラフトされた当日にマーベリックスへトレードされ、ドン・ネルソンコーチの下でプレイできたことも、ノビツキーにとっては幸運だった。当時のNBAはビッグマンがアウトサイドでジャンプシュートを打つことに否定的なコーチが多い中、ネルソンはフープ・サミットで世界選抜の練習を見て、その才能に魅力を感じた数少ない人物。フィジカル面で対応しきれないことが何度も繰り返されても、ネルソンは3Pシュートが武器のパワーフォワードとして、ノビツキーを1年目から起用し続けた。それが正しかったことは、2年目に平均得点が8.2から17.5まで一気に伸び、4年目の2002年以降オールスターの常連になったことで証明している。

98年大会のプログラム Photo by Takashi Aoki
98年大会のプログラム Photo by Takashi Aoki
世界選抜にはルイス・スコラもいた Photo by Takashi Aoki
世界選抜にはルイス・スコラもいた Photo by Takashi Aoki

ノビツキーはその後、NBA入り当初得意としなかったポストアップのスキルをレベルアップさせ、右ひざをあげる独特なフェイドアウェイ・シュートも、ゲシュヴィンドナーのコーチングによって身につけた。マーベリックスをNBAタイトルに導く原動力になった2011年のファイナルは、16歳の時から続く長年のトレーニングで身につけたスキルを最大限発揮していたと言える。3万点を達成したレイカーズ戦の観客席には、ドイツからやってきたゲシュヴィンドナーの姿があった。アメリカン・エアラインズ・センターの巨大スクリーンにノビツキーの偉業を称える映像が流れると、感極まった彼の目から涙がこぼれる。

そのシーンを見た瞬間、19年前にサンアントニオで目にした衝撃が、“ノビツキーの偉大なキャリアの始まりだった”と改めて実感。と同時に、前半だけで25点を奪ってしまう爆発力が、38歳になっても健在であることを示して偉業を達成するあたりは、正に本物のスーパースターだと思わずにいられなかった。

Congrats, Dirk!!!

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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