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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2014年/飯塚悟史の日本文理vs森田駿哉の富山商

楊順行スポーツライター
甲子園でドラマチックな試合を見せる日本文理(写真は2009年夏)(写真:アフロ)

■第96回全国高校野球選手権大会 3回戦

富 山 商 5=000 001 040

日 本 文 理 6=010 010 112

 2点を追う富山商が勝負に出た。1対3の8回表、先頭打者が死球をもらうと、エース・森田駿哉に代打を送るのだ。

 森田といえば初戦、日大鶴ヶ丘(西東京)を完封するなど、そこまで3試合25回を投げて自責点わずか2という絶対的エースだ。だが打席では、そこまで6打数1安打とからっきし。前崎秀和監督が「ここで手を打たないと間に合わない」と送ったのが、代打・大倉拓也だ。

 当たった。大倉は三遊間を破り、無死一、二塁とチャンスは拡大。そしてバントで送った1死二、三塁から、横道詠二が同点二塁打、さらに2本の適時打で日本文理(新潟)・飯塚悟史(元DeNA)から一挙4点を奪い、試合をひっくり返した。

 だが、文理の打線はうろたえない。2回戦では、東邦(愛知)の1年生エース・藤嶋健人(現中日)を2点を追う6回に攻略し、逆転勝ちしているように、しぶといしぶとい。

 8回、森田に代わってこの甲子園では初登板だった岩城巧から1点を奪うと、9回。ヒットで出た池田貴将を一塁において、六番・新井充がレフトスタンドに逆転サヨナラアーチをかけるのだ。

 1点差の9回。先頭の池田が出た場面で、五番・小林将也にバントは考えなかったか……日本文理・大井道夫監督はその問いに、

「バント? しないしない。むしろ、ホームランを打ってほしかったくらい」

 そもそも文理は打線が看板。二番とか下位以外ならバントはまず、ないのだ。ヒーローになった新井は、4回の打席で送りバントを決めたのはいいとしても、6回の打席では自らの判断で試みたスリーバントを失敗、三振に倒れている。

「バント? しないしない」

 新井はいう。

「監督からは、"あそこは打てよ"と。だからサヨナラの場面では、弱気になるより楽しもう、と。打った瞬間の感触がよく、入ったかなと思いましたが、まさか自分が決めるとは……」

 それにしてもこの年の夏は、北信越勢が強かった。準々決勝でも聖光学院(福島)に快勝した日本文理(新潟)は4強に進出。敦賀気比(福井)とともに、北信越から2校がベスト4に進出したのは、星稜(石川)と敦賀気比の95年以来19年ぶりだ。ほかにも佐久長聖(長野)、富山商、星稜と、史上初めて5校が初戦を突破し、佐久長聖を除く4校が3回戦(つまりベスト16)に進むという快進撃だった。

 高校野球界では長く、北信越の影は薄かった。この大会が始まるまでの甲子園通算勝ち星を見ると、新潟が47都道府県中最下位、富山が同数ブービーの45位、優勝経験のある長野にしても28位、福井が29位、石川が39位。新潟の26勝は、すでに平成に入っていた1991年が初出場の大阪桐蔭が、この2014年までに挙げた35勝にさえかなわなかった。

 北信越勢が勝てなかった要因のひとつにはむろん、気候条件がある。積雪のある冬の練習が制限されるだけじゃない。たとえば新潟なら、10月から12月の平均気温差は東京と3度ほどしか違わないが、11月以降は冷え込みがきつく、いったん雨が降ればグラウンドはなかなか乾かない。新チームが基礎を固めるべき10〜12月に、みっちりと反復練習ができないわけだ。

 59年の夏、準優勝した宇都宮工(栃木)のエースだった日本文理・大井監督は、こんなふうに回想する。

「縁があって86年に監督になったけど、それまでは栃木で、ときどき高校野球の解説をしていたんです。関東の野球に慣れた目から見ると、当時の新潟は、やはりかなりレベルが下だったよね」

 86年当時の新潟といえば、前年から始まった夏の甲子園初戦敗退が92年まで続く"暗黒期"。かくてはならじ、と強化に取り組んだ。90年代の後半からは、竹田利秋氏、尾藤公氏、中村順司氏ら、高校野球で実績のある指導者を招き、強化を図った。12年夏まで新潟明訓を率い、10年夏には8強に進んだ佐藤和也監督の話。

「80年代ころから高速網の整備など、関東圏まで日帰りで遠征できるようになったのはいいけれど、当時の新潟は確かにレベルが低かった。遠征でコテンパンにやられると、うなだれて帰ったものです。だけどひんぱんに交流し、年月がたつうちに高いレベルの野球を学び、先進的な戦術を吸収していった。やがては名前負けしなくなり、監督時代の最後のほうには、関東の甲子園常連校と練習試合をしても、対等以上に戦えました」

 狭くなった日本で先進的な野球にふれ、高度に情報化された社会は、先進的な知識の共有を可能にした。北信越の高校野球界は、時期の早い遅いはあっても、先進県から吸収することで力をつけてきたというわけだ。

 センバツで敦賀気比が念願の福井県勢初Vを果たすのはこの翌15年だし、19年夏には星稜が準優勝と、このところは北信越勢の躍進が目立つ。この夏も、注目だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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