【鬼滅の刃】から気づく「経営者の孤独」という幻想
こんにちは。アクシス株式会社 代表・転職エージェントの末永雄大です。
中途の人材採用支援をしつつ、月20万人以上の読者を持つ「すべらない転職」という転職メディアを運営している中で、
Yahoo!ニュース上では2013年から「働き方3.0」というテーマでキャリアや雇用分野について発信させてもらっています。
いきなりですが、皆さんは【鬼滅の刃】という漫画を読まれた事はありますでしょうか。
■大人気「鬼滅の刃」の見どころは「鬼」!?
「鬼滅の刃」といえば、新巻が発売されるとすぐに売り切れが続出。まさに社会現象となっています。
その人気は少年ジャンプを代表する「ワンピース」を超えるほどと言われ、大人気です。
鬼滅の刃の物語は、大正時代の日本。炭を売る少年・炭治郎はある日、人喰い鬼に家族を皆殺しにされてしまいますが、妹の禰豆子(ねずこ)が唯一生き残ります。しかし妹は、人喰い鬼に豹変してしまっており、妹を人間に戻し、家族を殺した鬼を討つために立ち上がるというストーリーです。物語はファンタジーですが、描かれている「鬼」がリアルだといいます。
ではなぜ、この物語が人気なのでしょうか?
実は、私自身、実は話題の「鬼滅の刃」について名前は知っていましたが、漫画を読んだことも、アニメを観たこともありませんでした。
しかしそんな中、忙しい日々の中で「アニメを観てみよう」と思ったのは、社内メンバーのこんな言葉からでした。
鬼滅の刃は、愛の物語です。
末永さんにもあるでしょう。
家族愛、組織愛。。。そんな中できっと、歪んだ愛もあると思うんです。
歪んだ愛っていうのは、受け取り方の問題です。
「自分はこれほどまで想っているのにわかってくれない」「自分は愛されていない、誰にもわかってもらえない」。
この気持ちって誰にでもあると思うんですけど、それって自分だとあまり気づけなくて、受け取り方が歪んでいるだけだと思うんです。
その歪みを認知させてくれるのが「鬼滅の刃」で、それが人を喰う悪役である、「鬼」なんです。
そんなことを呟いた彼女のTwitterはこちらです。
実際に作品を観てみて「なるほど」と思いました。
炭治郎は、物語上でもファンの言葉でも「強く優しい」、人間としての綺麗さが魅力なのでしょうか。
しかし多くの読者にとっての見どころは、そんな人として綺麗な炭治郎ではなく、鬼であり、鬼の歪んだ愛というリアリティのある設定であったというのが納得でした。
鬼がこのリアリティのある歪んだ愛を持つようになった背景として、社内メンバーに言われた「自分は誰にもわかってもらえない」と思い込んでいるという言葉が、普段多くの経営者の方と関わる中で話題にあがる「経営者は孤独」という言葉について自分自身もちょうど考察していたところでしたので、今回はその「経営者は孤独」や経営者に限らず1つの職場内で他者と働く中で「自分自身の理解されなさ」がなぜ生まれるか、という点について考えてみたいと思います。
■「経営者は孤独」は幻想?
さて、経営者という立場は「孤独」と訳されることが多くあり、実際に、病んでいく経営者が周囲を見ていても多いような気がしています。
社内に同じ「経営者目線」を持つ人がいないため、自分の考えが社員に理解されないであったり、相談相手がいないなどと孤独を感じてしまうことがあるようです。
しかし私自身は、このような「孤独」という感情として受け止めること自体、極端に言うと傲慢ではないかと考えています。
なぜ傲慢だと思うのでしょうか?
それは「孤独」という「わかってもらえなさ」から生まれる感情は、メンバーへの「期待」があるからこそ生まれる言葉だからです。
そしてこの「期待」を相手に一方的に抱く行為が傲慢であり不条理ではないかと思っています。
経営者が社員に持ちがちな「期待」として、「'''全員経営者目線を持て''」があると思います。
経営者目線を持つことは確かに重要ですよね。メンバーの視点・視座が高まり個人の成長に繋がるという点でも意味があることではないかと思います。
経営者目線を持つよう努力することや手法は存在するにせよ、現実として構造上難しいものだと思います。
■それぞれの役割とそれぞれの目線
ではなぜ構造上、全員が「経営者目線」をもつことが難しいのか?それは、「役割」の問題だからです。
経営者という役割、マネージャーという役割、営業という役割、エンジニアという役割…。
様々な会社で、様々な役割があると思います。
そして、それぞれの役割で、重視するべき指標や役割が持つ視野が異なります。
例えば、経営者であれば3年後、5年後、10年後の中長期的な将来を見ていくべきなのですが、チームのマネージャーはチームとして月次や半期・通期での目標数値の達成をより優先して追いかけていかなければなりません。
逆に経営者以外の社員全員が中長期的な視点ばかり重視して目先の目標達成にこだわらなくなってしまったら、それこそ組織としてよくない状態ではないかと思います。
経営陣と現場で意見が噛み合わずにハレーションが起きるということはよくある話ですが、それぞれの立場で別の目線や視野をもっているということ自体は悪ではなく、むしろ重要なことなんですよね。
■様々な立場を理解した上でどう関わっていくべきか
別の役割の人の視点の重要性を分かったとはいえ、実際にどう動いていけばいいのでしょうか?
先ほどもお話したように、一方的に相手に期待をもち、押し付けることはある意味で傲慢な行為だと思うのです。
相手の役割や視野から考えて、本人がしたい、しようと思っていないことをいくら期待しても、要望しても、助言したとしても、残酷な言い方をすれば、それは自らの傲慢でしかありません。
そこで重要になるのは、まずは相手の役割や視野を理解し、その上で自分自身の視点、助けてほしいことなどをマージさせていくということです。
相手の視野を理解をしていくためには、本人の性格など内的なものだけでなく、その役割に期待されていることや立場まで想像することが重要なのです。
最近読んだ以下の記事においても、また別の切り口で考察されていました。
経営者に限らず、社内メンバーとの視野の違いに困惑したり、「分かってもらえなさ」を感じることはあると思います。
しかしそれをメンバーの性格のせいにしたり、「分かってもらえない」と被害者的に捉えるのではなく、役割による視野の違いにあると捉え、建設的に協働していくということが重要なのではないでしょうか?