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「〈ローマ字〉表記による混乱」という報道の混乱ぶり

寺沢拓敬言語社会学者

以下の毎日新聞の記事についてコメントする。

<ローマ字>表記で混乱 英語教科化、教員ら「一本化を」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

記事では、2020年度からスタートする新たな小学校教育課程に関連して、ローマ字教育をめぐる問題点に焦点があてられている。不統一なローマ字で児童が混乱してしまうのではないかという懸念である。

要するに、訓令式とヘボン式という異なるローマ字表記法が併用されているため、児童生徒がとまどっているという話だ。もっとも、異なる表記法がほんとうに子供の学習に悪影響を及ぼしているかどうかについて、不勉強なためよくわからない(注)。ただ、そもそもの前提として記者自身に「ローマ字」「ローマ字教育」の位置付けに混乱があるようだ。

  • (注)もちろん、理屈として「悪影響があるはずだ」「いや、ないはずだ」と言っている人は多数存在する。たとえば、「二種類の異なる書記法に接するのは負担だから影響があるんだ」派がいるかとおもえば、「日本で教育を受けた人はみな、最終的にはちゃんと使い分けているじゃないか」という影響なし派もいる。そうした「机上の話」ではなく、実際に影響の有無を検討した調査があるか知らないというのがここの意味。

ローマ字は日本語の話であって英語教育の話ではない

ローマ字は、一般的に言って、日本語をアルファベットで表記する方法である。つまり、日本語の話である。私たちが馴染んでいる漢字かな混じり文の日本語とは違う、オルタナティブな書記法を指す。

したがって、英語の話とは基本的に関係ない。英語科教育では、日本語由来の固有名詞等を表記するための方便としてローマ字表記を、利用させてもらっているにすぎない。

記事中に少し引っかかる部分があった。

2020年度から実施される学習指導要領改定案に基づき、小学校のローマ字教育が従来の国語だけでなく、新たに教科化される英語でも始まる。

20年度からは小学5、6年で教科化される英語でも「日本語と外国語の違い」に気付かせることを目的に、ほぼ母音と子音の2文字で構成されるローマ字について学習することになった

小学校の英語教育でもローマ字教育が始まるかのような書きぶりだが、学習指導要領改訂案にはそのような記述はない(もちろん「国語」の項目には記述がある。これは従来通りだ)。単純に考えると記者の誤解のような気もする。

ただし、かなり善意で解釈した場合、「誤解」とも言い切れない。

「ローマ字」には、「日本語をローマ字で表記すること」という意味のほかに、ラテン文字系アルファベット、つまり「ローマの文字」という意味もあるからだ。

つまり、2020年度から新たに文字指導を前提にした英語教育が始まる予定であり、文字指導とはつまりアルファベット(A, B, C ... Z)を教えることだから「小学校英語でもローマ字(ラテン文字)を扱う」と考えれば、間違っていない。とはいえ、この解釈はなかなか苦しいか。

ヘボン式は英語風、訓令式は規則性

教育関係者の間では「釈迦に説法」レベルの話で恐縮だが、ヘボン式と訓令式の違いを簡単に解説しておきたい。記事でなされていた解説では(記者の要約のせいかもしれないが)少々誤解を招くのではないかと思ったためだ。

ローマ字教育に詳しい清泉女学院大の室井美稚子教授(英語教育)は、訓令式について「日本語の音の大半を母音と子音の2文字で表すことができ、読み書きがしやすい」と利点を挙げたうえで「日本語の音に対応しているヘボン式と混同する恐れはある。訓令式は外国人に間違って発音されやすく、自分の名前や地名はヘボン式で書けるように指導する必要がある。自分で名刺を作製するなど楽しい活動を通じて練習させるべきだ」

訓令式は、日本人によって戦前期に考案された「日本式」の系譜につながるものである。日本語の音韻体系に即したものとされている。その点で規則性を重視している。なぜ規則性を重視したかといえば、漢字かな混じり文に代わるオルタナティブな書記法を目指したからにほかならない。

驚く人もいるかもしれないが、戦前からローマ字運動というものがあった。「非効率」な漢字や仮名を廃止して、「効率的」なローマ字(アルファベット)書きによる日本語を確立しようとした人々がいた(現在もいる)。たしかに、ひらがな・カタカナだったらまだしも、漢字について学ぶのは膨大な時間がかかる。その点、ローマ字であれば26文字(大文字・小文字を区別しても52文字)ですむ。学習面から言えばたしかに効率的だ。このように、ローマ字とは日本語話者のための日本語表記法の話であり、日本語を知らない外国人等に補助手段として使ってもらうというのは、少なくとも主目的ではなかった。

一方、ヘボン式は、ヘボン氏(カタカナ語風に読むと「ヘップバーン」)というアメリカ人が広めた日本語表記法である。英語風につづることが、表記の規則性よりも優先されている。ここにはヘボン氏が英語話者という事情があったのかもしれない(よく知らない)。

こうした事情の違いは、記事のような「ち」だけの比較( ti vs. chi)ではわかりづらいかもしれない。た行をまるごと示したほうがわかりやすい。

・・・・ た- ち- つ- て- と

訓令式: ta- ti- tu- te- to

ヘボン式:ta- chi- tsu- te- to

訓令式の場合、どう発音するかにかかわらず、t- で統一しており、規則性がある。五十音表に対応付けているわけだからそれも当然だ。一方、ヘボン式は、「ち」と「つ」を英語の「綴り-発音」ルールに近づけて chi, tsu と表記しているため、規則性が崩れている。

この点は動詞の活用を見てもらえばわかりやすいだろう。

・・・・訓令式 ・ ・ ヘボン式

勝たない ・ kata-nai ・ kata-nai

勝ちます ・ kati-masu・ kachi-masu

勝つ・・・ katu・ ・ katsu

勝てば・・・kate-ba・・ kate-ba

ついでに、は行も示す。

・・・・は- ひ- ふ- へ- ほ

訓令式: ha- hi- hu- he- ho

ヘボン式:ha- hi- fu- he- ho

は行の場合も訓令式は規則性を保っているが、ヘボン式は英語風を目指したため、ふが fu という表記。なお、これはあくまで「英語風」に過ぎない。英語の food の /f/ の音と日本語の「ふ」の音は、そもそも発音が異なる。さらにややこしいことに、「ひ」の子音も英語の /h/ とは違う音だが、ヘボン式ではこの点は区別されていない。

(参考:Wikipedia「は行」の記事の「清音」の項を参照

要は、圧倒的に規則性があるのが訓令式で、非体系的で英語の知識がある人には多少馴染みがあるのがヘボン式ということになる。

Yahoo!ニュース意識調査では「統一すべし」が多数派

Yahoo!ニュースでもアンケートが行われている。

ローマ字の表記は一本化したほうがいい? - Yahoo!ニュース 意識調査

ヤフー意識調査の結果(2017年3月22日22:15時点の結果)
ヤフー意識調査の結果(2017年3月22日22:15時点の結果)

結果を見ると「統一すべし」という意見が多数派で、しかもコメントを見てみると訓令式ではなくヘボン式に統一すべしという意見がほとんどである。中には訓令式への嫌悪感丸出しのコメントもあって興味深い。

たしかに、築地を Tsukiji(ヘボン式)ではなく Tukizi(訓令式)と書くのはなんとなくカッコ悪い気がするのも、個人的にはわかる。ただ、その感情は見慣れないことによるか、あるいは英語風味による高級感のどちらかだと思う。

「外国人の発音しやすさを考えたらヘボン式」という理由はわからないでもないが、ヘボン式の「綴り-発音」対応ルールはあくまで「英語風」であってあらゆる言語に当てはまるわけではないことは付け加えておきたい。たとえば、フランス語やポルトガル語では ch- の綴りは「チ」ではなく「シ」と発音する。逆にブラジルポルトガル語では ti という綴りを「ティ」ではなく訓令式のように「チ」と発音する。

このように、外国人のうち英語を知らない人であれば、ヘボン式であろうが訓令式であろうが覚える負担は変わらない。いや、訓令式のほうが規則的である分、若干覚えやすいようにも思う。ただ、あくまで「若干覚えやすい」程度とも思う。訓令式であれヘボン式であれ、英語にも他の言語にもあまり見られない「綴り-発音」ルールはいくらでもある。日本語を何も知らない英語話者が「Ryukyu」や「hyakuyattsu」 という文字列を見て正しい発音がなんとなくわかるだろうか。

外国人の負担というのと同じ理由で、英語の知識がまだない児童にとっても訓令式のほうがいくぶん楽のような気もする。一方、英語学習がスタートして両者の「綴り-発音」ルールの違いに直面し混乱してしまうのではという懸念もわかる。しかし、最初に述べたとおり、どちらがより確からしいかはよくわからない。その混乱が大きな負担につながるかもしれないし、あるいは、たいした混乱もなく使い分けられるようになるかもしれない。まとめると「よくわからない」という歯切れの悪い結論である。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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