さらば、心優しきスピードスター 巨人・片岡治大引退に思う
さらば、心優しきスピードスター
巨人の片岡治大内野手が10月1日、現役引退を発表した。宇都宮学園高から東京ガスを経て2004年、ドラフト3巡目で西武ライオンズに入団。2013年のシーズン終了後にフリーエージェントにて巨人へ移籍。その後は度重なる故障に苦しみ、今シーズンは1軍での試合出場はなかった。通算13年間のプロ生活に別れを告げた。
わたしが「プロ野球ai」という雑誌で最も取材をさせていただいていたのが、入団当時からフリーエージェントで移籍するまでの9年間だ。とにかく、毎号、毎号、お話を聞き、こんな写真が撮りたい、あんな写真が撮りたいという無理な注文にも嫌な顔せず応えてくれた。イケメンで、ぱっと見た感じは派手だが、性格は繊細で、周囲に気を配る人だった。それを痛感した取材が「札幌遠征密着4日間」という企画だった。その名の通り、羽田空港の出発からホテル到着、球場への移動や試合後の様子など、ずっとカメラとペンが追う企画だ。記者にとっては「うっとうしいと思われるのではないか」「終始、追っかけて嫌な顔をされるのではないか」と、それはそれは勇気のいる企画であった。もしかしたら申請の段階で断られるかもしれないと覚悟も決めていた。
ところが、当時の広報担当者の第一声は「おもしろそうだね。ぜひ前向きに検討しましょう」。そして片岡選手からもなんと承諾をいただけて実現したのである。
バッグの中に入っていた印象的なもの
遠征先まで着いていき、まるでストーカーのように追いかけ回しても、片岡選手は嫌な顔ひとつしなかった。それどころか「撮りたい写真はちゃんと撮れてますか?」と、こちらの進行まで気にかけてくれた。
その密着取材の中で最も印象に残っているのが、「遠征バッグの中身を見せて」という企画だった。ゴロゴロと音を立てながら遠征用の大きなスーツケースを転がして取材用の部屋まで持ってきてくれた。
日用品に混じって、スーツケースにはおびただしい数のDVDと、数冊のノートが入っていた。DVDには各球団の投手のけん制球や投球動作を録画した映像が入っているという。そしてノートには対戦日記が記されているとのことだった。今では、選手は個人でタブレット端末を持っていて、球団の担当スタッフに言えば、見たい動画が共有フォルダに送られてくるそうで、以前より簡単に見たい映像を見られるようになっているらしい。しかし当時はまだタブレット端末がポピュラーではない時代。わざわざDVDに焼いた動画を遠征先まで持参し空いている時間に自分のパソコンで見ていたのだろう。
類いまれな俊足や、走塁技術を誇る片岡選手は「天才型」だと思われることが多かったが、こうして陰では誰よりも「走るための努力」を積み重ねていたのだ。
震えあがるような場面で走ってこそのタイトル
片岡選手の代名詞ともなっているのが2008年、西武対巨人との日本シリーズ第7戦での走塁だ。デッドボールで出塁すると、次の打者、栗山巧選手の初球でセカンドへの盗塁を決め、栗山選手のバントで3塁へ。続く中島宏之選手(裕之・現オリックス)のサードゴロの間に本塁へ突入し足で1点をもぎとった。4度、盗塁王に輝いている片岡選手だが、特筆すべきは「日本一を決める試合」やWBCのような大舞台で脚力を発揮してチームを勝利に導く勝負強さだ。そんな片岡選手の姿を見てしまっているわたしには、「日本シリーズのような大事な試合で走ってナンボ」「震えあがるような場面で走ってナンボ」という、走塁に対する極めて高いハードルが作られてしまった。片岡選手の存在が、今でもわたしの中の「走れる選手」の最高位なのだ。
状況判断に長けた、聡明な選手を
新聞報道によると、これからは指導者を目指し、後輩を育てたいと語っているそうだ。ぜひともこれまで培った技術を後世に残すため尽力してほしい。片岡選手のように状況判断に長けた、聡明で、走れる、かっこいい選手をたくさん育ててほしいと思う。どのようなチームで、どのようなカテゴリーの選手を育てるのかはまだわからないが、彼のプレーを受け継ぐ選手の登場を心待ちにしている。