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私たちは、新型コロナの「看取りのない死」と「送りのない死」をどこまで想定できているか

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
「いつでも会える」が当たり前でない時代に(写真:アフロ)

「もし私が、新型コロナにかかって入院したら、『人工呼吸器は装着しないで』というつもり」

4月3日の夜、東京都新宿区在住の石田恵さん(46、仮名)は、古い友人同士でつながっているLINEグループに、思い切ってそう書き込みました。

石田さんが、「友だちにも伝えておこう」と思ったきっかけは、NHKニュースでした。東海大学医学部の竹下啓教授ら医療倫理を研究する医師や弁護士で作る有志のグループがまとめた提言について取り上げていたのです。

竹下教授は「通常ではありえない状況で、医療者も家族も選択を迫られる事態がもしかしたら日本でも起きるかもしれない。そうなる前に、どう対応すべきなのか医療機関や行政が検討を進めておくとともに、患者の立場でどう選択するのか真剣に考えてもらいたい」と話しています。

出典:NHK「人工呼吸器が足りなくなった場合の考え方 専門家などが提言」(2020年4月3日)

今や、大人から子どもまで、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の影響が一切ないという人はいないでしょう。7日からは、東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に、特措法に基づく緊急事態宣言が出されました。

多くの人が、「自分が感染しないように」、あるいは「他の人に感染させないように」と、手洗いやマスク装着に可能な限り励んでいるでしょう。また、職場や家族の中では、社会的影響を調整し合って暮らしている人がほんどなのではないでしょうか。

感染拡大によって、「生と死」の境目が暮らしに近寄る気配の中、国内の医療体制が崩壊間近であるとか、患者数が拡大した海外の医療機関の事情についても、様々な情報経路から伝わってきます。医師が救命可能性の高い患者を優先させる「トリアージ」「命の選択」という言葉も、度々取り上げられるようになってきました。

しかしそれらのほぼ全てが、医療現場の事情であることが気になります。「命」は一人ひとりのものですが、一般の私たちはどこまで具体的に、新型肺炎を「自分や家族の生死の問題」として考えているでしょうか。

■最期の時間を家族と共有することができない「看取り」「送り」のない死

タレントの志村けんさんが3月29日に亡くなった後、遺骨になるまで亡骸に会えなかった親族の様子が報じられました。また、所属事務所からの情報として、人工呼吸器を挿管する際に、麻酔で眠ってから目覚めることがなかったことも伝えられました。

そのプロセスから分かるのは、新型コロナウィルス感染症による肺炎症状が重篤化し、呼吸不全や多機能不全に陥れば、いきなり意思疎通ができなくなる可能性や、亡くなった場合も、亡骸で葬送が行えない可能性があるということです。

「COVID-19は、他の肺炎や呼吸器疾患に比べて、最期の時間を共有できないほど、症状の進行が早い。さらに、患者さんに会えなくなりますので、家族は悪くなる過程を見守ってあげることもできない。患者さんは孤独に亡くなっていく。みんながそのことを想定しておかなくてはいけない」

そう話すのは、「ありがとうみんなファミリークリニック平塚」(神奈川県平塚市)の医師で院長の小宮山学氏です。

同院で新型肺炎の患者に接したことはないそうですが、小宮山氏の下に4月5日、米国で家庭医として働く遠い親族からこんなメールが届いたといいます。この親族は、新型肺炎で義理の母親を亡くした家族当事者でもあるということです。

「みんなが、人工呼吸器(が足りない)という話ばかりしているのが懸念だ。その話は重要だけれども、人工呼吸器を使用した時の死亡率は70%を超えているようだ。

DNR(Do not resuscitate)についても、もっと話し合うべきだと思う。なぜなら、もし人工呼吸器に乗ったまま死ぬときには、COVIDと一緒に一人きりで死ぬのだから」

(原文は英語。翻訳は小宮山氏による)

(人工呼吸器使用時の死亡率に関する筆者注:メールに貼られていたシアトルの事例について触れた論文中国を含めた各地のケースの記事を要参照)

DNRとは、「治療は受けるものの、心肺停止後の無理な蘇生は拒否する」という意思表示のことを指します。「No CPR(CPR=心肺蘇生法)」という場合もあります。

冒頭の石田さんがLINEグループで宣言した「新型コロナで入院したら『人工呼吸器は装着しないで」というつもり」というメッセージは、まさにこのDNR/No CPRでした。石田さんは、2年半前に早期癌で子宮を全て摘出した時から、家族にその意思を伝えていて、今回も思いは変わらないといいます。

志村さんの経緯や石田さんの投稿に触発される形で、新型コロナウィルス感染症の影響を、「自分や家族の生死の問題」という想定で考えているか、何人かに尋ねてみることにしました。

■気象解説者の片平敦さん 「多くの人は、自分が死ぬ可能性を想定していない」

初めに取材したのは、Yahoo!ニュース個人で「新型コロナウイルス対策に活かす「防災」的思考」と題した記事を3月28日に掲載したばかりの、関西テレビ気象解説者の片平敦さん(39)です。

片平さんは自身の記事の中で、「正常性バイアス」を持たないことや、最悪想定から安全サイドに立った対策を状況に応じて繰り出していけるような事前の備えが重要であると呼びかけました。

片平さんは講演で必ず、「震度7の地震に遭った1時間後に、自分がどうしているか?」と問いかけることにしているといいます。でも、「自分が死亡しているかもしれないと想定した回答がお客さんから出てくることは、まずない」そうです。

そんな片平さん自身の、「命」をめぐる日頃の想定を尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。

「実は、5歳の一人息子のために、5年間日記をつけ続けているんです。息子の様子だけでなく、子育てに寄せる思いや、親としての決断の理由なども記して、きちんとした資料になるように。息子が無事に大人になったら、プレゼントする予定です」

幼少の頃から気象解説者になると心に決め、10代で気象予報士の資格を取った努力家の片平さんらしい事前の備えではあります。

しかし、新型コロナウィルスに関しては、どの程度最悪想定をしているのでしょうか。

「自分が感染する可能性までは想定していましたが、自分や家族が意思疎通できない状態に陥るということまでは、思い至りませんでした。 私にも正常性バイアスがあるということですよね」

と、ハッとした様子で反応してくれました。

「ウィルスが蔓延していても、そうでなくとも、『自分はこうしてほしいと思っている』ということをタブーなく家族と話し合っておくことは大事ですね。防災においての『事前の備え』と全く同じことだと思います」(片平さん)

■志村けんさんの死去に、妹の突然死の記憶を重ねた会社員

志村さんの死去の報せに対し、妹が突然亡くなった30年ほど前の記憶を重ねたのは、東京都世田谷区で妻(45)と3人の子供と暮らす会社員の吉澤卓さん(45)です。

現在、ほぼ在宅で仕事を続ける吉澤さんは、日常の買い物を担当し、「ウィルスを家に連れて帰ってくる可能性は自分が一番高い」と思っているそうです。

この4月に入ってすぐ、吉澤さんの10歳の長女が発熱しました。その瞬間に、「一気に(あのときの)恐怖がよみがえった」といいます。

妹の死は劇的でした。近くのかかりつけ医に「風邪です」と言われていた妹が、1週間後、自宅で呼吸ができなくなったのです。ICUで蘇生を行いましたが、実りませんでした。当時はまだ幼かった吉澤さんですが、ものすごいスピードで「事」が起きていった記憶があるといいます。

「油断している暇はない。志村さんの件も、妹のときの感じにすごく似ている、と思い出してしまって」(吉澤さん)

こうした特有の事情のほかに、妻とも、亡くなった共通の知人の話をよくするという吉澤家。身近な人の死にまつわる話題は結構多い家庭であると自負はありますが、「新型肺炎で自分が死ぬかというところまでは、意識が到達していなかった」ということでした。

「取材を受けてみて、新型肺炎に関わらず必要な話だと感じた。もっと自分ごとにするためにも、自分たち家族が経験した『余命のない死』について、今の家族で話題にしておきたいと思った」

そう話してくれました。

■「いざという時の判断は2人の娘に任せる」ことにした国際線ベテランCA

都内に住む中村麻耶さん(43、仮名)は、日系エアラインのキャビンアテンダントです。テレワークや時差出社をしたり、感染症流行を理由に仕事を休んだりすることができません。

これまで、SARS、MARS、鳥インフルエンザなど、常に感染者と接するリスクと背中合わせで働いてきました。同時多発テロ事件も北米のステイ先で乗り越えました。今も、成田空港から飛び立つ時には、「帰ってこられないかも」と考えるし、大学生になった2人の娘たちにも「お母さんの仕事は社会情勢に影響される仕事。覚悟しておいて」と、繰り返し伝えています。

中村さんは、先月下旬の国際線フライト前のミーティングで、もしも、新型コロナウィルスの感染が疑わしい乗客がいた場合、中村さんが最初の対応にあたることを申し出たそうです。チームには、若いスタッフや、小さな子どもを育てているスタッフもいました。

「不測の事態を考え、チームのメンバーが少しでも安心して仕事ができるよう、子育てがひと段落した自分が最初の対応にあたることが必要だと考えたので」(中村さん)

2人の娘に対しては、成田に帰国後、「感染が疑わしいお客様には、お母さんが先にいくことにしたから」と、事後承諾をとったといいます。

中村さんは、もしも、自分が意思疎通できない状態になったら、どのような命の選択をするかについて、「2人の娘に判断を任せたい」と話します。

「見送る人の覚悟を考えることも大事。延命拒否したり、逆に延命したりしたことで後悔することがないよう、娘たちの気持ちが楽になる方法で決めて欲しいと、これから伝えておきます」(中村さん)

■夕食を囲みがてら話し合い、「入院したら医師に任せる」ことを確認し合った3人家族

千葉県浦安市に住むフリーライターの仲野マリさん(62)は、5日の夕食時に、夫(62)と娘(30)の家族3人で話し合いました。

仲野家では、家族の誰かが感染した場合の、隔離方法や生活、通院等の支援手段について、予め取り決めていたそうです。しかし、家族の誰かが、入院後に会えなくなってしまうかもしれない前提で話しをしたのは、5日が初めてだったといいます。

「我が家では、自分や家族が重篤になるとは想定していませんでしたので、改めて心の準備をしようということになりました。結論としては、医療については、『入院後は医者に判断を任せる』になりました。もちろん、感染者本人に意識がある間は、ちゃんと聞いておく。意思表示できなくなったら、家族の判断になるので、『あのときあんなこと言っていたよね』と思い出して決断できるよう、日頃から本音で話しておこうねと、確認し合いました」

仲野さんには、父親が亡くなったときのこんな経験を話してくれました。

喘息持ちだった仲野さんの父親は、生前から延命治療を拒絶する「リビングウィル」を表明し、日本尊厳死協会にも届けていました。

そんな父親がある日、発作を起こし、救急搬送されます。救命の過程で人工呼吸器が挿管されたため、家族から医師に「意識が戻らないようなら外してほしい」とお願いしたところ、「自呼吸(自発呼吸)が復活したら外せるが、そうでなければ外せない」と言われてしまったそうです。

仲野さんの父親はその後、奇跡的に自らの呼吸を取り戻しました。亡くなる前の数日間、人工呼吸器を外して家族と過ごすことができたといいます。

「あのとき、本人がどうしてもらいたいと思っているかという意思が確認できていることは、家族にとってはとても重要でした。その価値観のコンセンサスの上に、状況に応じて周りが改めて決断ができるという向き合い方は、大事なことではないでしょうか」(仲野さん)

■緊急事態宣言下でこそ家族で話し合いたい「リビングウィル」と「人生会議」

仲野さんの父親が表明していたという「リビングウィル」。様々な様式が存在しますが、自分自身で判断ができなくなった場合に備えて、患者本人が受ける医療における希望を記しておくものです。憲法で保障されている自己決定権に基づき、その意思は医師や家族との話し合いにおいて尊重されることが増えています。

しかし、新型肺炎流行下の現在、要介護度の高い高齢者介護の現場では、リビングウィルを確認したり、家族が話し合ったりできない状況が生まれています。

「高齢者の介護施設は、家族でも面会謝絶になっていて、事前に本人と家族を交えて話し合うことができないケースが発生しています」

そう憂慮するのは、兵庫県尼崎市で外来診療と在宅医療に取り組む「長尾クリニック」院長の長尾和宏氏です。同氏は最近、新型コロナウィルスの感染が疑われる症状があっても検査や診察を拒否された人の相談に応じる活動もしています。

「特に、要介護度の高い在宅の高齢者が発熱した場合の対応が難しいと感じる。誤嚥性肺炎の可能性が高いけれども、新型コロナ肺炎を疑い検査を要請して、もし陽性が判明した場合、その高齢者はどこに隔離され、どんな治療を受けるのか。もしも経過が悪い時、治療をどこまでされるのか……。医療的にも、社会的にも、今まで想定されていなかった事態が生じています」(長尾氏)

そもそも、救命のために人工呼吸器を装着する行為は、終末期における延命治療ではなく、両者を区別する必要があります。しかし、新型肺炎の場合、<命の選択>のタイミングがあっという間にやってくる可能性があることも事実です。

「集中治療医は、命を救うための医療をどこまでも追求しますが、もし長引けばここまでが救命で、ここからが延命、という線引きが困難になってくる。麻酔をかけて眠らせてから気管チューブを挿入しますが、本人の意思を確認する余裕がないことがある。志村けんさんのように、最期まで意識がないままということもある。もしも欧米のように、人工呼吸器不足という事態になれば、<命の選択>を提示される可能性もあります。だからこそ元気なうちに、『リビングウィル』を表明し、家族と『人生会議』を繰り返しておく必要があるのです」(長尾氏)

「人生会議」は、昨年11月に公開された厚生労働省のポスターがきっかけで炎上してしまいました。しかし本来は、本人の意思である「リビングウィル」を核にして、家族が医療者や介護者の助言を得ながら対話を重ねるのが「人生会議」です。

長尾氏は、「短期間に肺炎が重篤化する可能性がある要介護高齢者は、それを元気なうちに行っておいたほうが後悔がないのではないではないか」といいます。

また、今回話を聞いたもう一人の医師の小宮山氏は、「年齢に限らず、健康な若い人であっても備えておくべき段階に来ているのではないか」という考えを持っていました。

重篤化した後の治療には人工呼吸器や、ECMOと呼ばれる人工心肺装置が不可欠と報道されていますが、海外からの情報では、重症化した新型肺炎患者の呼吸器抜管の成功率は高くないようです。一方、日本ではECMOから離脱して回復した人が3月30日現在で40人中19人であると、日本集中治療医学会等が報告しています。

感染拡大の局面で、万が一の事態を具体的に想定することは、命の最前線で働くプロだけの仕事ではありません。医療的判断に伴って、本人や家族の中に起きる感情も大切なものです。究極の選択を迫られることを「自分事」として話し合っておくのは、健康なタイミングにしかできないのではないでしょうか。

みなさんは、家族とどこまでリアルに話をしていますか。

<家族で重点的に話し合っておくべきポイント>

・人工呼吸器をつけて欲しいのか否か

・それでも増悪した時、人工心肺装置(ECMO)をつけて欲しいのか否か

・もしも人工呼吸器やECMOを中止するなら、その判断はどうして欲しいのか

・これらの希望はどういう価値観(人生観や死生観)や家族の事情に基づいているのか

(医師の小宮山氏と長尾氏の話から筆者が作成)

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋と社会的養護を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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