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【神戸市】映画評論家 淀川長治の神戸ゆかりの地を訪ねる

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神戸市出身の映画評論家だった淀川長治。一定年齢層の方には、淀川長治が語った「はい、またお会いしましたね~」「さよなら、さよなら、さよなら」といったお決まりのフレーズを覚えている方は多いはず。淀川の神戸での足跡などを訪ねました。

淀川長治の生家近くの柳原蛭子(えびす)神社

淀川長治の生家が近くにあった柳原蛭子神社。
淀川長治の生家が近くにあった柳原蛭子神社。

淀川長治は、1909年(明治42年)に神戸市に生まれます。生家は、神戸市兵庫区西柳原町にある柳原蛭子神社の近くにあったと言います。柳原蛭子神社は、柳原のえべっさんとも呼ばれ毎年1月の十日えびす大祭でにぎわいます。

柳原蛭子神社
神戸市兵庫区西柳原町5-20
JR兵庫駅 徒歩5分


淀川が映画館に通った新開地

「聚楽館(しゅうらくかん)」跡地に建つパチンコ店。
「聚楽館(しゅうらくかん)」跡地に建つパチンコ店。

生家から近かった新開地は当時は今以上の繁華街。活動写真館や芝居小屋が軒を連ねていて淀川長治も新開地の映画館に通い、映画に染まるきっかけとなった街です。その当時の劇場で淀川もよく通ったという聚楽館(しゅうらくかん)跡地には、現在はパチンコ店が建っています。

チャップリンの姿がシルエットになっているBIGMAN。
チャップリンの姿がシルエットになっているBIGMAN。

新開地商店街にある、チャップリンの姿がシルエットになったゲートのBIGMAN。チャップリンは淀川長治とも関係が深い人物です。1936年3月に新婚旅行を兼ねてチャップリンが神戸港に立ち寄ることを知った当時映画会社の宣伝部で働いていた淀川はアポなしでチャップリンに会いに行きます。その時の淀川の熱意を感じたチャップリンと話が盛り上がったといいます。戦後にハリウッドでチャップリンと再会を果たすなど、淀川は日本でチャップリンを知る第一人者ともなりました。

BIGMAN
神戸市兵庫区新開地6丁目2
新開地駅 徒歩4分

淀川が選んだ映画スターが並ぶ メリケンシアター

メリケンパークにあるメリケンシアターの碑。
メリケンパークにあるメリケンシアターの碑。

メリケンパークには、「メリケンシアター」と刻まれた石碑があります。明治29年(1896年)外国映画上陸第一歩を記したのが神戸として神戸開港120年のときに設置された記念碑。

石碑の裏には淀川長治が選んだ世界の映画スターの名前がある。
石碑の裏には淀川長治が選んだ世界の映画スターの名前がある。

この石碑の裏に回ると淀川長治が選んだ世界の映画スター42人の名前があります。淀川が愛してやまなかったスターたちです。彼らの名前はスクリーンに見立てた石碑を眺めるように並べられた御影石にひとつずつ刻まれています。

スクリーンに見立てた石碑から見る風景は映画のワンシーンのよう。
スクリーンに見立てた石碑から見る風景は映画のワンシーンのよう。

その並んだ御影石からスクリーンの石碑を見るとまるで映画のワンシーンのような風景が見られます。淀川長治が選んだ石に刻まれたスターの名前を見ながらそれぞれの映画を思い返してみるのもよさそうです。

メリケンパーク
神戸市中央区波止場町2
元町駅徒歩 徒歩10分

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