おうちはディズニーのすぐ隣!他人事とは思えない、母と悪ガキ娘のポップな貧困『フロリダ・プロジェクト』
今回は本日公開の『フロリダ・プロジェクト』を、ショーン・ベイカー監督のコメントとともにご紹介します。
監督はiphoneで撮った『タンジェリン』という作品のスマッシュヒットで一躍名を上げた人。ロスを舞台にふたりのトランスジェンダーの友情を描きすごーく面白かった作品です。
世の中の端っこにいる人を描くのが好きなのか、今回の作品で描くのは、フロリダのモーテルで貧乏生活を送る、悪ガキの姉妹みたいに仲良く暮らす母と娘。とはいえポップでカラフルで、母娘のあまりの自由さにあきれるやら笑っちゃうやら、それだけでも楽しめるのですが、よくよく考えてみると現代社会のいろいろなこと―ー女性と子供の貧困はもとより、地域開発の問題、空き家、格差社会、ネットカフェ難民などなど、日本にも共通することがうっすら見えてくるという作品です。ということで、まずはこちらを!
物語。舞台はフロリダ、ディズニーワールド近くの安モーテル「マジック・キャッスル」。主人公のムーニー(7~8歳の女の子)は、母親のヘイリーとふたりで、そのモーテルの一室に暮らしています。ムーニーは女の子ながら「ガキ大将」という言葉が似あう存在で、同じモーテルに住む仲良しスクーティー(こちらは男の子)と一緒に、いたずら三昧の毎日を送っています。
ムーニーの母親(といってもせいぜい25歳)ヘイリーは、最近仕事をクビに。仕事を探すも見つからず、生活保護やミールクーポン、それからウェイトレスをしているスクーティーの母アシュレイから期限切れのドーナツやワッフルをもらったり、近隣のゴルフ場などでパッチ物の香水を売りつけたり――そして時には身体を売ったりしながら、どうにかこうにか食いつないでいます。
「マジック・キャッスル」の管理人であるボビーは、そんな二人をはじめ、身勝手な「住人」たちに振り回されっぱなし。
映画はほぼこの3人を中心に、モーテルに住む住人の日常を描いてゆきます。
この映画で抜群に面白いのは、ヘイリー&ムーニー母娘の史上最強の悪ガキぶりです。ムーニーはのっけから男の子を引き連れて「ツバ飛ばし」ゲームとかいいながら、他人の車めがけてつばをぺっぺぺっぺとやるわ、立ち入り禁止のモーテルの電圧室に入って全館を停電させるわ、「アイスのタダ食い」を目論んで店の前にセットし、客に「アイスが食べたいの、病気たから」と軽くカツアゲのようなことまでやってのけるわ、そりゃまあひどい悪ガキです。
一方、母親のヘイリーも負けてはおらず、家賃(というか宿泊費)を滞納しては開き直り、ムーニーの様々ないたずらにクレームを入れてくるボビーやその他の宿泊客にも常に悪態をついています。他人と言い争いになり、自分が身に着けていた*****(映画で見てください)を相手に叩きつけるという、えええええ!という驚愕の場面も。でもよくいるお金持ちのモンスターペアレントみたいな感じとはちょっと違う、そもそもこのヘイリーがまだまだ子供なんですね。でもムーニーのことだけは、子供である彼女なりに、すごくかわいがってる。二人は母娘というより、寄り添って生きる姉妹のようです。
まあ「こんなのが近所にいたらたまったもんじゃないな」とは思いますが、それでも母娘を憎めないのは、子供ならではの「したたかな明るさ」を持っているから。監督のショーン・ベイカーさんは言います。
ショーン・ベイカー監督 この映画を見た後には、その裏にある社会的な問題を感じてほしいなとは思っています。でもそのためには、彼女たちを人間として信じてもらわないといけない。“歪んだ社会の可哀想な被害者”とか“貧しいけれど清く正しく”みたいに描いてしまったら、観客はそこまでたどり着いてはくれませんから。
そして観客をそういう気持ちにさせるもう一つの要素は、ウィレム・デフォー演じるボビーの存在です(この役でオスカー助演男優賞候補)。彼はモーテルの日常が円滑に運ぶよう様々な世話を焼く管理人で、わがままな「住人」たちに振り回され、常に「……勘弁してくれよ(泣)」みたいな感じ。でもこの母娘に特に気に掛けるのは、別に母娘が好きだからではなく、彼女たちが住人の中で一番危なっかしいから。その父性的優しさと人間味は、この映画の最も素晴らしいところなのですが――彼のおかげで避けられているトラブルを見ると、母娘が社会の中でどれだけ弱者であるかも見えてきます。思えばムーニーはぜんぜん学校に通っていないし、本来責任を等分していいはずのヘイリーの夫は影も形も現れません。
さて原稿を読んでる皆さんも、そろそろ「ちょっと待って」と言いたくなる頃でしょう。私もこの映画で最初にびっくりしたこと、それは「アメリカのモーテルって、いわゆる“(貧乏旅行者の)宿泊施設”じゃないの?」ってこと。本来はそうなんですが、地域や場所によっては「住んでる人」のほうが多いようです。イメージとしては日本のドヤ街の「木賃宿」、つまり定職に就けないために(または低所得すぎるために)住宅の賃貸契約を結べない人の住居代わりになっちゃっているわけです。この映画のミソは、そういうアメリカ全土にある場所の中から、「ディズニーワールド」と目と鼻の先のエリアを選んだこと。
その開園時1971年(ちなみに多摩ニュータウンの第一次入居と同じ年)にはそりゃもうお祭り騒ぎだったに違いないその周辺は、50年近くたった今、その「夢のあと」――建物全体がピンクパープルの「マジック・キャッスル」(そもそもこの名前もwww)を始め、ドーナツ型のドーナツ屋とかアイスクリーム型のアイスクリーム屋など――が残骸のように残っているんですね。フロリダの明るい日差しの中で意図的に鮮やかに色彩調整された映画の世界は、だからすごーく陽気なのですが、妙にかわいいパステルカラーの建物が実は廃墟だったりもして、よく考えてみるとすごーく奇妙な世界です。
タイトルの「フロリダ・プロジェクト」とは、ディズニーワールド開発の際の最初の仮名でもあるんですが、「プロジェクト」という言葉それ自体が「低所得者向け公共住宅」「貧困地域への支援活動」という意味もあり、ダブルミーニングみたいになっているんですね。
この母娘のこんな生活が、当然ながらいつまでも続くわけがありません。結末がどうなるか。どう考えてもハッピーエンドにはなりにくい展開の中で、この理屈を超えた最後の飛躍が、「マジカル」という言葉に例えられるこの作品の素晴らしさです。映画のラストに誰もが納得する「一件落着」を望む人も多いですが、実際の生活ではそんなことありえませんよね。もちろん「ありえないからこそ、せめて映画の中ぐらいは」という人もいるでしょうが、そうであれば「ありえないなら、どんな“ありえない”ラストでもいいはず」という考え方もあります。ここで取ってつけたような「めでたしめでたし」をやるくらいなら、いっそのこと!という「オープンエンド」(決着をつけないラスト)のほうがいい。映画の種類は全く違うものの『ラブレス』のズビャギンツィエフ監督もおっしゃっていたように、一件落着してしまうと、映画が提示した問題は観客の中で「あー、よかった」で終わってしまうんですね。
ショーン・ベイカー監督 大人になると失われてしまうけれど、子供は自分の日常を過ごしやすくするために、イマジネーションを使うことができる。そういうラストだと思います。僕は映画を観ている人に笑ってほしいし、登場人物を愛して抱きしめてほしい。そしてうちに帰ってインターネットに直行して、アメリカ中でどのくらいの家族や子供たちがどのくらいの家族や子供たちがモーテル暮らしをしながら育っているのかをリサーチしてくれたら。それこそが本当にマジカルなことですよね。
とまあ監督がこうおっしゃるので、最後に、私なりに調べてみたことを。
アメリカのハワイを除いた49州の貧困ラインはざっくり年収1万2000ドル。2013年とちょっと古いデータですが、フロリダは平均年収が50州中40番目なので、これより少し低いかもしれません。でもってこれを下回る人たち(相対的貧困率)は人口全体の17.1%。この数値は「ひどい格差社会!」と言われるアメリカ全体の数値とほぼ同じです。
ついでにと思い、日本も調べてみたら――なんと。最新のデータで(2015年)で貧困ラインは122万円で、貧困率は16.1%。てかアメリカとたいして変わんないじゃん!と思ったのは私だけではないはず。さらに言えばその貧困ライン自体が、平成9(1997)年をピーク(149万円)に下がり続けているんですね……。
アメリカのモーテル暮らしな人々は、いわゆる「潜在的ホームレス」と言われる層ですが、以前その筋の専門家に取材した時に聞いたのは、日本ではニート、引きこもり、ネットカフェ難民などがこれにあたり、彼らが居場所を失う20年後(親世代が死に、本人たちが年齢的に就職がより難しくなる)にはどこまで膨れ上がるかわからないんだとか……。にわかに怖くなっちゃった私なのでした。
【参考資料】
United States Department of Health and Human Services(HHS) figures for Federal Poverty Level in 2018
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.