ニューロダイバーシティ社会 「私たち」「彼ら」の分断された現代社会に必要とされる生き方とは
ニューロダイバーシティ(Neurodiversity、神経多様性)とは、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方だ(経済産業省)。
ニューロダイバーシティへの取組みに注目が集まるなか、ノルウェーの事例がドキュメンタリー映画となり、これからの社会の在り方を提案している。映画『Ola - En helt vanlig uvanlig fyr』はノルウェー語で「オーラ、平凡で普通じゃない男」を意味する。心温まる、正直な映画だ。30歳のオーラは軽度の知的障害を持ち、「ヴィーローセン」(Vidaråsen)という実在するノルウェーの村に住んでいる。ここには様々な「診断名を持つ人」と、「診断名を持たない人」が共存している。自然に溢れた静かな村で、ゆったりとした時間を送りながら、小さなコミュニティは包容力、理解、互いへのリスペクトに基づいている。
「自分はどこに属しているのか」
オーラは献身的で、優しく、おもしろく、正直な人だ。軽度の知的障害を持つことについてもオープンに「不思議そうに」話す。オーラは高い分析力を持っており、ノルウェー社会に対する彼側の視点が共有されている。「自分はどこに属しているのか」という「帰属意識」にも触れながら、「ありのままの自分でいられる」場所はどこなのか、他者と長期的な友情を築くことができるのかというオーラの不安と葛藤も露わになっている。
「私たち」「彼ら」の分断された現代社会
北欧社会では、男女、生粋のノルウェー人と移民背景のある人など、「私たち」「彼ら」という「溝」を象徴する表現がよく使われる。「私たち」「彼ら」という「oss」「dem」はまさに複雑で変化する社会の「分断」を反映しているのだ。オーラの住む村と、その外にあるノルウェー社会も「別々の社会」かのように登場する。ノルウェーに長く住む筆者も、映画を観ながら「こんな村が実在するのか」と「まるで別の国のようだ」と驚きを感じた。しかし、ここでオーラは「診断名を持たない人が多く住むノルウェーとデンマーク社会」と「診断名を持つ多くの人が住むノルウェーの小さな村」という「ふたつの社会」を横断する覚悟を決める。
この映画はそんなオーラの「成長の旅」でもあり、オーラやヴィーローセン村のコミュニティが分断された社会の「橋渡し」になることができる可能性と希望を示唆していた。
映画館に駆け付けたルブナ・ジャフリ文化・平等大臣は、「映画・アート・言語は私たちの『鏡』であり、本作は他者はどのように考えているのか、他者の視点で『よくある、普通ではない男性の人生』を知ることができる。オーラのことを誇りに思っています」と話した。また「勇気を振り絞って」、異なる社会を移動しなければ親友に再会できないオーラの旅に対して、「本来はそうであるべきインクルーシブな社会の形からはノルウェーはまだ遠い。障がい者も同じ権利を持てるように、私たち政府にはまだやることがある」とも述べた。
互いの違いを尊重しながら共存するニューロダイバーシティ社会とはいかなるものか。そのモデルをオーラの物語は提案している。
Text: Asaki Abumi