センバツ開幕!甲子園球場にしかないマンホール、その絵柄のTシャツを元球児が制作
■甲子園球場オリジナルのマンホール
「第95回選抜高校野球大会」が開幕し、連日熱戦が繰り広げられている。コロナ禍前のような活気が戻ってきた球場外周でふと足元を見ると、ほかでは見たことのないマンホール(正確にはマンホールの蓋だが、以下、マンホールと表記)に気づく。
阪神甲子園球場をデザインしたマンホールだ。これは球場敷地内だけにあるオリジナルの絵柄である。
この絵柄がTシャツ化され、西宮市のふるさと納税返礼品にも選定された。制作したのは足立拓海さん(ジャパンアンダーグラウンド代表)だ。自身もかつては高校球児で、甲子園への憧れもある。
「僕自身、野球が好きで、聖地である甲子園球場のデザインがアパレルとしてもオシャレだと思った。かつ、甲子園球場は西宮市を象徴しているので」。
甲子園球場にデザインの使用許可を願い出、快諾をもらった。
このTシャツは、自身のアパレルブランドであるジャパンアンダーグラウンドの「関西コレクション」と銘打たれた中の1枚で、同コレクションには甲子園球場のほかにも神戸市や宇治市など合計14種類のマンホールがデザインされたTシャツがある。(ジャパンアンダーグラウンド「関西コレクション」)
ジャパンアンダーグラウンドでは、「ファッション性の高いオシャレなマンホールのデザインをピックアップ」し、その絵柄をモチーフにしたTシャツを作っている。ただオシャレであるだけでなく、その地域を象徴するようなデザインであることも選考基準だ。「西宮といえば甲子園、甲子園といえば西宮」と、甲子園球場のマンホールデザインを発見するや即、採用したいと考えた。
2021年7月の「北海道コレクション」からスタートし、「東北コレクション」、「北陸コレクション」、「関東コレクション」、「中部コレクション」を経て「関西コレクション」まで南下し、甲子園にたどり着いた。現在「四国コレクション」まで制作が進み、今後は中国、九州、沖縄を目指す。
なぜこのようなマンホールの絵柄をモチーフにしたTシャツを作ったのか。そこには足立さんのこれまでの人生が大きく関わっている。
■聖地のマウンドから投げたことも
足立さんは1996年、トルコ人の父と日本人の母の間に生まれた。幼いころから阪神戦のテレビ中継が流れている家だったから、日韓ワールドカップの影響でサッカーを始めたものの、小学2年の秋には野球に転向し、中学・高校と白球を追い続けた。
実は小学4年の6月、聖地・甲子園のマウンドに立ったことがある。といっても当時行われていた試合前のイベント「スピードガンコンテスト」での登板だ。「あの場所を踏めるって、最初で最後かもしれないですよね(笑)」。
阪神タイガースのアンディ・シーツ選手から「頑張れ!」と声をかけられたことは、たいせつな思い出だ。
大学進学後はプレーする側から見る側になった。大学の野球観戦サークルで会長を務め、イベントを開催するなどして存分に野球観戦を満喫した。球場で応援歌を熱唱することが、なにより楽しかった。
大学生活を満喫しながら、将来のことを考え始めた。この顔立ちだ。幼いころからレストランに行くと英語のメニューを渡されたり、周りからも「英語しゃべれるやろ」と言われたりしたが、英会話はまったくできなかった。
「『いや、しゃべられへんねん、この顔で。おもろいやろ』っていう返しをして笑いをとってたけど、実はそれがコンプレックスで、自分の中でアイデンティティを傷つけられているような気がしていて…。どこかのタイミングで英語を勉強したいと思っていたんです」。
名前の「拓海」には、「海を拓くような国際的な人間になってほしい」という親の願いが込められていることも知っている。海外に挑戦したい、いずれは商社に入って海外でビジネスがしたい―。そんな思いが自身の中にあった。
■イギリスへ留学
そこで一念発起し、留学を決意した。19歳のころにスカウトされたファッションモデルの仕事でお金を貯め、大学3年になる2017年4月から翌年2月まで休学し、イギリスに飛んだ。ポピュラーなアメリカやオーストラリアなどではなく、イギリスを選んだのにはわけがあった。
「父がトルコ人なのでヨーロッパに住んでみたかったのと、本気で英語を学びたかったので、英語の本場であることと日本人の少ないところがよかった。すでに英語を話せるヨーロッパの人たちがブラッシュアップのために学びに来ているので、自ずと留学生のレベルが高い。そこで揉まれようと思った。また、ヨーロッパだったら国同士が近いので、いろんな国を回れるとも思いました」。
このような理由でイギリスへの留学を決めたが、「もともと英語が全然できない状態で行った」から苦労した。「なぜ来た?」「そんなのでやっていけるの?」など厳しい言葉も投げかけられたが、めげなかった。「二階建てバスに乗って『なんで来たんやろ』って悔しい思いもした。でも、絶対に見返してやろうと、死ぬほど勉強しました」。
そんな中、自ら編み出した勉強法がある。
「目に見えるものを全部英語にする。わからなかったらスマホですぐ調べてスクリーンショットする。帰宅したらその単語を英英辞典で調べて、その単語を使った例文をノートに書いていく。それを毎日反復していくと、わからない単語が減っていって、最初のころは(わからない単語の)スクショ画像が1日に100枚以上たまっていたのが、最後には10枚くらいになっていた。あぁ、これだけ英語がわかるようになったと実感しました」。
帰国時にはTOEICで955点を取得するまでになっていた。
■バックパッカーとして海外を探訪
勉強のかたわら、旅にも目覚めた。バックパッカーだ。ヨーロッパを周遊したり、サハラ砂漠見たさにアフリカにも足を延ばした。アイルランド、ポルトガル、スペイン、フランス、オランダ、イタリア、ドイツ、チェコ、モロッコ…さまざまな国を観光し、その土地の文化を満喫した。
帰国して大学に復学してからも海外熱は冷めることなく、長期休みを使って東南アジアやインド、南米などを訪れた。その数は40か国にも上る。
■念願の商社に入社するも…
卒業後は念願の商社に入社し、名古屋に配属された。しかしコロナ元年でほぼリモート勤務、家にいるのは苦痛だった。さらに将来のことを考えたとき、たとえコロナが明けても「ここでの働き方は自分には合わないんじゃないか」と、思い描いていた仕事ではないと気づいた。
「人生一度きりなら…って、せっかくきれいにレールを敷いてきたけど、もう外そうと思って。外すときは震えましたけどね(笑)」。
商社で働くことに憧れ、そのために英語も学んだが、こうと決めたら行動は素早い。次のアテも決めないまま、退社した。2020年12月のことだ。
学生時代に世話になったモデル事務所に籍を置き、フィラやゼットなどスポーツブランドのカタログ撮影やブライダルショーなど、モデルとして食いつなぎながら次の道を考えることにした。
そうしているうち、漠然とあったアパレルブランドを持ちたいという思いがムクムクと頭をもたげてきた。しかし「ただのそこらへんのハーフが『やりまーす』って言っても誰が買うねんと思って…。何か付加価値がないと商品として成立しない」と思案した。
■マンホールが好きだった自分を思い出す
そんなとき、ふと自身のスマホを開いてみると、画像ホルダーにはさまざまなマンホールの写真が収まっていた。ヒッチハイクで日本一周した学生時代、「マンホールはパッと見たらどこのものかわかるくらい、その土地の特色が凝縮されている。日本中、どこに行ってもそうなのが、本当にすごい。ガイドブックみたい」と日本各地のマンホールの、そのデザイン性の高さに魅了されて撮りまくっていたのだ。
それは地理好きの好奇心を満たしてくれるものでもあった。
また、スクロールすると海外の国々のマンホールの写真も出てきた。デザインが気に入って無意識に撮影していたようだ。撮ったことすら忘れていたが、当時からマンホールのデザインに興味があったのだと、その写真たちは教えてくれた。
学生時代はデザインが気に入って写真を撮っていただけだったが、商社時代にはマンホールについて深く調べたりもした。きっかけは配属先の名古屋でアメンボのデザインのマンホールを見たことだ。「なんで名古屋はアメンボなんやろ?」と疑問が湧き、そこからさまざまなマンホールを調べるようになり、どんどん“マンホール沼”にハマっていった。
表面の凹凸の意味や、「マンホーラー」と称されるマニアが存在することなど、調べれば調べるほどマンホールは奥が深かった。そして自分でも気づかないうちに、マンホールは確実に自身の中に棲みついていた。
■世界初!マンホールTシャツの誕生
そしてもう一つ思い出したのが、バックパッカーとして各国を回っていたころ、現地でお土産を買うのが楽しみで、中でも「お土産Tシャツ」を着て、その土地の名所で写真を撮るのが好きだったことだ。「海外のお土産Tシャツってかっこいい」と、そのデザインにそそられていた。
潜在意識の中にあったこれらが頭の中で一つに結びついた。そして「日本のお土産Tシャツって、私服で着られるようなかっこいいデザインがあまりない。“パジャマ行き”っていう印象がある。かっこいいマンホールの柄のお土産Tシャツを作って発信したい」と考え至った。
マンホールのデザインはその土地の周知に役立つし、地域振興の一助にもなる。かくして世界初(*注)の「マンホールTシャツ」が誕生することとなり、「日本を応援し盛り上げたいとの思いと、マンホールや下水道を意味する英単語」から、ブランド名を「ジャパンアンダーグラウンド」とした。
■4つの営業―使用許可、ふるさと納税返礼品、メディア取材、販売店舗の拡大
まずは北海道からと、寝泊りできるよう車を改造し、京都からフェリーで海を渡った。現地を回って気に入ったデザインを見つけ出す。デザインの権利はほぼ、その地の自治体が持っており、市役所や上下水道局に使用許諾を得る交渉をするのだが、すべて飛び込みだ。とにかく熱意だけは自信があった。
許可を得て製品ができ上ると、ネットで販売した。プロである自身がモデルを務めることでコストカットにもなる。また、コレクションを発表するときや、製品を持参してその自治体の長を表敬訪問するときなどには、地元のテレビ局や新聞社に取材してくれるよう働きかけるといった営業も、自ら行う。実績ができ始めると、逆に自治体側からオファーが来るようにもなった。
現在、7つのコレクション、51種類のデザインのTシャツを順次発表し、Tシャツ以外にもマグカップやトートバッグなども制作している。そして今ではネットだけでなく、全国で20を超える実店舗でも販売し、さらにTシャツは25以上の自治体でふるさと納税返礼品にも選定されている。
■日本が誇るマンホール
「マンホールTシャツ」の役割を、足立さんはあらためてこう語る。
「その街の名所や名産、文化や伝統を知ってもらうきっかけになるし、さらに興味がわいて訪れてもらったら町の活性化、地域振興にもつながる。住んでいる人も自分の街の良さを再認識できる。また、下水道にも興味や関心をもってもらえるのではないかと思う」。
日本が誇る文化ともいえる“街のガイドブック”。ふと足を止めて、マンホールに注目したくなる。
足立さんも昨年6月に野球観戦に訪れたとき、「うわ!『HANSHIN KOSHIEN STADIUM』って書かれたマンホールがある!めっちゃかっこええやん」と、甲子園球場のマンホールに気づいて感激したという。
折しも今、センバツ大会が開催中だ。応援に訪れた際にはぜひ、甲子園球場にしかないオリジナルのマンホールを探してみてほしい。
(*注)2021年7月 アンダーグラウンド調べ