一番低緯度で見ることができるオホーツク海の流氷(海氷) 暖冬の31年前にはサロマ湖で大きな流氷被害
一番低緯度で見られる海氷(流氷)
地球の海は、南極や北極に近い高緯度な極地方を中心に約1割程が凍っていますが、凍る海の中で1番の低緯度はオホーツク海南部域です。
海水は、冷やされると水温が低くなり、重くなって沈みます。すると、対流が起き、水温が相対的に暖かい下層の海水が上がってきます。加えて、海水は塩分濃度が約9パーセントもあるので、冬でも極地方を除いては簡単には凍りません。
しかし、アムール川から流れてくる大量の淡水は、海面に到達してもすぐには混ざり合わず、塩分濃度が低い状態が続きます。そのため、冷えても海水よりも比重が大きくならずに海水表面に留まりますので、冬には川から海まで凍り、これが流氷となって日本に流れてきます。
海氷(流氷)に覆われていない場合の沿岸付近の気温は、内陸ほど低くなりませんが、流氷が接岸すると地表面が冷やされます。海氷によって大陸の中と同じ状況になり、シベリアの寒気の影響をもろに受けるようになるからです。
また、海面からの水蒸気の補給がなくなるため雲が発生しにくく、日照時間が長くなりますが、太陽光をより多く反射するため、日射があっても暖まりにくくなります。
むしろ、放射冷却によって地表面の熱が奪われてしまいます。このため、気温は1月末に最低となって2月に入ると昇温する地方が多いのですが、オホーツク海沿岸では鍋底のように2月半ばまで低温が続きます。
北海道沿岸への流氷の襲来時期は、毎年1月中旬頃です。そして、2月初めには千島列島の南端に達し、その一部は太平洋に流出を始めますが、今冬も似た経過をしています。
現在、網走市付近など、オホーツク海沿岸に接岸している流氷ですが、次第に沿岸部から融けたり、遠ざかったりして、今月末には船舶の航行が可能となる、海明けになりそうです(図1)。
春の訪れが遅いオホーツク海沿岸にも、ようやく春がやってきそうですが、流氷は最後まで油断できません。
流氷の変化は春の解氷期に著しい
流氷(海氷)の変化は速く、特に春の融氷期は著しいときがあります。
1日のうちに見渡す限りの流氷原が流されてしまったり、逆に青海原が1日のうちに流氷で覆い隠されてしまったりすることも珍しくありません。
今から31年前、平成5年(1993年)3月27日には、オホーツク海と繋がっているサロマ湖に、千島近海の低気圧による北西の風にのって流氷が押し寄せ、カキやホタテの養殖施設に大きな被害が発生しました。
サロマ湖の流氷被害は、暖冬でサロマ湖が凍らなかったことが影響したというのは、サロマ湖の湖面が結氷していれば、サロマ湖の氷(春になるとゆっくり融ける)が流氷による被害を防いでくれるからです。
平成5年(1993年)1月から4月までの海氷域は、オホーツク海北部や中部ではほぼ平年並みであったものの、日本に近い南部では平年より狭い状態が続いていました。
このため、北海道のオホーツク海沿岸では流氷初日(視界外の海域から漂流してきた海氷が視界内の海面で初めて見られた日)が記録的に遅れました(図2)。
この年の網走の流氷初日、2月10日は、統計を開始した昭和21年(1946年)以来、最も遅い記録です。
遅れてきた流氷は4月はおろか、5月に入ってもなかなか去らず、流氷終日(視界内の海面で流氷が見られた最後の日)も遅れました。
網走の流氷終日、5月9日は、昭和40年(1965年)5月12日、昭和54年(1979年)5月11日に次ぐ、遅い記録の3位です。
流氷が少ない年であるにもかかわらず、流氷により被害が発生する。
自然界は複雑です。
図1、図2の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。