検察vs文政権…韓国で起きている’大バトル’の本質は「検察改革」めぐる天王山
新型コロナ拡散と並び、韓国で連日大きく報じられる法務部と検察総長の対立。事態は検察総長の追い出しという「見かけ上のゴール」に向けて進んでいるが、事の本質はより複雑だ。
●法務部長官の「実力行使」
「長官20人でも検察総長一人とは代えられない」
今から20年数年前、故金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が在職中に語ったとされるこの言葉は、2000人の検事を束ねる検察総長の力が最高権力者にとっていかに有用なのかを表している。だが、そんな検察総長が政権に牙を向いたらーーいま韓国で起きている事態の背景には検察の「強さ」をめぐる長年の葛藤が横たわる。
今月24日、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は突如記者会見を開き、尹錫悦(ユン・ソギョル)検察総長に対し懲戒を請求すると共に、その職務を停止すると発表した。理由は「監察の結果、検察総長に深刻で重大な非違(法に違反すること)嫌疑を多数発見した」というものだった。
秋長官が挙げた尹総長の「嫌疑」は以下の6つであった。
(1)検事倫理綱領違反:18年11月頃、事件に関係するテレビ局『JTBC』の実質的な社主と会って不適切な交流を行った。
(2)判事に対する違法な査察:20年2月頃、チョ・グク前法務部長官の事件など主要な裁判において、担当判事の個人情報や性向を調べて裁判に活用した。
(3)監察の妨害:20年4月と6月に、側近の部下の検事に対する大検察庁の監察を正当な理由なく中断させると共に、5月には過去の与党側の著名政治家収賄事件をめぐる捜査への監察を検察総長の権限を濫用し妨害した。
(4)情報の外部への流出:20年4月、(3)と同一人物である部下への監察が始まろうとする際に、「監察が一方的に行われている」とマスコミに情報を流し、報道させた。
(5)政治的中立という信頼の喪失:政治的中立に疑いを持たせるような言動を慎むよう憲法と法律に定められているのにもかかわらず、20年10月の国政調査の際に、退任後の政治家転身を宣言するような発言を行った。さらに次期大統領候補として世論調査で高い支持を得ている結果を前にしても、政治的中立を守る努力をせずに黙認した。
(6)監察対象として協力義務の違反:20年11月に検察総長を対象にした監察を行う際に、日程の協議に応じず、法務部の監察担当官の訪問を知らせる書類の受け取りも拒否するなど監察規定を違反した。
秋長官の決定に対し、尹総長は「違法で不当な措置に最後まで法的に対応する」と強く反発している。25日には職務停止措置の執行停止を求める仮処分申請を裁判所に行うと共に、職務停止措置そのものを取り消す訴訟を26日に起こした。
そして今日30日午前11時から、ソウル行政裁判所で仮処分申請の訴訟の審問が行われている。
裁判所が尹総長の申請を認容する場合、尹総長はひとまず職務に復帰することになる。結果は一両日中に判明する見通しだ。職務停止処置そのものの不当性に関する訴訟は数か月かかり、来年7月に尹総長の任期満了までずれ込む公算が高い。
●一年間続いてきた対立
判事出身で過去17年から18年にかけて与党代表を務めるなど当選5回の大物議員である秋美愛氏は、法務部長官に就任した今年1月以降、尹錫悦検察総長と正面から衝突してきた。
人事異動を通じ、尹総長の側近を要職から排除した。それと共に、政府に近い人士がお墨付きを与えたことで被害が広がったとされる数百億円の被害が出ている「ライム」「オプティマス」といったファンド詐欺事件、保守メディアと検察の結託疑惑という2つの事件において、2度にわたり検察総長の捜査指揮権を剥奪した。韓国では1948年以降、3度しかないケースだ。
さらに最近では、原発「月城(ウォルソン)1号機」の閉鎖を正当化するため経済性をわざと低く見積もった疑惑があるという監査結果を元に、政府の産業通商資源部などを強制捜査した尹総長を「政治的行為」と強く非難してきた。尹総長がみずからの政治的野心のために、18年と19年に却下した事案を蒸し返しているという主張だ。
そんな一連の動きの「完成」が今回の職務停止命令と見るのが妥当だ。秋長官は今後、12月2日に予定される法務部の検事懲戒委員会で具体的な証拠を挙げながら、尹総長を解任に追い込んでいくことになるだろう。時に過剰なほどの闘志を発揮する秋長官の性格が遺憾なく発揮されている状態だ。
だが、こんな秋長官の行動は市民にとって、「やり過ぎ」と受け止められているのが実情だ。
韓国の世論調査会社『リアルメーター』社が26日に発表した全国の500人を対象とした世論調査では「秋長官による尹総長の職務停止」について「良くやったこと」38.8%、「間違ったこと」56.3%という結果が出た。いつものように、与党系の進歩派市民は71.8%が肯定評価をした反面、野党系の保守派市民の76.6%が否定評価を下した。また自身を「中道」とした回答者の66.6%が否定評価に回った。
●類を見ない検察の強さ
それでも今回の秋長官の行動を支持する声も根強い。その背景には検察改革という、文政権の最も重大な公約であり、韓国社会にとって避けては通れない課題が横たわっている。
昨年8月にソウル大教授で元民情主席秘書官のチョ・グク氏が法務部長官候補となった時から、尹総長と文政権の葛藤は顕在化していた。
当時、チョ氏は文大統領と共に「検察改革」の必要性を最もよく理解する人物とされていた。このため、検察を守りたい尹総長がチョ氏に対し執拗な捜査を行い、衝突が起きていた(なお、私文書偽造や公職者倫理法違反、職権濫用など11の嫌疑で起訴されたチョ氏の裁判は未だ続いている)。
この衝突は結局、チョ長官が就任からわずか35日で退任することになり、検察側の勝利に終わったかに見えたが、次に法務部長官となった秋美愛氏は理知的なチョ氏とは異なるキャラクターの持ち主だった。ある与党関係者は筆者に「功名心や使命感が過度にあり、破格の決定を下したがる人物」と評している。「検察に売られたケンカを秋長官が買った形」(同)という見方だ。
他方、韓国で検察といえば最強集団だ。その強さを表現する言葉の一つに「検察共和国」というものがある。これは検察こそが韓国の主人であるという例えだ。2011年に出版され今も売れ続けている『検察共和国、大韓民国』という本では韓国検察の強さを以下のように表現している。
他国の場合、制度を設計する際に法律を通じ特定の機関が独占的な権限を行使できないよう権限を合理的に配分し、権力機関のあいだでのけん制と均衡を合わせることに重点を置いている。
しかしとりわけ韓国の検察は犯罪に対する直接捜査兼、警察の捜査に対する指揮権と共に令状請求権と起訴権までも独占している。それだけでなく、ある被疑者を起訴するかどうかの起訴裁量権も持っており、すでに進行中の刑事裁判までも中止させられる公訴取消権も持っている。
「できないことはない」という意味の「無所不為」という言葉がぴったりの組織が検察だ。
その強さは下記の表を見ても一目瞭然だ。文字通り世界でも類を見ない権限を韓国の検察は保持している。
●検察改革の悲願
だが真の問題は冒頭で挙げたように、その力を社会や市民のためでなく「政敵の除去」や南北分断・対立を口実とした「スパイのねつ造」といった風に時の権力者のために使うことにある。さらに政治権力の非理(違法行為)を見逃すことで蓄積される検察組織の権力そのものを守ろうと、検察の力を使うこともある。
文在寅大統領は在野人士だった2011年に出版した共著『検察を考える』という本の中で「政治権力と検察は互いに自身の権限を拡大し、既得権を極大化する」、「政治がみずから改革できない場合、その役割を検察が担当することになる。この過程で政治は検察に従属する」と検察の危険性を繰り返し指摘している。
さらに政治家のように投票により選出された職でないため任期も無く、けん制する組織が存在しない検察は韓国ではもはや手の付けられない集団であるという理解だ。ある議員が筆者に語った「国会議員が唯一怖がるのは検察だけ」という言葉は嘘ではない。
一方で、度重なる収賄疑惑や朴槿惠政権(パク・クネ、在職13年2月〜17年3月)時代に国政ろう断事件に「加担」したと見なされていることで、韓国社会における検察の信用度はもはや地に落ちているのもまた事実だ。
2019年5月から6月にかけて『韓国政策リサーチ』が行った「機関・対人信頼度調査」世論調査で検察の信頼度は23%と、国会(9%)に次ぐ下から2番目だった(国会が最下位というのもひどい話であるが)。
過去、こんな検察の改革に乗り出し挫折したのが盧武鉉政権(ノ・ムヒョン、在職03年2月〜08年2月)だった。捜査権の独占を警察と調整し、検察や国会議員を含む高位の公職者を捜査できる独立機関『高位公職者非理捜査処(公捜処、コンスチョ。現在は高位公職者犯罪捜査処に改名)』の設置を進めたが叶わなかった。
盧大統領もまた、収賄疑惑をめぐり検察が本人や家族、側近知人に行った厳しい捜査に耐えかね自死を選んだ。盧大統領の自死後に発刊された自叙伝の中でも、上記の改革を進めなかったことを強く後悔していることが明らかになった。
その盧大統領の最側近として、共に検察改革を進めてきた文在寅大統領はその意志を引き継ぎ、今は国会での6割近い議席数を用い法改正を含めた半ば強引なやり方で、『公捜処』の発足目前にまでこぎ着けている。
与党の李洛淵(イ・ナギョン)代表は「なんとしても年内に発足を」と盧武鉉−文在寅と受け継がれてきた宿願を叶えるために外堀を埋めている。『公捜処』設置が実現する場合、検察は強いけん制にさらされることになり、韓国社会は大きく一歩、前に踏み出すことになる。
●文大統領は「黙認」か
こんな文在寅政権の検察改革に対する意気込みを韓国の世論は支持してきたが、前述したように風向きが変わりつつある。
昨年10月に『韓国社会世論調査所』が行った世論調査では、回答者の61.0%が「検察改革の主張に共感する」と答え、「共感しない」とした36.1%を大幅に上回った。まだ検察改革への支持があった。
だが、今年8月に『韓国リサーチ』など4社が共同で行った世論調査では回答者の52%が「検察の飼い慣らしに変質するなど、当初の趣旨と変わっているようだ」と文政権と秋長官の検察改革のやり方に否定的な見解を示した。「権力機関の改革という当初の趣旨に合わせ進んでいる」と答えたのは32%だった。
ここで疑問になるのが、ではなぜ今、明らかに政権に不利になる判断を秋美愛長官が下し、尹総長と正面衝突したのかという点だ。
これについて、韓国政治と与党事情に詳しい李官厚(イ・グァヌ)慶南発展院研究委員(政治学博士)は30日、筆者との電話インタビューで「今回の職務停止の決定は行き過ぎかもしれないが、秋長官の性格を考える場合に充分にあり得る選択だ」と説明した。
李研究員はこのように、今回の騒動はあくまでも秋長官のスタイルが先走ったものとしながらも「本筋は検察改革の流れにある」(同)という見方だ。
市民団体も声を上げている。韓国一のアドボカシー(政策提言)NGOの「参与連帯」は秋長官の会見翌日の25日に立場表明を行い、尹総長には判事の査察などについて真相究明を行うべきとする一方、秋長官には「過剰な措置」と指摘し嫌疑について納得する説明をすることを求めた。
さらに文大統領に対し「結者解之」、つまり事態を複雑にした人物がこれを解きほぐすべきと主張し、解決を促した。実は今回、文大統領の存在感の無さは様々なメディアで指摘されている。
これについて前出の李研究員は「秋長官の決定を文大統領が事前に知らなかったことは考えられないが、秋長官のモチベーションなどを考えて黙認したのではないか。必ずしも大統領府が望んでいる形ではないかもしれないが、文大統領は検察改革の意思が固く『公捜処』の発足を望んでいるため、もはやどうにも動かせない今の状況を見守るだろう」と解説した。
直近の支持率が40%(韓国ギャラップ、26日)と下降気味の文在寅政権の影響はどうか。
李研究員は「来年4月の(ソウル市長、釜山市長)補欠選挙前に、『公捜処』を無事に発足させられるかがカギだ」と指摘する。「これに失敗する場合、今年1年間何をしてきたのかという批判を免れることはできず、政権には大きな打撃となる」と見通した。