吉田調書報道めぐる朝日新聞「報道と人権委」見解への疑問
11月17日、参院議員会館で弁護士の海渡雄一さんらが会見、12日に出された朝日新聞社「報道と人権委員会(PRC)」見解に対する批判を表明した。この見解は、福島原発事故をめぐる「吉田調書」に関する朝日新聞の5月20日付の報道について検証したものだ。海渡弁護士の批判内容については後述するが、11月13日付朝日新聞に全文公開された見解について少し説明しよう。
いうまでもなく9月11日の朝日新聞社長らの謝罪会見で、誤報であり記事を取り消すべきと言明された吉田調書報道だが、そもそもは封印されていた吉田調書を独自入手したスクープとして朝日新聞自身が新聞協会賞にノミネートしていたものだ。それが一転、誤報と断罪され、社長会見でいきなり、記事を書いた記者の処分まで公表されてしまった。
その後、社の内外から、あの記事は本当に取り消すべきものなのか、という批判が起き、大きな議論になりつつあった。12日に出されたPRCの見解は、聞き取り調査によって得られた朝日社内の記事をめぐる経緯などについて詳しく書いていて、それは大変興味深いものだったが、がっかりしたのは、結論が「記事取り消しは妥当」などと、会社の方針の単なる追認に終わってしまっていることだ。これではむしろ、記者を処分するという会社側にお墨付きを与えたようなものだろう。謝罪会見以降の議論はいったい何だったのかといささか失望せざるをえない。
ただそれは当初から危惧されていた。『創』11月号で、PRC元委員の原寿雄さんがこう語っている。「そもそもPRCは第三者機関と言われているけれど、司会をするのは3人の委員の中の1人ではないんです。僕らの時は局デスククラスが司会をやっていました。そうすると、朝日の社の意図・意思に基づいて進行がリードされるわけです」。
もともとは報道被害を訴える人の申し入れを受けて3人の委員が検証を行う委員会だから、3人のうちにジャーナリストが1人で他の2人はいわゆる識者という構成も本来はおかしくないのだが、今回は朝日新聞社の会社側の申し出で行うのだから、そもそもこのPRCによる検証でよいのかという疑問は当初から指摘されていた。社長が最初に「記事取り消し」「記者の処分」という結論を会見で発表してしまったものを、この委員会でひっくり返すことなどありえないように見えたからだ。そして案の定、会社の方針を追認する見解が出されたのだった。
この間、この朝日側の認定については、多くの論点から批判がなされてきたのだが、きょうの会見で表明されたのは、原発問題ないし原発事故の問題について以前から取り組んできた海渡弁護士ならではの内容で、なかなか興味深い。
見解全文をどこかのHPにアップするならリンクを張ろうと思ったのだが、今のところアップされてないようなので、以下に主要部分を紹介することにする。朝日のPRCの見解全文は朝日側のサイトで読めるので、ぜひ読み比べていただきたい。
11・12朝日新聞社・報道と人権委員会見解によせて
原発事故情報公開弁護団 弁護士 海渡雄一
第1 前提問題
1 東電撤退問題の本質
ウクライナではチェルノブイリ原発事故の収束作業で命を喪った消防士たちを悼む碑をみることができる。社会全体で、原発事故の危機の中で、命を捨てて市民を守った作業員に対する感謝の気持ちが表現されている。福島第一原発事故を引き起こした東京電力の経営幹部の法的責任は徹底的に追及しなければならないが、命がけで事故への対応に当たった下請けを含む原発従業員に対しては、社会全体で深く感謝するべきである。
私は、そのような思いで、原発労働者弁護団を組織し、福島第一原発の収束のための労働に従事している労働者を代理して、不必要な被曝を強いられた従業員の慰謝料請求の裁判や今も引き続いている危険手当のピンハネに対して東電と下請け会社各社の責任を問う裁判などを担当している。
多くの東京電力社員や関連企業の社員の生命の危機に際して、企業のトップとして社員の命と安全を考えたことは責められないかもしれない。原発事故災害の拡大を防ぐために労働者の命まで犠牲にしなければならない、原子力技術のもつ究極の非人間性が浮かび上がってくる。深刻な原発事故が生じて、これに対する対処作業が極めて危険なものとなったとき、このような労働は誰によって担われるべきなのだろうか。東京電力などの作業員の撤退という事態は、作業員の生命と健康を守るための措置であった。しかし、もし作業員の大半がいなくなり、事故対応ができなくなれば、その結果は多くの市民に深刻な被害をもたらしうる。
13日に追加公開された調書の中に、東電の下請けの南明興産社員の調書が存在する。この社員は15日の朝に2Fに避難しているが、その後4号機で火災が発生し、「あなたたちの仕事なんで戻って下さい」と東電社員から言われたが、上司が「安全が確保できない」として、この依頼を断り、柏崎に向かったと証言している。まさしく、火事が起きても、これを消しに行く者がいない深刻な状況が発生していたのである。
朝日新聞の吉田調書報道は、このような15日の朝の事故現場の衝撃的な混乱状況を「所長の命令違反の撤退」と表現した。事故対応作業を停滞させる異常な混乱が生じていたことは事実であり、個々の作業員に指示が届いていなかった場合があったとしても、本稿で客観的な証拠とも照らし合わせて論証するように、所長の指示命令に明確に反した事態が生じていたことは事実なのである。
取り消された朝日新聞の記事は、「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。現実を直視した議論はほとんど行われていない」とその末尾で述べている。
この記事の指摘は極めて重要であり、吉田調書が社会に突きつけている課題である。そして、今回の記事取消によって、このような重要な指摘・問題提起までを葬り去るようなことは、決してあってはならないことである。そのような観点から、このPRC見解の問題点を掘り下げてみることとする。
2 PRC見解の内容
11月12日、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会(PRC)」は、東京電力福島第一原発対応の現場責任者であった吉田昌郎所長が政府事故調査・検証委員会に答えた「吉田調書」についての朝日新聞5月20日付朝刊「命令違反で撤退」との記事を朝日新聞社が9月11日に取り消した件について、「報道内容に重大な誤りがあった」として記事取り消しを「妥当」と結論づける報告を出した。
PRCは1面記事「所長命令に違反 原発撤退」について、1所長命令に違反したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない、2撤退という言葉が通常意味する行動もなく、「命令違反」に「撤退」を重ねた見出しは否定的印象を強めている、とした。2面記事「葬られた命令違反」についても「吉田氏の判断に関するストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず、吉田氏が述べている内容と相違している」と指摘した。
この報告報道に接した多くの人は、9月11日の社長謝罪会見に続き、朝日新聞が極めて重大な誤報を行ったと信じたものと思われる。
しかし、私は、吉田調書などの公開を求め、情報公開訴訟を提起してきた原発事故情報公開弁護団の一員として、このPRC見解については以下のとおり重大な疑問を提起せざるをえない。そして、膨大な量のPRCの報告内容を読み込んでも、以上のような結論に至った明確な論拠を見いだすことは困難であった。PRCは取材記者に対しては事実と推測を峻別せよといいつつ、客観的に事実を確定できない経緯について推測の積み重ねにもとづいて論旨を組み立て、吉田調書報道を論難しているにすぎないように見える。
この問題をめぐって、私は雑誌「世界」11月号において、「日本はあの時破滅の淵に瀕していた」と題する論考を発表したが、今回PRCの報告を読み、ここに引用されている後記の原資料にも当たって確認した結果、朝日新聞の当初の「命令違反による撤退」とする報道の方が正確なものであって誤報とされるようなものではなく、記事全体を取り消した朝日新聞の判断は誤りで、これを追認したPRC見解こそが誤報であると確信するに至った。その理由を以下に詳述する。
朝日新聞社とPRCは、3月15日の福島第一原発の真実が何であったかを解明できておらず、真相をあいまいなままにして記事全体を取り消すことは、明らかに行き過ぎである。行われるべきであった作業は、続報記事をまとめ、一歩ずつ真実に近づこうとする努力を継続することだったはずである。事実の評価とその表現方法を理由として記事全体を取消すことは、調査報道に当たる記者を著しく萎縮させ、報道機関の取材報道の自由を損なうものであることをここで改めて強調しておきたい。
3 未解明の謎の究明こそジャーナリズムの責任
このPRC見解について、論評する際に、最初に確認しておくべきことは、3月15日の福島第一原発において、どのような事態が発生していたかについては、未だ解明されていない謎が多数存在するということである。
たとえば、
○清水社長が発言していた最終避難と吉田所長が午前6時42分に指示した福島第一原発構内での待避とは、どのような関係なのか。同じなのか、異なるのか。両者はどのように交錯しているのか。
○小森常務がテレビ会議で発言していた退避基準は作成されたのか。そこでは、どの部署の何人の要員を残すこととなっていたのか。
○緊急事故対策本部の要員は400名とされているが、この原子炉のコントロールのためには、どれだけ要員が必要だったのか。現実に残った69人の人員で十分な作業ができたのか。
○吉田所長ら69名が福島第一原発に残ったが、何をしていたのか。2号機では午前7時20分から午前11時20分までパラメータの計測をしない「空白の4時間」が発生し、この間に火災など深刻な事態が次々と発生した。
このように、真相はなお不明といわざるを得ない。今回の見解は、この謎を明らかにしようとしたものではなく、むしろ謎に挑んだジャーナリストの言葉尻を捉えて、矛先を鈍らせ、結局のところ真実にふたをしようとする者に手を貸したといわざるをえない。
まず、私は、真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はあるのかと問いたい。
4~7(略)
第3 なぜ、吉田所長は1F内待機を命じたのか
1 PRCの分析
PRC見解は吉田所長による1F内待機の指示の存在を認めながら、以下のような点から、実質的には、「命令」と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて「命令違反」と言うことはできないとしている。
しかし、吉田所長による1F所内待機の指示は、テレビ会議を通じて発せられている。当時の社内の指示はすべてこのシステムを通じて、緊急時対策本部長席に座って発話する方法でなされていたのであるから、この記録に指示が記録されていることをもって、このような指示命令が存在したことの証拠は十分である。さらに、前述したように、これを明らかに裏付ける、東電記者会見のプレスリリースと、保安院宛のFAX追加の指示などが存在していたことが明らかになった。指示命令は明確であり、指示があいまいであるとするPRC見解には根拠がない。
2 PRCが無視した吉田調書の記載(略)
3 2F退避の指示が途中で変更されたことは下請けの作業員の調書でも裏付けられる
2Fへの退避という方針は確立されたものではなかった。この日、本店で午前6時頃に演説をした菅首相の「撤退はあり得ない」という演説がなんらかの形で、この方針の動揺に影響した可能性もある。
このことは、今回新たに公開された東電下請けの南明興産社員の陳述書からも裏付けられる。該当箇所を、以下に掲げる。(略)
この調書では、14日の深夜に菅首相の演説があったことになり、客観的な事実とは完全に符合はしないが、いったん決められた2F退避の方針が官邸の意向で中止となり、その後、2号機の爆発(実際には4号機であった)によって、再度退避することとなった状況が説明されている。下請け社員の受けた印象の記録として貴重なものである。
4 所内に線量の低い箇所はあったのか
PRC見解の中で技術的に疑問な点は、福島第一原発構内には免震重要棟内より線量の低い箇所などはなく、所内待機の指示には合理性がないとしている点である。PRCは所員が6時42分の時点では、すでに免震重要棟の外にいるという事実を見落としているのではないか。柏崎刈羽メモに記載されている各地点の放射線量を比較すれば、このような主張には全く根拠がない。
PRCの見解によれば、午前6時42分に発せられた吉田所長の「構内の線量の 低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との指示(5月20日付朝刊報道は命令と表現)があったとき、「すでに第二原発への退避行動が進行している最中」だった。だとすれば、所員は全員でないにしても免震重要棟の外に出ている、あるいは外に用意されているバスに乗車していると考えるのが相当である。これは、PRCの見解によらなくとも、柏崎刈羽メモには午前6時27分に「退避の際の手順を説明」とある。東電が開示したテレビ会議の映像を見ても午前6時30分ごろから人の移動があわただしくなっていることが確認できる。福島第二原発に向けた退避行動がいったん起き、所員が免震重要棟から外に出始めているのは事実であろう。
そこで、各場所の放射線量をみると、柏崎刈羽メモの記述では、免震重要棟内の放射線量は15〜20μSv/h(6時29分)と外部より低い値が報告されている。しかし、免震重要棟の周り、すなわち所員が全員と言わないが存在している場所の放射線量は5mSv(5000μSv)/h(7時14分)と記述されている。そこに12分居るだけで一般の人の年間許容線量1mSvに達してしまうほどの高い線量である。したがって、所員を免震重要棟に安全に戻すこと自体が難しくなっていた。ただちに、別の場所に移動させる必要があったのである。
一方、例えば福島第一原発正門付近の放射線量は当時131.5μSv/h〜882.7μSv/hと柏崎刈羽メモには記録されている。所員が居る免震重要棟周辺の38分の1〜5分の1と低いエリアが存在している。所内の線量はバラバラであり、免震重要棟からでている作業員にとっては、極めて線量の高い免震重要棟付近より、線量が大幅に低い場所もあったのである。このような場所への移動の指示は合理的なものであるといえる。
福島第一原発の敷地は東西方向より南北方向の方が長い。正門は1〜4号機のほぼ真西にあり、敷地の北端や南端に比べて近い位置にある。吉田所長は調書の中で「免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言った」と述べている。正門付近は、所員が現に居る免震重要棟の周辺より「比較的線量の低い」ところであり、南北に長い敷地、あるいは風向きを考えると、この正門付近よりさらに「比較的線量の低い」ところが存在していたともごく自然に考えられるのである。
PRCは吉田所長の午前6時42分の待機指示が発出された時に所員の居た場所について、正確な理解を欠いていると言わざるを得ない。所員の多くがまだ免震重要棟にいるかのように誤解し、放射線量の比較に免震重要棟を基準としている。しかし、このような間違った前提から導き出された「所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった」「実質的には『命令』と表することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて『命令違反』と言うことはできない」などという総括はまさに誤った前提に基づく推測であると言わざるを得ない。
5 PRCが見解の基礎とした吉田証言には客観的裏付けが欠けている
吉田所長がいったんは格納容器の爆発の危機を想定したのは事実である。しかし、「その後は一貫して、格納容器の爆発を疑って、所員を退避させたと語っている」と断定する論拠をPRCはいったいどこに求めているのか。この柏崎刈羽メモによれば、時間が経つにつれて、格納容器の爆発の可能性があるかどうかを冷静に判断し、2Fに移動するのではなく、1F構内での待機へと判断をシフトさせた根拠となる記載が散見できる。
たとえば、午前6時30分には、吉田所長は「一旦退避してからパラメーターを確認する」としている。また午前6時42分の指示よりは少しあとになるが、午前7時6分の「1F-4 原子炉建屋の屋根に穴があいている、破片が下に落ちている」などの記載も、重要である。当初から、吉田所長は格納容器の爆発までは起きていない可能性があると考え、まだ残留できると考えて、指示内容を変更したと推測する根拠となりうる。そのことが、徐々に裏付けられて行っている過程と言えるだろう。
PRCは「以上からすれば、2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の『第一原発の所内かその近辺にとどまれ』という『命令』から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる」と結論づけている。しかし、柏崎刈羽メモという客観的資料を元に証言の裏付けをしているのは当初の朝日新聞の吉田調書報道の方であり、資料の裏付けのない証言をそのまま引いているPRC見解こそ、「推測にとどまるもの」といわざるをえない。
第4 結論
以上のとおりであって、吉田所長の1F構内待機指示は、柏崎刈羽メモに明確に記載されていたし、15日朝8時30分の東電本店記者会見で配布された資料にも明記されていた。そして、東電は、この会見時には、650名の2Fへの移動の事実が判明していたにもかかわらず、この事実を明らかにせず、退避した社員は1F近くに待機していると発表していた。650名の2Fへの移動は所長の指示命令に明らかに反しており、だからこそ、東電は記者会見においてこの事実を隠蔽したのだと考えられる。
吉田所長の1F内待機の指示の存在を認めながら、この指示があいまいなものであったかのように分析するPRC見解は、これらの客観的資料やこれと符合する吉田調書をあえて無視し、推測にもとづいて議論を組み立てている。事実と推測を混同しているのは吉田調書報道ではなく、このPRC見解の方である。
真実にたどり着いていない者に、真実を明らかにしようとする者を批判する資格はない。
朝日新聞社も含めて、すべてのジャーナリストには、3月15日朝の福島第一原発の真実を明らかにするという責任が残されている。