「知床観光船」遭難時の気象状況 寒冷前線が通過していた
北海道・知床半島沖で行方を絶った観光船は、24日朝の段階で、船体はまだ発見されていません。この観光船にいったい何があったのでしょう。
船体が見つかっていない現在、推測でしかありませんが、本来と逆に考えて「強く吹くはずの風が吹かなかった」という、知床半島の地形の影響があったのではないかと考えられるのです。
「ウトロの風が弱かった」ので遭難が起こったのでは
表題の天気図は4月23日(土)午前9時のもので、オホーツク海のところに「GW」というオレンジでマークされた記号があります。これは「ゲール・ワーニング(海上強風警報)」という意味で最大風速が17~24メートル、つまり台風のような強い風が、オホーツク海全体に吹いているということを示しています。また、地上では朝から強風注意報や波浪注意報が発表されていました。
その要因は、発達した低気圧や寒冷前線によるものです。報道によると、観光船は午前10時に出航し、海上保安本部に「浸水している」と通報したのが、23日の13時13分ごろ。この4時間ほど前に、知床半島付近を寒冷前線が通過しています。現場に近いウトロ(宇登呂)のアメダスデータで確認すると、当日の朝8時は西南西の風が吹いていましたが、それが9時には北北西に変わりその後、気温が急降下していきます。(下図参照)
朝8時の気温は14.6度もあったのに、14時は4.6度と、昼間の方が10度も気温が下がったのです。これは明らかに寒冷前線が通過したことを示しています。
ただ興味深いのは、これだけ明瞭な寒冷前線が通過したのに、ウトロの風向は北東の風が吹いたり南東の風が吹いたり、風向きが定まっておらず、しかも風が弱いのです。
一方、ウトロから直線で60キロほど離れた網走では、寒冷前線が通過した9時頃からは西北西の風が強まり、12時57分には最大瞬間風速25.1メートル(北北西)を記録しています。
つまりウトロも網走のように逆に風が強ければ、遊覧船の出発も当然、見合わせたろうと考えられます。
ではなぜ、明瞭な寒冷前線が通過したのにウトロでは風が弱かったのでしょう。
知床半島の地形の影響か
これは私の推測ですが、おそらく知床半島というオホーツク海に突き出た地形が関係しているのではないかと思います。
寒冷前線が通過したあとは、ふつう北西風が強まりますが、それが知床半島によって風が逆流して北西風を弱め、知床半島の西側では風が弱くなるということが有ると考えられます。実際ウトロの風は網走に比べると、平年で6割程度と弱くなっています。
つまり、ウトロを含む網走地方には、当日、強風注意報や波浪注意報が発表されていましたが、ウトロ漁港では風が弱く、また札幌管区気象台によると波の高さは13時で2メートル、13時半で3メートルとのことですから、出航時は波もそれほど高くなかったと考えられるのです。
過去にもあった「偽りの晴れ間」洞爺丸台風
いまから68年ほど前の1954年9月、北海道を襲った台風があります。青函連絡船の「洞爺丸」を沈没させたことから、「洞爺丸台風」と名付けられています。この洞爺丸は、なぜ台風が来ているにもかかわらず出航したのかというのが、沈没後の謎でした。関係者が亡くなっていることから不明な点も多いのですが、実は出航直前に空が晴れ渡り、風も弱まったのです。それで船長は台風が通過したと判断したのですが、実際には台風はまだ抜けきっていませんでした。
そして大遭難につながったこの晴天のことは、「偽りの晴れ間」として、いまに伝えられています。
今回の事故に戻りますが、寒冷前線によって外海は荒れているにもかかわらず、港の風は弱いので錯覚して出航してしまうというのは、海のプロでもありうることだと思います。風が強ければ躊躇なく運航中止を決められたでしょうが、風が弱いがゆえに判断を間違えるということがあったのかも知れません。
この時期、オホーツク海はサハリン周辺にまだ流氷が残っており、事故の起こった海域は水温が4度くらいしかありません。
こうした事故が起きた後から疑問点を述べるのはたやすいことだと思います。今回の事故に気象がどの程度関連しているのかは分かりませんが、「偽りの晴れ間」のような事象が色んな分野であることだけは確かでしょう。