ノルウェー感染者増で大学生を非難する風潮とジャーナリズムの関係
コロナ禍でまたノルウェーの若者が批判にさらされている。その対象は8月に新入生となる大学生だ。
「密になる若者が批判されるのは仕方ない」と思う人もいるかもしれない。
しかし、今回の若者批判は、「夏休み」、「酒に対する考え方」と「ノルウェーでニュースがどう作られるか」という背景も知っておくと、別の角度から考えることもできる。
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北欧ノルウェーでは6月後半から8月中旬まで続いていた長い夏の休暇が終わりを迎えている。8月になると在宅勤務からオフィスに戻る人も増加し、幼稚園・保育園~大学の教育施設も新学期を迎える。
同じく8月には高等教育機関に「ファッデルウーカ」(Fadderuka)という新入生を歓迎する社交習慣(歓迎週間)がある。大学にもよるが8月中旬に1~2週間ほど続く。
私が2009年にオスロ大学メディア学科で1年目を迎えた時にもファッデルウーカはあり、学科の先輩がボランティアとして各グループのリーダーとなり、新入生にたくさんのことを教えてくれた。
キャンパス内の案内、履修登録・勉強・試験のアドバイス、勉強面から生活面までいろいろなことを相談できる。交流は大学内だけではなく、街を歩き、飲食店でお酒を飲んだり。
街には「ファッデルウーカ中です」を意味するカラフルなTシャツを着た先輩が、新入生を引き連れて歩いている。
引っ越してきたばかりで分からないことが多い新入生にとっては大事なイベントだ。
誰もがこの伝統行事を好んでいるわけではなく、グループ内での相性によっては交流がほとんどされなかったり、グループを変える人もいる。新しい友人や恋人に出合える人もいる。
このカルチャーが新型コロナの新たな感染拡大の一因になる可能性は、ある程度は誰もが予想できただろう。ノルウェー政府や公衆保健研究所FHIは事前に注意喚起をしていた。
教育機関側も感染防止対策をしながら、新入生が安心して大学生活をスタートできるように、念入りに準備をしていたのだと思う。
しかし8月になり、全国各地でファッデルウーカが始まると、事態は良い方向へとは進まなかった。
感染の疑いのある人が自宅待機をせずに参加していたり、後に感染者がいたことがわかり大勢が自宅待機になるなど、続々と問題が発生。
公園で大勢でお酒を飲む学生たちの写真とセンセーショナルな見出しがトップニュースとなり始めた。
一部の大学生の行動は「若者」という括りでにされ、「若者」はまた批判対象となった。SNSでは若者を罵倒する言葉も飛ぶ。
「中止しろ」という声がニュースに何度も掲載された。
すでに一部の地域や学校ではファッデルウーカ自体を中止するという事態になっている。
大人は夏休み中に旅行はしたのに、「学生を歓迎する」はずの伝統行事に「中止」を求めるとは、私にとっては不思議なことだ。
勉強の機会だけでなく人との交流など、すでにたくさんの機会を失った若者たち。
なぜここまで若者はバッシングされ、人々は何に苛立っていいるのだろう?苛立ちの感情を増幅させているのは、なんなのか。
夏休み明けというタイミング、酒に対する考え方、ノルウェーのメディアの在り方など、異なる要素がカクテルのように交わった結果なのかもしれないと私は感じた。
クリック狙いのセンセーショナル記事
大きな写真
日本のメディアとは対照的に北欧メディアでは写真ジャーナリズムがより大きな影響力を持っている。そのため、記者ではなくカメラマンが撮影したカラー写真は、大きなサイズでネットや紙面を飾る。
その分、人の感情もあおりやすく、センセーショナルな見出しと同じ効果で、写真は読者に記事をクリックさせる装置となる。
大勢で酒を飲む学生の写真+もともと酒に厳しい国
若者(大学の新入生)とコロナを関連付けた記事では、公園でソーシャルディスタンスをとらずに、大勢が密集して集まり、缶ビールを飲んでいる写真が好んで使われている。
北欧はアルコールに対する考え方がとても厳しい。コロナ対策でも悲鳴をあげるのはナイトライフと酒を商売にする人々だ。
そもそもアルコールは公の場では禁止されているのだが、警察はそこまで見ていられないので、市民が公園や公共交通機関でアルコールを飲んでいても、普段は見て見ぬふりがされている。
もともと「感染を広げている」と報道され続けていた「若者」に加え、「酒」という要素が絡み合うので、大学生の写真を見てイライラする人が出てくる。
大勢で集まって酒を飲んでいるのは若者だけではない。大人だってするのに。
写真の一例(現地メディアサイトに飛ぶ。クリックすると写真を見ることができる)
- ベルゲンの公園に集まる学生たち(公共局NRK)
- トロンハイムで距離をとる学生ととらない学生たち(公共局NRK)
- 感染者が飲み会に参加していたことを報じるタブロイドVG紙
- 「学生たちはここでパーティーをしている」タブロイドのDagbladet紙
感情をあおる記事タイトル
ノルウェーではメディアのデジタル化が進んでいるが、閲覧数を稼ごうとセンセーショナルなタイトルがあふれている。
閲覧数狙いのタイトルは伝統的な大手報道機関や公共局でさえする。だから、タイトルで想像したことと、冷静に記事を読んだ後の感触が違うということはよくある。
一例
「対立させるメディア構造」に気づいていれば、もやもやする気持ちは抑えられるはずだが……
ノルウェーのニュースでは「誰か」と「誰か」を大げさに対立させて、注目を集める手法が以前から使われている。私もこれはオスロ大学のメディア学でニュースの作り方事例として学んだ。
ニュースで受ける印象ほど、当の本人たちや現場では対立構造は起きていないというのは、現場を取材していてよく感じることだ。
今、ノルウェーのメディアがしているのは社会と「若者」の対立だ。
この仕組みを知っていれば、読み手が自分の中で沸く感情にふりまわされることは減らせるのだが、コロナ渦となると冷静さは失われやすい。
※私はノルウェーのメディアからの影響を大きく受けているので、私も偉そうにいえる立場にはなく、同じようなニュースの作り方をしていることもある。
夏休みから復帰したジャーナリストたち
今若者が集中的に政府からもメディアからも注目を浴びる別の一因として、「社会議論に火をつける大人たち」が夏休みから職場に戻ってきたことも考えられる。
ノルウェーでは国会議員もジャーナリストも、夏休みはしっかりととる。だから夏休み期間は政治ニュースや社会議論のネタが激減する。北欧には日本ほど芸能人のような人々がいないので、エンタメニュースは少なく、政治が常に最もホットなネタのだ。
今年はコロナがあるのでそうともいえないが、政治家といつものジャーナリストが夏休み中は、ニュースの勢いがなくなる。川の流れの勢いがとても穏やかになるのだ。ジャーナリストが夏休み中は短期雇用で別のジャーナリストや新人が取材するが、ニュース執筆に対する姿勢や書き方などに違いがでるのは明白だ。
この時期は気が抜けたニュースが増えるので、夏休みやクリスマス時期は「キュウリの時期」とも言われている(野菜のキュウリのことだ)。
8月はキュウリの時期を終えたばかり。「よし、仕事だ」と張り切っている政治家やジャーナリストの前に今ある最も話題を集めそうな・人々の感情をあおるネタが、今年はこのコロナ渦でのファッデルウーカというわけだ。
感染防止対策をとる大学生もいる
ジャーナリズムとはそういうもの、ではあるのだが、「それほど読まれないから」という理由でニュースになっていないこともある。
ニュースにされないのは、感染防止対策を徹底している大学生たちだ。
誰もがソーシャルディスタンスを無視して、お酒を飲み、夜遅くまで飲み会をして、体調が悪いのにイベントに参加していて、自宅待機義務を無視しているわけではない。
でも、そういう人たちのニュースはあまりクリックされない。
『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』はスウェーデン出身のハンス・ロスリング氏が書いたものだが、ここにもあるように、悪いニュースのほうが広まりやすい。実際は良いニュースも同じくらいあるのに。
それでは何がニュースになるかはどう変えられるのかかというと、読者がどういうニュースをクリックするかをもっと意識して、クリックする記事を変えるだけで大きな効果がある。ニュースを作る人たちは、クリックされるテーマを記事にするからだ。
でも実際にそうしようという人は、どれだけいるだろうか。
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ここからは私の個人的意見だ。
ファッデルウーカのことが今ニュースネタになっていることは驚きではない。起きているなら報じられるべきだ。ただ、コロナ禍で「誰かをとことん責める」というフェーズを、ノルウェーの人たちはもうある程度終えていたのかなという個人的な印象はどうやら違ったようだ。
夏休み期間中の旅行者や集団感染を起こした観光船なども責められたが、今回の大学生に対する報じ方には違和感を感じ、学生を気の毒に思ってしまった。
メディア対応に慣れている大人と若者では受ける影響も違う。
ファッデルウーカはそもそも「新入生を歓迎する」カルチャーで、イコール「大勢で酒を飲む」だけではない。
学生や大学に重圧を感じさせ、新入生を歓迎する伝統行事まで中止に追い込む必要があるのだろうか。
社会でこれから大学生活をスタートする若者・新入生をこれほどバッシングする必要があるのだろうか。
この時期を逃すと学生に与える長期的なメンタルヘルスや学生生活の影響は大きい。
コロナ渦で学生はただでさえスクリーン越しでの授業が増え、人との交流を制限され、バイトも見つけにくく、精神的・経済的に受ける影響も大きい。
10~20代の若者に対する態度としては大人げないのではと思う自分がいる。
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全国各地で大学生に対する非難があまりにも強くなった。
学生に対する社会の批判と重圧があまりにも大きすぎるとして、教育機関がファッデルウーカを中止する動きもでている。
学生たちも反論している。感染防止対策を守るグループもあるし、そもそも政府が国境規制を緩和して旅行者が増えたことも感染者増加の一因なのに、どうしてここまで若者が責められるのかと。
それでもニュース全体を見ると、学生を責める記事のほうがクリックされているのだろうなという印象を受けるほど、責める記事が多い。
どの業界でも「多様性を」という声はあるが、メディアでも若い人や学生の立場がわかる人を雇うという多様性がもっと必要なのかもしれない。
今目立つのは若者の行為にイライラする世代による、上から目線のニュースだ。
若者がニュースの作り手であれば、記事の内容は変わっていただろう。大学新聞のほうが感情をあおる系が少ないのも、誰が書き手かが関係している。
今のノルウェーでの若者バッシングには、悪いニュースのほうがクリックされやすい、でもそうしないと経済的にやっていけないメディア側の事情や、ニュース作りの背景も絡んでいると思う。
旅行は数年後にもできる。でも、学校で得るものは、数年後に取り戻せるものではない。
北欧各国では感染者が増加傾向にあり、政府が規制緩和を停止し始めた。
大学の新入生に今これほど風当たりが強いのは、第2波がくるのではないかという見えない恐れやストレスの現れでもあるのだろう。
しかし、繰り返したように「ファッデルウーカ」とは新入生を「歓迎」する週のはず。今の状況は歓迎とはほど遠い。
責める行為が一線を越え、分断をうむだけでは何も前に進めないのではと、この1週間は改めて思った。
Text: Asaki Abumi