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【戦国こぼれ話】今も人気が高い豊臣秀吉の妻「おね」。その知られざる生涯をたどってみよう

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉の妻「おね」は、今も人気がある。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 最近のネットニュースで、豊臣秀吉の妻「おね」役は誰がふさわしいかランキングされていた。それぞれの世代によって好みがあっておもしろい。ところで、「おね」はいったいどんな人物だったのか考えてみよう。

■「おね」とは

 「おね」は、杉原定利の娘として尾張国で誕生した。杉原氏の来歴は、あまり詳しいことがわかっていない。おねの生年に関しては、天文10年(1541)、同17年(1548)、同18年(1549)の各説があるが、現在では天文18年(1549)誕生説が有力である。

 名前についても、「おね」が正しいか「ねね」が正しいか論争が続いており、最近では「ねい」も用いられている。女性の名前は非常に難しく、時代劇でも「ねね」「おね」「ねい」など、いくつもの名前が使われた。本稿では、「おね」で統一する。

 残念ながら、幼少時における「おね」の生活は不明である。成長して、「おね」は織田家の足軽組頭を務めていた浅野長勝の養女となった。そこには、深い理由があった。

■秀吉との結婚

 永禄4年(1561)、「おね」は母・朝日の反対にもかかわらず、織田家に仕えていた木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と結婚した。当時の秀吉は身分が低かっただけに、自由恋愛での結婚であった。

 「おね」は秀吉との結婚に際し、母の反対をかわすため、わざわざ浅野家の養女になったといわれている。「おね」のささやかな抵抗だったのかもしれない、

 反対された結婚であったが、やがて秀吉は織田家内で頭角をあらわし、順調に出世を遂げた。この間、「おね」は幼少の加藤清正や福島正則を養育した。のちに、彼らは「おね」に恩義を感じ、豊臣家を支える存在になったのである。

 天正元年(1573)、織田信長が近江国浅井氏を滅亡に追い込むと、秀吉は近江坂田郡など三郡を領有し、大名へとのし上がった。このとき以降、秀吉は出陣する機会が多くなったので、「おね」は留守を預り家中を守り立てた。当主が不在のとき、その妻が家中を取りまとめるのは珍しいことではなかった。

■秀吉との夫婦愛

 このように2人の生活は順調であったが、唯一困ったことは、子に恵まれないことだった。しかし、秀吉は多くの側室を抱えながらも「おね」を愛し続け、養子をもらって家の存続を図った。あるとき、「おね」は秀吉の主君・信長から書状を受け取った。

 内容は、「重々しく振る舞い、嫉妬をせず秀吉を扱うように」というものである。実際、秀吉は「おね」に対し、妻を思う多くの手紙を送っている。こうした微笑ましいエピソードから、かえって2人の夫婦愛を感じることができる。

■「おね」の地位は低下したのか

 天正13年(1585)、秀吉は関白に就任し、「おね」は北政所(関白の女房の意)と呼ばれるようになった。秀吉の側室・淀殿に鶴松(早逝)そして秀頼が誕生すると、「おね」の地位が相対的に低下したといわれている。

 やがて、「おね」は、必然的に豊臣家の中枢から離れざるを得なくなったという。事実、「おね」は秀吉の死後に出家し、豊臣家は淀殿・秀頼が掌握した。夫が亡くなると、正室が出家するのは当時の習わしだった。

 しかし、「おね」の地位が低下したというのは、本当なのだろうか。

 最近の研究では、必ずしも「おね」の地位が低下したわけではないと指摘されている。「おね」は秀吉の死後も豊臣家を支えており、必ずしも淀殿と対立した関係にはなかったという。

 テレビ時代劇などでは、「おね」と淀殿との確執がお決まりのように取り上げられるが、それは必ずしも事実とは言えない。逆に、2人の良好な関係がうかがえる史料が残っているくらいだ。

 慶長20年(1615)5月、豊臣家は大坂の陣で滅亡した。「おね」は京都に高台寺を建立し、秀吉の菩提を弔いながら静かな余生を送った。徳川家康からは、化粧料として1万6千石を与えられた。そして、寛永元年(1624)、「おね」は波乱の生涯を閉じたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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