映画「リバウンド」のモデル、チョンギボムが語る実話の裏側と今。「僕の人生は諦めない“リバウンド”」
6人の選手と若き監督が起こした奇跡
4月26日に全国ロードショーを迎えた感動青春ムービー「リバウンド」。
舞台は今から12年前の2012年、韓国・釜山。かつては名門ながら、廃部の危機に陥った釜山中央高校バスケットボール部が、たった6人の選手と若き熱血監督によって全国大会の決勝進出を果たす――この奇跡のような実話が映画になった。当時の風景や試合の躍動感を再現し、そのリアリティ溢れる演出とスクリーンから伝わる「人生のエール」に韓国で話題を呼んだ作品だ。
この映画の主要モデルであり、釜山中央高校のキャプテンで司令塔を務めたのが、2022-23シーズンにアジア特別枠としてBリーグの福島ファイヤーボンズでプレーしたチョン ギボムだ。また、劇中では2023-24シーズンにBリーグの金沢武士団に所属していたパク セジンもキーマンとして登場する(劇中では改名前の「ハン ジュニョン」の名前で登場)。
実は、チョン ギボムは高校3年の夏、FIBAとNBAが主催する「BWB(バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ)アジアキャンプ」のメンバーに選出されて来日している。当時「たった6人で全国大会決勝進出」が韓国で話題になっていたこともあり、筆者は本人に当時の奮闘ぶりを取材している。あれから12年の月日が経った今、日本での映画公開に伴い、チョン ギボム本人に改めて映画の舞台裏をインタビューする機会を得た。
現在は韓国の水原(スウォン)市にある「B.I.P」(Basketball is Passion)というバスケットボール教室で、スキルトレーナー(スキルコーチ)として活動しているチョン ギボム。このインタビューに入る前に近況を聞いたところ、本人から「実は僕はまだ引退していないんです」との発言が飛び出した。聞けば、プロ選手復帰に備えて現在はバスケットボールの指導をしながら、練習に励んでいるという。
Bリーグでプレーをした感想、現役復帰に向けての近況を織り交ぜながら、映画「リバウンド」の舞台裏や、日韓バスケ事情の違いなどをチョン ギボムの言葉で紐解いていく。
映画の舞台裏① なぜ名門バスケ部が廃部寸前の危機に?
韓国の部活動事情は日本とは異なる。日本の学校では実力を問わずに入部できる運動部があるが、韓国の学生でスポーツをする者は実力を見込まれた少数精鋭のエリートで、数少ない強豪校から勧誘されて競技をする場合がほとんど。そこからふるいにかけられ、名門大学、プロへと進出する。
現在ではユースチームの設立やスキルトレーニング施設の開設、幼少期の選手発掘によって、成長の場は部活動以外にも広がりを見せているものの、少子化によって、韓国のバスケ人口は日本よりもはるかに少ない。そうした背景の中で、アクシデントにも負けずに成長する姿が映画で描かれている。韓国の高校ではいくつかの主要大会があるが、この映画の舞台となったのは、毎年5月に開催される「バスケットボール協会長旗杯」だ。
――映画「リバウンド」は昨年韓国で上映されました。実際に鑑賞した感想は?
とても感動しました。僕たちの話が映画になるのは不思議な感覚でしたね。チャン ハンジュン監督がよく作ってくださったので、面白く出来上がっていました。細かい部分で違うところはあるけど、大筋は実話のままです。
―― かつては全国大会優勝の経験がある釜山中央高校。なぜ、当時は廃部危機になるほど部員が集まらなかったのですか?
僕たちのチームが地方(釜山)だったので、選手を集めるのが難しかったのです。地方のチームは選手の確保が円滑ではないんです。もともと地方に選手がいないのに、その中でも背が高くて上手い選手がみんなソウルの強い高校に行ってしまうので、選手が集まらないのはしかたなかったです。
――釜山中央高校といえば、過去にチュ スンギュン、カン ビョンヒョンなど韓国代表を輩出し、現役代表ではヤン ホンソク(昌原LG、今年5月末から兵役で国軍体育部隊に所属)の出身校。そんな名門校でも、廃部寸前に追い込まれてしまうものなのでしょうか?
釜山には東亜高校というライバルチームがあって、東亜高校のほうが長い歴史があって強かったので、釜山で上手な選手は東亜高校に進学してしまうんです。その他の選手はソウルに行ってしまいました。
――チョン ギボム選手(以下インタビューでは「ギボム選手」と表記)はどうして釜山中央高校に入ろうと思ったのですか?
カン ヤンヒョン監督に熱心に誘われたからです。映画にも出てきますが、監督に「一緒に成長しよう」と言われて(釜山)中央高校に行くことにしました。もともと僕は釜山ではなく、金海(キメ)という空港がある釜山近郊に住んでいました。監督の誘いで中央高校に入ることになったので、そのために中3のときに釜山市内の学校に転校し、実家と離れて住んでいました。
映画の舞台裏② 題名「リバウンド」に込められた思い
――劇中、バスケ部を指導するカン ヤンヒョン監督はとても情熱的な方でした。実際はどんな監督さんでしたか?
熱意がありすぎましたね(笑)。 そして若かったです。 僕たちを指導してくださった当時は30歳くらいだったので若い監督でした。だから熱意がありすぎで、若さで僕たちを引っ張ってくれたんだと思います。
――大会の途中で怪我人が出てしまい、5人だけで戦ったことは体力的にも精神的にも厳しかったと思います。どのような心境で戦っていたのでしょうか?
もともと、怪我を抱えながら戦っていた選手が一人いたうえに、大会中に怪我人が出たから大変でした。怪我をしてしまったのが僕のバックアップのガードだったので、ドリブルで運べる選手が僕以外にいなくなったことも大変でした。
また、シックスマンの選手を含めて、高校からバスケを始めた選手が3人もいたので大変でした。だから、5人になってしまった時は、少しあきらめようかとも思いました。あの時は本当に辛かったです。
――大変な状況の中で、決勝に進出した要因は何だと思いますか?
最初、僕たちは「予選突破を目標に頑張ろう!」と言い合って、楽しもうという感じでしたが、どんどん勝って本選まで進んだので、「せっかく、ここまで勝ち上がったのだから最後まで全力でやってみよう!」みたいな感じになりました。もともと、部の存続が厳しいほど大変な状況だったのだから、ここまで来たら頑張るだけでした。僕もキャプテンとして、「一生懸命に楽しもう!」とみんなを励ましていました。それで、みんなが一生懸命にプレーをしたので、いい成績を残せたのだと思います。
それから、僕たちのチームは戦術こそ多くはなかったですが、監督が一度なら通じる戦術を用意してくれました。1試合に1回だけ、ここぞというところで使うんです。その戦術が成功したから勝てました(笑)
――困難な中で全国大会を戦い抜いたことで、学んだことや得たことは?
「僕たちだってやればできる!」ということを学びました。この映画のタイトルは「リバウンド」なんですが、シュートミスを取り返すにはリバウンドを取ることが大事ですよね。失敗しても諦めずにチャレンジすればチャンスをつかめる。その思いが「リバウンド」という映画のタイトルに込められています。何事も諦めなかったからこそ、6人で最後までやり遂げることができたんだと思います。
映画の舞台裏③「ソウルの学校に負けたくない!」
映画ではそこまでクローズアップされていないが、決勝進出の要因はチョン ギボムの絶大なる支配力があってこそ、と言っていいだろう。大会6試合で平均27.5得点、4.3アシスト、4.8スティールを記録し、優秀選手賞、得点王、アシスト賞、ディフェンス賞の4冠に輝いている。ゆえに当時は「天才ガード」と呼ばれ、2012年のU18アジア選手権では、韓国代表のメインPGを務めるほどの実力の持ち主だった。
ただ、いくら一人の実力者がいたとしても、登録6人で全国大会の連戦を戦い抜くことは並大抵のことではない。12年前の来日時に「どれくらい練習をしたのか?」と質問をぶつけてみると、チョン ギボムからは驚くべき回答が返ってきた。
――2012年にギボム選手に高校での練習量について取材した時に、「ソウルの学校には負けたくないから、ソウルの学校が一日8時間練習するならば、僕たちは10時間練習をします」と強気に答えていたことが衝撃的で印象に残っています。本当に一日10時間も練習していたのでしょうか?
多い時はそれくらい練習していました。僕たちの環境が劣悪だったから……。選手が少ない分、練習で努力をして体力をつけようという考えでしたし、地方の選手がソウルの学校にどんどん引き抜かれて移籍していくので、「ソウルの学校に負けたくない」という気持ちでした。結局、運動選手だから運動しか取り柄がないので、嫌になるほど運動をたくさんしました。でも、そのおかげで体力や身体能力的なことは鍛えられました。
――1日10時間練習とは、どのようなスケジュールで行われていたのでしょうか?
いちばん練習していたときだと、まず、1、2時間ほど朝練をして、9時半から12時まで午前練習。そして昼ご飯を食べて2時半から5時半まで練習。それから夕食を食べて夜の7時半から9時過ぎまで練習をしていました。
――疑問が2つ。1つ目は少人数で長時間練習をして、体力や集中力が途切れないのでしょうか? 2つ目の疑問は、休日ならともかく、授業がある日は10時間も練習できないと思うのですが、いつ授業を受けていたのですか?
まず体力については、僕たちは人数が少なかったので、ボールを持って動く練習より、走って体力をつける練習が多かったです。なので、体力はあったと思います。授業については、僕たちは(春・夏・冬休みなどの)休み期間や大会前になると、学校から許可をもらい、授業時間を割いて午前中から練習をしていました。僕が高校生の頃までは、そうやって授業を受けずに練習をしていても可能だったんです。
――BWBで来日当時、ソウルの景福(キョンボク)高校出身のチェ ジュニョン選手(釜山KCC)にも練習時間について質問しましたが「1日8時間練習する」と言っていました。確かにそれだけ練習すれば、体力もプレーの精度も鍛えられますね。
そうなんです。でも、今の韓国はこれじゃダメだとわかって、今のスポーツ選手は高校も大学も授業をきちんと受けるようになりました。今の学生は1日の練習時間が5、6時間くらい? いや、今は5時間も練習できないと聞いています。僕たちが学生の頃は、7、8時間練習をするチームが多かったです。
――以前の日本はどのカテゴリーでも韓国を苦手としていたし、韓国からは強気の姿勢が見えました。実際のところ、日本戦に対しては練習量の多さから自信があったのでしょうか?
僕が学生の頃は運動量が多かったので、日本に対しては優勢でしたね。僕の同期は渡邊雄太選手なんです。U18アジア選手権でも渡邊雄太選手がいた日本に快勝しました。延世大学時代は慶應義塾大学と交流戦をしたり、日本の大学と何度も対戦しましたが、負けたことがなかったです。大学4年の時の李相佰盃(大学生の日韓戦)も負けませんでした。大学でも基本的に8時間はトレーニングや練習をしていましたから。
――大学ではどのような練習スケジュールだったのですか?
僕たちの延世大学では、朝練をしたあとは練習時間を確保するために、午前中に授業を全部入れていました。そのあと午後と夜間練習をします。でも土曜日は違います。早朝、午前、午後と5時間ぐらい練習をしたら、日曜の夜練が始まるまでは自由時間になります。
――当時、韓国に勝てなかったのは練習量による体力やシュートの精度、自信の差だったことが改めてよくわかりました。また、韓国は日本より約20年も早くプロリーグが始まっていたこともあり、試合巧者でした。今では、韓国籍選手がアジア特別枠として、Bリーグでプレーするようになったのはうれしいですね。
最近は日本の選手たちもシュートが正確ですよね。昔の日本は自分たちが弱いと思っていたのか、フィジカル面でぶつかることをしてこなかったです。でも、今はBリーグなどで技術が向上して、みんながステフィン・カリーのようにシュートが上手いなあと思います。
Bリーグで学んだファンへの感謝
――2022-23シーズンには福島ファイヤーボンズと契約。Bリーグでプレーして印象に残ったことは?
まず伝えたいのは、僕は飲酒運転を犯したことを反省し、処罰を受けて日本で再出発をしました。日本でプレーする機会を与えてくれたことに感謝いたします。
Bリーグでのプレーは最初は慣れなかったです。日本とは高校や大学時代、KBLのサムソン時代にもカップ戦で何度も戦いましたが、その時はこんなにタフなプレーはしてなかったです。先ほども話した通り、僕が知っている日本は少し自信のないプレーが多かったんですが、今はみんな熱い気持ちで、強くプレッシャーをかけてきます。でも、「日本に来たんだから最後まで楽しんでやってみよう」と思ったら、だんだん福島のバスケットを楽しめるようになりました。
福島では再契約には至らずに残念でしたが、社長やGM、チームメイトには本当によくしてもらい、感謝しています。福島でプレーできて本当に楽しかったです。
――プレー以外で印象に残っていることは?
ファンサービスのことが印象に残っています。僕がサムソンにいた時は試合に負けたら何も考えずに(帰りの)チームバスに直行していました。球団からは「ファンサービスが悪い」と何度も指摘されていました。
これは日本に行ってから感じたことなんですが、日本の選手たちはファンへのサービスもプロでした。韓国では、ファンサービスをする選手は個人的にしていますが、試合後に手を振ってコートを一周するようなことはありません。日本はプロ選手らしく、感謝の気持ちを示して模範的に動いています。プロ選手はファンのおかげでサラリーをいただけるので、ファンサービスをするのは当然のことだと思います。僕は日本で感謝の気持ちを学びました。
――どのようにコミュニケーションを図っていたのでしょうか? 日本語は話せないですよね?
そこはセンスで乗り切りました(笑)。韓国語の通訳はいませんが、英語の通訳の方がいたし、バスケット用語は共通なので、ニュアンスは理解できました。
日本語は日本に行ってから勉強しました。チームの練習後、思った以上に個人で活用できる時間があったので、本を読んだりしながら日本語の勉強をしていました。スピーキングは文法の面で難しいところはありますが、ヒアリングはある程度できるようになりました。なので、日本語も英語もある程度は聞き取れるので問題なかったです。
これからも「リバウンド」の精神で生きる
――今回のインタビューを始める前に「まだ引退していない」と言っていました。現状を詳しく教えてください。
僕はバスケットが好きなので、バスケットに関わる仕事がしたいと思い、サムソンで一緒にプレーしたチャ ミンソク先輩が立ち上げた「B.I.P」(Basketball is Passion)という教室でスキルトレーナーをしています。ただ、選手としては諦めたわけではありません。また日本でプレーするチャンスがあるかもしれないので、そのためには、練習をして体を維持しなければなりません。スキルトレーナーは体で見本を示すので、この仕事をしていれば、いい運動と練習を続けられます。
――指導をしてみて、選手とは違う発見がありましたか?
楽しいです。教えることが好きなんです。今は「エリートバスケットボール教室」というクラスで中学、高校、大学生たちを教えていて、成人の方たちにも教えています。ガードというポジションの特性なのかもしれませんが、教えるのが好きなんです。実は、この準備に関してはだいぶ前から始めていました。サムソンにいた時から教えることに関心があったので、チームの夜間練習の時に、「これやってみよう!あれやってみよう!」とスキルワークをしながら計画を立てていました。
――では、セカンドキャリアの準備をしつつ、でも今は、選手復帰を目指しているわけですね。
はい。選手としてトライするつもりです。今、韓国人選手がたくさん日本でプレーしているじゃないですか。なので、僕もチャンスがあれば、また日本で頑張ってプレーしたいです。
――それで、今日は漢字で『再次機會(再次機会)』とプリントされたTシャツを着てインタビューに臨んでくれたのですか?(トップの写真参照)
実はこれ、僕が作ったTシャツなんですよ。これには意味があります。「B.I.P」主催で初めてユース選手の大会を開催したときに、僕がこのTシャツを作ったんです。言葉とデザインは僕が考えました。「何度でもチャンスをつかみに行け」みたいな意味です。
――まさに映画のように、諦めない「リバウンド」そのものですね。
そうですね。僕の人生はずっと「リバウンド」です。
――最後に映画の見どころと、日本のファンにメッセージをお願いします。
僕の高校時代の実話が映画化され、日本で上映されたのはとてもうれしいです。僕たちが伝えたいことを、チャン ハンジュン監督が映画に盛り込んでくださいました。「諦めないでやり続けることが大事」ということが、見ている方に伝わったらうれしいです。ぜひ、楽しんで鑑賞してください。また、チャンスがあれば日本でプレーヤーとして頑張りますので、その時はたくさんの関心を持っていただけますよう、よろしくお願いします。
チョン ギボム Gibeom CHEON 천기범
1994年5月28日生まれ/今年30歳/188センチ/PG/韓国・金海市出身/釜山中央高→延世大→ソウルサムソン(Samsung)サンダース(ドラフト1巡目4位指名)→国軍体育部隊「尚武」(兵役時代)→ソウルサムソンサンダース→福島ファイヤーボンズ/現在はスキルトレーナーとして活動中。
■「B.I.P」バスケットボール教室
【Instagram】bip_skills
【YouTube】@bipbip_go
配給:KADOKAWA、KADOKAWA Kプラス(KADOKAWA K+公式YouTube)
映画「リバウンド」公式サイト
文・写真/小永吉陽子 Yoko Kanagayoshi
インタビュー通訳/朴 康子 Kangja Park