大阪に新風を巻き起こす韓国の逸材シューター、イ ヒョンジュン。「勝利を呼び込むために日本に来た」
デビュー戦から適応力を発揮
アジア特別枠として、Bリーグに遅れてやって来た韓国の逸材シューター、イ ヒョンジュンが大阪エヴェッサに新風を巻き起こしている。NCAAディビジョン1(以下D1)のデイビッドソン大で活躍したほどのシュート力もさることながら、抜群の愛嬌とコミュニケーション力を発揮し、デビュー戦から多くのファンの心をつかんでいる。
(韓国ではキム、イ、パクなど同じ名字が多いため、名字だけで呼ぶ習慣がなく、フルネームもしくは名前、または名字+肩書きで呼ぶことが多い。この記事ではフルネームで記載)
Bリーグデビューは3月20日の琉球ゴールデンキングス戦。接戦で敗れたものの、いきなりの先発出場で24得点、4リバウンド、4アシストをマークして衝撃的な日本でのデビューを飾った。イ ヒョンジュンが加入した3月20日から3月31日までの6戦で5勝1敗、現在5連勝。リーグ終盤に反撃を狙っていた大阪にとっては、まさに救世主となる活躍ぶりだ。
自分は勝利を呼び込むことができる選手
武器はリリースの速さを生かした3ポイントだが、それだけに収まらない。ハンドラーになってピック&ロールを展開し、みずからドリブルで運んでドライブを仕掛け、パスで周りを生かすスキルを持ち併せている。ホームデビュー戦となった3月27日の広島ドラゴンフライズ戦では、16得点、5リバウンド、3アシストをマークして『マン・オブ・ザ・ゲーム』に選出された。デビューから6試合で平均28:15分、16.0得点、5.7リバウンド、3.2アシストと高いスタッツを叩き出している。
3月26日の入団会見では「自分は勝利を呼び込むことができる選手です。シュート力には自信がありますが、シュートだけではなく、ハッスルプレーで勝利に導きます」とアピールしていたように、責任感と勝負欲が光る。また、コミュニケーション能力にも秀でており、オンコートでもベンチでも仲間を鼓舞する姿はチームにエネルギーを与えている。3月13日までオーストラリアリーグ(NBL)のイラワラ・ホークスでプレーオフを戦い、チーム練習をほとんどせずにBリーグデビューを飾った状況を考えれば、適応力とポテンシャルの高さを発揮しているといえるだろう。
また、2メートルのサイズから繰り出すスタイルは、大阪にフロアバランスの変化をもたらしている。インサイドの得点源であるショーン・ロングにマークが寄れば、外ではイ ヒョンジュンが待ち構える。このインサイドアウトによってスペーシングを生み出し、オフェンス面で相乗効果が高まっているのだ。
残り18試合でアジア枠を獲得した理由
今回のイ ヒョンジュン獲得に関して最大の焦点は、大阪のチャンピオンシップ進出が難しくなってきた状況で、最終登録期限(3月18日)を迎えた残り18試合での加入にメリットがあるのか、という点だ。ましてや、イラワラ・ホークスからは3年契約と発表されている。それでも、黒木雄太GM(4月よりアシスタントGM)は入団会見で「メリットのほうが大きい」と力を込めた。
「彼のことは大学時代から注目していました。また、オーストラリアリーグでもコーチの信頼を得てプレーしている姿を見て、日本でプレーしてほしいと願っていました。私たちのチームは、帰化・アジア枠をここまで使えずに来てしまったので、補強をどうするか論議してきた中で、ヒョンジュン選手が加入可能かどうか、シーズン中から彼の代理人に打診していました。短期的な戦力であることはデメリットかもしれませんが、それを差し引いてもメリットのほうが大きいと考えていたのです。
彼は海外でプレーするメンタリティーがあって、どこのリーグでも自分のプレーを表現できる選手。同じアジア人として我々のチームに限らず、日本のバスケ界にとってもいい影響があり、彼のプレーを見てもらえることは大きな意味があると感じています。オーストラリアであと一つ勝っていたら大阪入りは実現しなかったわけですが、獲得が実現した今は、ワクワクするプレーを見せてくれて多くの方がヒョンジュン選手のプレーを楽しみにしていると感じます。オーストラリアのチームとは複数年契約であることはわかっていますが、契約にはいろんな条項がありますし、先のことは何があるかわかりません。個人的には来シーズンもプレーしてほしいと思っています」
「初日の練習から自分の能力を見せつけていた」(竹内譲次)
フロントの思惑通り、切り札となるアジア枠の獲得は大阪に好影響をもたらしている。キャプテンでチーム最年長の竹内譲次はイ ヒョンジュン加入後のチームの変化をこのように話す。
「ヒョンジュンは外国籍選手と同じマインドを持つ選手です。自国のリーグではなく、海外リーグでプレーするということは、すぐに結果を出さなければなりませんが、彼はそういう強いメンタリティーを若い年齢に似合わず持っています。プレーはとてもスマートで、初日の練習からすごさを見せていました。自分の能力を見せる姿勢と言いますか、シュート力を見せつけていました。
3月27日の広島戦で、はじめて自分と彼が入って2メートル4人の『4ビッグ』を試しました。もっと練習が必要ですが、『4ビッグ』はサイズの面で有利になるので、ディフェンス面で違いを見せつけられると思っています。ヒョンジュンが来てチームに勢いが出てきました。まだまだ成長できるチームなので、ここから一つでも多くの勝利を観客の皆さんに見せたいです」
イ ヒョンジュン自身にとっても、リーグ終盤での移籍は難しい状況ながら、「成長につながる」と考えてのチャレンジだ。Bリーグに進出する判断材料となったのが、高校の先輩で親交が深いイ デソン(シーホース三河)や、アンダーカテゴリーでともにプレーしたヤン ジェミン(仙台89ERS)からの「Bリーグはとても戦術的でタフなリーグ」という助言だった。
「オーストラリアリーグはとてもフィジカルで、一試合一試合が熾烈な戦いでした。シーズンが早く終わってしまったことは残念でしたが、自分は今年の夏にNBAのサマーリーグに出たい計画があり、それまでの時間を有意義に過ごしたい思いがありました。
オフシーズンに一人でトレーニングをするのは限界があるので、Bリーグでプレーすることがフィジカル的にも、バスケット的にも、そして人としても成長できて、もう一段階アップデートできると信じて入団しました。成長する機会を与えてくれた大阪に感謝しています」
父は指導者、母は五輪銀メダリスト
エヴェッサにやって来た韓国期待のシューター、イ ヒョンジュンはどのような経歴を歩んできたのだろうか。
父(イ ユンファン)はKBLの前身時代にサムソン電子でプレーしていた選手。引退後は名門・三一商業高校(現・三一高校:サミル高校)の監督を務め、韓国人初のNBA選手、221センチのハ スンジンや三河でプレーするイ デソン、息子のヒョンジュンを筆頭に多くの代表選手を育てている(現在はベンチ采配からは退いている)。
※ハ スンジン=2004年にNBAドラフト2巡目全体46位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名、2008年からKBLでプレー。2019年に現役引退。
母(ソン ジョンア)は高1で代表入りを果たし、高3のときに出場したロス五輪で銀メダルを獲得した名センター。4歳上の姉(リナ)も高校までバスケ選手で、U16アジア選手権に出場しているエリート一家に育った。
2017年に茨城県で開催された「日韓中交流ジュニア競技会」では、韓国代表として三一商高が出場し、イ ヒョンジュンは当時から2メートル級のサイズで、ボールハンドルができるプレーを披露していた。中学時代から急激に身長が伸びたため、ディフェンスではインサイドを任されていたが、「オフェンスではガードのプレーができたほうがいい」という母の勧めもあって、中学時代にスキルトレーナーのもとでワークアウトを開始。中学と高校のコーチのもとでピック&ロールのハンドラーとしての経験を積んできたという。
さらに、アジアで注目が集まったのが、高3で出場した2018年のU18アジア選手権だ。準々決勝の中国戦では激闘の末に敗れはしたものの33得点を記録。平均26得点、10.3リバウンド、6アシストをマークし、大会得点王とアシスト王に輝いている。
海を渡ったのは高2年の1月。高2の夏に中国・杭州で開催された、NBAとナイキが主催する「アジアパシフィックチームキャンプ」にて活躍が見出され、NBAグローバルアカデミー・オーストラリアへの道を切り拓いた。D1へのオファーは多数舞い込んだというが、最終候補に挙がったのが、憧れていたクレイ・トンプソンの母校ワシントン州立大と、ステフィン・カリーの母校デイビッドソン大というのだから面白い。決め手となったのは、カリーを育てたデイビッドソン大のボブ・マキロップヘッドコーチの熱烈な誘いだった。
NBAドラフト直前の怪我を乗り越えて
デイビッドソン大では1年次にアトランティック10(以下A10)カンファレンスのオールルーキーチームに選出され、2年次には一流のシューターの証である『50-40-90』(※)を達成。NCAA史上11人目の快挙を達成したことで一気に注目が高まった。3年次にはA10カンファレンスのオールカンファレンス・ファーストチームに選ばれ、NCAAトーナメント出場を果たしている。
※『50-40-90』
フィールドゴール成功率=50.8%
3ポイント成功率=44.17%
フリースロー成功率=90.0%
3年次が終了し、2022年4月にはNBAドラフトへのアーリーエントリーを表明。一部では「2巡目指名の可能性」も囁かれていたが、結果的に指名はされなかった。6月のドラフト直前、シャーロット・ホーネッツでのワークアウト中に左足指の骨折とリスフラン関節(足の甲)を損傷してしまい、手術を伴う大怪我をしたことが大きく響いてしまった。
「怪我をしたタイミングがあまりにも残念で、悔しくて悲しくて、しばらくは落ち込みましたが、これは自分に与えられたターニングポイントだと考えるようにしました。まず、足りないフィジカルを鍛えて、メンタルを強くする準備期間にしようと、ポジティブに捉えて辛い時期を乗り越えました」
こうして、半年以上に及ぶリハビリを経て復活したのが2023年2月に加入したGリーグ入りであるが、このときもまだ万全の体調とは言えなかった。強度の高いNBLでプレーすることで、徐々にプレーのキレが戻ってきたのだ。
目標はNBA。「自分はリーグ最高のシューターだと信じるマインドが必要」
バスケットボール選手としての目標は、「NBAプレーヤーになること。人生は一度しかないので、夢をあきらめることなくチャレンジしたい」とキッパリと語る。そして「自分はどのリーグに行っても、最高のシューターだと信じています。シューターはそういうマインドを持つ必要があります」という信念で試合に臨んでいる。
「大阪ではシューターの役割を求められていますが、1対1のディフェンスをもっと強化しなければならないし、勝利のためにはもっとコミュニケーションを図ることが大事だと思っています。何よりも、自分の活躍で大阪に勝利を呼び込む選手になりたい」
入団会見での力強いコメントを聞いているだけでも、強い意志と情熱を持って日本にやって来たことがわかる。そして隣の国から成長を追っていた者として、大阪入団を機に、どうしても確認したかったことを聞いてみた。
高2の夏に来日した当時は「ケビン・デュラントのようになりたい」という理由で『背番号35』をつけていたが、NCAA時代は3&Dを誇るクレイ・トンプソンがロールモデルとなり『コリアン・クレイ』『クレイ・リー』と呼ばれるようになっていた。なぜロールモデルが変わったのだろうか?(英語圏で活動するときは、発音しやすいように韓国語で「イ」(LEE)の発音を「リー」で通している)
「韓国では背が高くてボールハンドリングができるほうだったので、ケビン・デュラントを目指していたのですが、NBAグローバルアカデミーでプレーしたとき、フィジカルでガンガンやられる中で自分の武器を作らないといけないと感じました。そこで自分は3ポイントが得意だったので、イメージ的にクレイ・トンプソンかなと思って、そのスタイルに取り組むことにしました。だから、今はこの背番号なんですよ」
そう言って、ユニフォームの『11番』を指したコリアン・クレイは、大阪でプレーすることが楽しみでしかたないといった笑顔を見せた。自身の成長のため、エヴェッサの勝利のため。Bリーグでプレーする期間は短いかもしれないが――その飽くなきチャレンジ精神をぜひ見てほしい選手だ。
イ ヒョンジュン/이현중/Hyunjung LEE
2000年10月23日生まれ(23歳)/身長201センチ・ウイングスパン約208センチ(2022年Gリーグエリートキャンプ時の測定。身長はシューズなし)体重95キロ/SG・SF/韓国出身/三一商業高校(高2の12月まで)→NBAグローバルアカデミー・オーストラリア→デイビッドソン大【プロ歴】サンタクルーズ・ウォリアーズ(Gリーグ)→イラワラ・ホークス(NBL)→大阪エヴェッサ(Bリーグ)【代表歴】U16アジア選手権(2015年)U17ワールドカップ(2016年)U18アジア選手権(2018年)アジアカップ予選、オリンピック最終予選(2021年)
文・写真/小永吉陽子