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4月から紫外線の季節到来 29年前の4月1日より始まった紫外線予報

饒村曜気象予報士
紫外線(提供:yotto/イメージマート)

太陽高度と紫外線

 一般的に、太陽高度が高いほど地表に降り注ぐ紫外線は強くなりますので、高緯度地方より低緯度地方のほうが多くなります。

 また、冬季より夏季の方が多くなります。

 一年で一番太陽高度が高いのは夏至の頃で、晴れれば6月下旬に一番多くの紫外線が降り注ぎます。

 紫外線の季節は6月下旬を中心とした4月から9月ということになりますが、日本には梅雨がありますので、紫外線が一番強いのは、平均すると、夏至の頃より、約1ケ月遅い7月下旬ということになります(図1)。

図1 令和2年(2020年)の茨城県つくばにおける日最大UVインデックスの年間推移グラフ(黒丸は観測地、細実線は累年平均値)
図1 令和2年(2020年)の茨城県つくばにおける日最大UVインデックスの年間推移グラフ(黒丸は観測地、細実線は累年平均値)

 ただ、4月は8月ほど気温が高くないので、長時間屋外で活動しがちですが、意外と紫外線が強い日があります。

 令和2年(2020年)も、4月にUVインデックスが高い日がありました。

 知らず知らずのうちに、8月並の紫外線を浴びる可能性があるのが4月なのです。

 新年度とともに、紫外線情報に注意し、対策をとる季節が始まります(図2)。

図2 UV(紫外線)インデックスに応じた紫外線対策(参考:環境省「紫外線環境保健マニュアル」)
図2 UV(紫外線)インデックスに応じた紫外線対策(参考:環境省「紫外線環境保健マニュアル」)

 この紫外線情報が始まったのは、今から29年前の平成4年(1992年)4月1日からで、化粧品会社と深い関係があります。

平成の始まりと紫外線への関心

 昭和58年(1983年)12月の極域気水圏シンポジウムで、気象庁気象研究所の忠鉢繁らによる日本の南極昭和基地で発見した現象の国際発表がありましたが、これがオゾンホール発見についての最初の発表です。

 南極上空でオゾン層が極端に少なくなって穴が開いた状態になるというオゾンホールの発見によって、オゾン層によって吸収されていた紫外線についての関心が急速に高まっています。

 そして、「日焼けをしたい」という人より、「日焼けをしたくない」という人の方が急速に増えています。

 化粧品市場では、日焼け用商品と、日焼け防止用商品があります。

 昭和60年(1985年)は、日焼け用商品が53億円に対し、日焼け防止用商品が59億円でほぼ同額でした。

 しかし、平成2年(1990年)には、日焼け防止用商品が2.3倍以上の138億円に伸びたのに対し、日焼け用商品は26億円と半分に減っています。

 ただ、紫外線防止をうたった化粧品が各社から発売されましたが、表示がバラバラで、消費者からは、わかりにくいという批判が出ていました。

 このため、日本化粧品工業連合会は業界の自主基準として、国際的な「日焼け止め指数」(SPF)を平成4年(1992年)から採用しています。

日焼け止め指数(SPF) 

 紫外線のうち炎症の原因となる中波長領域(UVB)をカットする能力を示す。数字が大きいほど強力にUVBをカットする。数字は、化粧品を塗って炎症が起きる時間を、素肌の状態と比べた倍率。素肌で25分で炎症が起きる場合、化粧品を塗って50分まで伸びればSPF2。

引用:読売新聞(平成4年(1992年)3月31日)

 予報対象とする紫外線の定義が決まったことにより、実用的な紫外線予報が可能となったのです。

 日本気象協会では、平成3年(1991年)より独自の紫外線予報を行っていましたが、平成4年(1992年)4月1日からは、各化粧品メーカーの日焼け止め指数(SPF)に対応する形でUVインデックスを表示し、積極的に公表しています。

 化粧品に表示されている日焼け止め指数(SPF)の数値は、UVインデックスの数値に対応した数値であることから、紫外線予報の利用が進んでいます。

お肌に用心 紫外線予報

気象協会が新サービス

日焼けの気になる季節到来。

 日本気象協会が始めた日焼けのもとになる紫外線量を知らせる生活気象情報が女性の間で人気だ。各府県庁の所在地だけでなく、天保山、須磨海岸、宝塚など近畿の観光スポット約20か所の紫外線の強さがわかるので、「日焼け止めの化粧品を効果的に使える」というのが人気の理由らしい。

 これまでは、日差しの程度がわからず、SPF値の高い化粧品を使って肌が白く浮いたり、曇りでも意外に紫外線が強くて日焼けしたりすることが多かっただけに、同協会には女性からの問い合わせが殺到。神戸のFM局でも連日、指数を流している。

引用:読売新聞(平成4年(1992年)5月21日)

 今から29年前、筆者が神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)に予報課長として赴任した年の話です。

 「神戸の須磨海岸で新しい予報が化粧品会社とタイアップして始まった」ということが話題になったという印象が残っています。

 当時の資料を改めて見直すと、日本気象協会の紫外線予報(当時、日本気象協会内部では紫外線情報と称していた)は、神戸の須磨海岸だけでなく、近畿の29地点(気象官署11地点、観光地18地点)で行われていました。

 観光地は、兵庫県の竹野海岸、須磨海岸、新舞子、大阪府の天保山、和歌山県は和歌浦、白浜など、海岸部を中心としたものでした。

図1、図2の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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