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「パンドラの箱」を開けてしまったテレビの、明日はどっちだ!?

碓井広義メディア文化評論家
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

39の県で「緊急事態宣言」が解除されました。でも、第2波到来の不安は消えていませんし、この解除の結果が吉と出るかどうかも、まだ分からない状態です。

テレビ界でも、今期クールの目玉となるドラマの多くが、放送延期や制作中断に追い込まれたままです。

またワイドショーのコメンテーターたちは、自宅などスタジオ以外の場所からリモート出演し、モニターの中から語りかけています。さらに、メインキャスターが不在となるニュース番組まで現れました。これまた未曽有の事態と言えます。

しかし、それ以上に驚いたのは人気バラエティー番組から、「司会者」の姿が消えたことです。『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)の4月13日放送分で突如、司会を務めるマツコ・デラックスさんと村上信五さんが、「音声」だけの出演となってしまった。

ご存知のように、この番組は「世間で話題となっている様々な件」を独自調査し、スタジオのマツコさんと村上さんが、ツッコミ的なコメントをしていく構成になっています。

この4月13日の回で、何より意外だったのは、2人が音声のみであるにもかかわらず、番組が、それなりに成り立っているように見えたことです。

視聴者が番組の流れをよく理解しているという前提があるとはいえ、「番組の顔」である司会者が、それこそ顔や姿を見せていなくても、番組が「出来てしまった」ことに注目すべきでしょう。

70年近い時間をかけて築き上げ、見る側も作る側も当たり前だと思っていたテレビのスタイルが、一晩で丸ごと変わったようなインパクトがありました。ややオーバーな表現をすれば、「パンドラの箱」を開けてしまったのではないか。

『月曜から夜ふかし』は、今週5月11日の放送に至っても、2人の扱いは、ほとんど変わっていません。しかも、すでに2人の「不在」に、見る側が慣れ始めていることに気づくのです。

テレビであるにもかかわらず、声だけの出演の「日常化」。番組が「成り立っているように見えた」段階から、「成り立っている」段階へと進んできた。

いつになるのか分かりませんが、コロナ禍が終息したとします。その時、バラエティー番組には、以前と同様の「ひな壇芸人」が並んでいるだろうか。ワイドショーのスタジオには、タレントやコメンテーターが座っているだろうか。

いや、それどころか、バラエティーやワイドショーの司会者や、ニュース番組のキャスターも、以前と同じような形で存在しているのかさえ不明です。

広く知れ渡った言葉に「断捨離(だんしゃり)」があります。不要な事物を「断つ、捨てる、離れる」ことで、生活のみならず、生き方そのものも改善しようとする取り組みです。

現在のテレビは、新型コロナウイルスという外圧によって、この断捨離を強いられているとも言えます。人やシステムを見直して、「本当に必要なもの」だけを取捨選択する。

ただし、そうやって苦境を乗り切ったとして、すべてが「元通り」になるはずもありません。では、それを「退化」や「劣化」と呼ぶのか。それとも、予期せぬ「進化」なのか。

「ウイズ・コロナ」時代のテレビが、あちらこちらに顔をのぞかせている現在、テレビというメディアの「本質」も、同時進行で問われているのかもしれません。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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