第10回らき☆すた神輿 聖地鷲宮に世界からファン集結
アニメ「らき☆すた」の放送から10年が経った。作品の舞台である埼玉県久喜市の鷲宮では年に1度、世界中からファンが集結するお祭りがある。「土師(はじ)祭」だ。これは鷲宮神社の千貫神輿と、作品のキャラクターが描かれた「らき☆すた神輿」を担ぎ、地元商店街を練り歩くというもの。毎年9月第1週の日曜日に行われ、今年は9月3日に開かれた。例年7万人以上が訪れる。
江戸期由来の祭りにアニメが融合
土師祭は18世紀末の江戸時代に始まったが、1913年に担ぎ手不足により中断。そのお祭りを70年後の1983年に商店街主導で復活させた。2007年に「らき☆すた」が放送され、大勢のファンが鷲宮に訪れるようになると、08年6月にこの土師祭を「らき☆すた」ファンと一緒に盛り上げられないかという気運が高まる。そこで「らき☆すた」の神輿を作り、ファンのみんなで担ごうという話が持ち上がった。そして08年の土師祭でらき☆すた神輿がお披露目され、今年で10回目の節目を迎えた。
宵闇に包まれる18時半過ぎ、2基の神輿が鷲宮神社前の駐車場からスタートする。神輿は神社前から商店街の東端まで往復し、約1.5キロメートルの距離を3時間半かけて練り歩く。
先に千貫神輿から動き出す。担ぎ棒の上に乗った二人の女性による「ピッピッ」という笛の音に合わせ、「ほいさっほいさっ」と男達のかけ声が響く。神輿はゆっくりと進んでいく。間隔をあけ、らき☆すた神輿も続く。
出演声優が神輿の音頭を取る
らき☆すた神輿準備会代表の大木敏久さんによる挨拶が始まる。
「鷲宮が聖地となって10周年。そして今回でらき☆すた神輿は10回目だ。今日も、なりふり構わずいくからな。てめえらも思いっきり気合い入れて担いでくれるな!」
挨拶に呼応する形で「おーっ!」という声が響く。続いて、スペシャルゲストとして、「らき☆すた」の柊つかさ役の声優・福原香織さんが登壇。今年は晴天に恵まれたことを述べた上で、「『らき☆すた』は好きかー!?」と盛り上げた。そして三三七拍子を発声し、「いってらっしゃーい、がんばってー!」と号令を発した。「らき☆すた」の声優が音頭を取ったのはこの10回で初めてのことだ。かけ声に沸いた担ぎ手達は、「つかさ! つかさ!」と福原さんの演じたキャラクターの名前をかけ声にしながら、10回目のらき☆すた神輿が進み出した。作品のキャラクター名をかけ声にするのは1回目からの伝統だ。担ぎ手は皆、紫の専用Tシャツを着ており、一目でわかるようになっている。
らき☆すた神輿で来場者倍増
ここで、らき☆すた神輿の約10年を振り返りたい。「らき☆すた」を用いた地域振興は、2007年から鷲宮商工会(現・久喜市商工会鷲宮支所)を中心に進められてきた。1回目の年、「らき☆すた」ファンが土師祭でどこまで取り組めるのか、と懐疑的な目線もあった。最初から毎年行う前提ではなかったのだ。だが、ファンが神輿を一生懸命担ぐ様子や、お祭り後、率先して片付けやゴミ拾いなどをする姿を見て、地元の人や土師祭関係者の見方が変わった。
らき☆すた神輿は、土師祭への来場者数の向上にも大きく貢献している。2007年には3万人であった数が、神輿が登場した08年には5万人に一気に約1.7倍も増えている。神輿がお披露目したことでさらに話題を呼び、09年には6万5000人へと急増。その後、10年には7万人、11年と12年には7万2000人、13年には7万3000人、14年には7万5000人を記録し、今日に至る。
「聖地」の国際化にも貢献
らき☆すた神輿は2010年6月には上海万博にも出展している。ファンも海を越え、会場で担ぎ練り歩いた。クールジャパンの代表として、国際親善にも貢献している。また、その年9月の土師祭からはコスプレイベントも同時開催するようになり、「らき☆すた」以外のアニメファンも集まるようになった。
以前の記事で、鷲宮に海外からも「らき☆すた」ファンが訪れていると紹介した。この日の土師祭も例外ではなく、アジア圏だけでなく、カメラを持った長身の金髪の男性のような、いかにも欧米から来たと思われる人もちらほらいた。
地元の人の反応はどうか。久喜市商工会鷲宮支所で、2007年の当初から「らき☆すた」によるまちおこしを主導する松本真治さんはこう話す。
「2012年ごろから、中国や台湾など、東アジアの国々を中心に海外から鷲宮を訪れるファンが増え始めた印象です。スタンプラリーなどを実施した際、商工会が景品引換所になるので、ファンの方と直接接するのですが、現在では一年中コンスタントに海外から訪れている感じですね」
千貫神輿の担ぎ手も外部から
神輿が発ち3時間半後の22時前、千貫神輿が神社前の駐車場に戻ってくる。松本さんによると、実はこの千貫神輿の担ぎ手も、地元の人がほとんどいないのだという。
「よく勘違いされる方がいるのですが、土師祭は鷲宮神社の氏子によるお祭りではありません。主催団体である『土師祭輿曾』を通じて、関東全域から担ぎ手が集まっています。外部を受け入れる土壌が既にあったのも、らき☆すた神輿がすんなり祭りに溶け込んだ要因と言えるでしょう」(松本さん)
神社のお祭りではないため、千貫神輿は鳥居の中まで入っていかない。鳥居を前にして、神輿がその場で前に進んだり後ろに進んだりともみくちゃになる。神輿を担ぐ男達のテンションもいよいよ最高潮といったところだ。その脇を「いのり! いのり!」とキャラ名を連呼した紫の一団が奥の駐車場へ通り抜けていく。
ケンカとサイリウムは土師祭の華
やがて千貫神輿の前のほうで、男達による取っ組み合いが始まる。止めにかかる人もいれば、便乗しようとする者もいる。毎年のように同じタイミングで揉み合いが起き、様式のようになりつつある。一方らき☆すた神輿のほうは、サイリウムと呼ばれる、アイドルのライブなどに持ち込まれる光る棒が振られながら、その場で神輿を上下させている。かけ声は「らき☆すた! らき☆すた!」へと変わっている。やがて千貫神輿の頭領が拍子木を鳴らし、場を静める。そして三三七拍子を打ち、頭領による締めの挨拶が執り行われた。
世界中から担ぎ手が集結
こうして、10回目のらき☆すた神輿のお祭りが終わった。1回目のらき☆すた神輿から毎年愛媛県より担ぎに訪れる、らき☆すた神輿準備会副代表補佐の田窪秀臣さんは次のように振り返る。
「実は、最初は10回も続くとは正直思っていませんでした。今となってはとても感慨深いものがあります。カナダや香港など、担ぎ手も今や世界中から集まるようになりました。来年以降も引き続き頑張っていきたいです」
お祭りの最後に、鳥居の下で交わされていた二人の会話が印象に残った。「どこから来ましたか? 僕はマレーシアです」「僕はアメリカから来ました」。二人は紫色のTシャツを着ており、先ほどまでらき☆すた神輿を担いでいたのだとわかる。このやり取りはほとんど流暢な日本語によるものだ。そして最後に二人は、次の日本語を交わして別れた。
「また来年、鷲宮で会いましょう!」
(撮影=筆者)