エヴィアン 森の音楽祭 受け継がれる伝説のチェリスト、ロストロポーヴィチのエスプリ
フランスアルプスの麓、レマン湖畔に広がる町、エヴィアン。
世界的に有名なミネラルウオーターを産するこの街で、毎年夏の初めに素敵な音楽祭が開かれている。
Rencontres Musicales d’Evian(ランコントル・ミュージカル・デヴィアン)。
「エヴィアンの音楽の出会い」と題されたこの音楽祭、今年は7月1日から9日間にわたって繰り広げられた。
会場がなんといってもユニーク。
「Grange au Lac(グランジュ・オ・ラック=湖の納屋)」という名がついた無垢の木造りのこの建物は、なるほど大きな穀物倉庫のよう。森に溶け込むような外観からは、およそそれがコンサートホールだとは想像できない。
音楽祭のディレクター、アレクサンドル・エマルダンケさんは、その特徴をこう語る。
建築家はパリのパトリック・ブシャ。偉大なるチェリストから彼への注文は次のようなものだったという。
----土地柄を象徴する木造りで、中に入るとまるで自分のチェロの内側にいるようなホールを--
ところで、今年の音楽祭はロストロポーヴィチ生誕90年という意味合いも込めたプログラムになっていて、日本を代表するヴァイオリニスト、庄司紗矢香さんがソリストとして招かれた。
庄司さんは99年に日本人として初めて、しかも最年少でパガニーニコンクール1位という輝かしいキャリアの持ち主。16歳での受賞直後、ロストロポーヴィチから招聘されてこの音楽祭で演奏している。
夜のコンサートを控えた貴重な午後の時間、お話をうかがうことができた。
ロストロポーヴィチというオーラが去ってから10数年、エヴィアンの音楽会は往時の輝きを失っていたが、2014年からモディリアーニ弦楽四重奏団というパリの若手カルテットらによって復興を遂げ、現在に至っている。
庄司さんは復興の翌年、2015年にも招かれて演奏。
ロストロポーヴィチの時代を知る貴重な若手演奏家であり、音楽祭の過去と現在、二つの時代をつなぐ象徴的な存在なのだ。
今回は、モディリアーニ弦楽四重奏団とベテラン演奏家たち、そこに学生たちが加わったアンサンブルのデビューを飾るソリストとして演奏する。
昼間の気温が軽く30度を超えていたこの日、果たしてどうなることやら…。
開演が近づくと、深い緑の森に花が咲いたように、涼しげな夏のいでたちをした人々が集い始める。
「音楽祭の場所としては、本当に理想的な土地」と庄司さんもおっしゃる通り、グランジュ・オ・ラックは、レマン湖が一望できる「ロワイヤル」(五つ星)、「エルミタージュ」(四つ星)、二つの高級ホテルの広大な敷地の中にあり、そこに滞在している演奏家も観客も木立の中の小道をゆるゆると歩いてコンサート会場に赴くという、なんとも穏やかな時間の中にいる。
三角屋根の控えめな入り口から木の廊下を抜ける感覚は、お社の参道をゆくようで、日本人としてはどこやら懐かしさを覚える。そして目にするホールの内部は、21世紀の現代に実際に存在することがちょっと嬉しくなってしまうような空間。森のクマさん、リスさんが登場するおとぎ話の世界のようにも、はたまた、何世紀も昔の日本の歌舞伎場のようにも思えてくる。
舞台に6つ提げられたガラスのシャンデリアと客席をほのかに照らすアールヌーボースタイルのランプとがかろうじて、フランスのコンサートホールにいることを思い出させてくれる。
冷房がない代わりに扇子が配られ、客席のあちらこちらでそれが蝶のようにはためく。とはいえ、森に守られた建物のせいか、昼の暑さはすでに遠く、汗が滴ることはない。ちょうど開け放した扉近くの席だった私は、時折森から吹き抜ける風を心地よく感じていた。
コンサートの2曲目、シューベルトのヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調D 438で、庄司さんが颯爽と舞台に登場し、ストラディヴァリウス(1792年製 レカミエ)を奏で始めると、会場は水を打ったようになり、客席全体が大きな耳と化した。目を閉じれば、華麗なる円舞のただ中にいるような圧倒的な音楽の豊かさに心が躍る。
「ブラボー!」と拍手の後には、誰が始めるともなく木の床を踏み鳴らし、それが地鳴りのようになってホール全体に満ちる。
そうして“ロストロポーヴィチのチェロの中”に抱かれたみんなが感動を分かち合ったのだった。