避難が解除された楢葉町 帰還出来ないのは放射能不安だけではない
2015年9月5日、原発事故から約4年半続いた避難指示が福島県双葉郡楢葉町で解除されました。
国による除染が終わり「戻れる環境が概ね整った」とされた避難解除ですが、「安心して将来設計を出来る環境」に至った分けではなく、放射能不安という大きな課題を抱えつつ、「0」からのスタートを切ったと言えるまでの状態でしかありません。
放射能不安により帰還が出来ない、進まないと単純な話ではない状況があります。
楢葉町町民の方が安心して暮らしを営むまでには、多くの課題を乗り越えていかなければなりません。
・避難先で生活を確立している為、高齢者からの帰還になり若手が帰還することは困難。
当初、避難指示はいつまでと明確に町民の方々に伝えられていませんでした。多くの方が着の身着のまま避難された背景には「数日程度」と言われてから始まった避難生活が元にあります。事故直後の避難先を転々とする状況から今は変わり、避難先で新たな生活基盤を築かれています。働き世代は職に就き、子供達は避難先での学校生活に馴染んでいます。それは避難が長期化した事で、当たり前に避難先で将来設計を描かれているからです。これからの町を支えていく「若手世代」は戻ることは困難です。ようやく暮らしの再建が進み、安定した時期に、帰れるとなっても、それらをまたやり直す選択は容易に出来ません。
・復興の格差が大きい
放射能汚染による風評被害は未だ完全に払しょくされたとは言えませんし、津波の甚大被害地域の復興は未だ渦中です。ですが原発事故から約4年半が経過しました。避難区域を除く地域は震災前の日常を大きく取り戻しています。その地域の暮らしと、線量が下がったものの多くの町の機能を大きく失った地域の暮らしを比べた時、帰る選択をすることが出来ません。
・廃炉と除染の最前線となったことで生まれる課題
1)作業員との共生
最前線の町では、進まぬ住民帰還により住民と作業員の人口逆転構造が生まれます。町民であるにも関わらずマイノリティになってしまった中で、センセーショナルに報じられてきた作業員の方々のイメージ、単身の男性が圧倒的に多い状況、県外からの見知らぬ人達、震災前に顔が見える関係の中で、長く暮らしてきた住民の方にとっては率直な不安へと繋がっています。
2)描きづらい将来設計 労働者中心とした町の在り方への不安
住民が少なく、労働者が多い、その状況からは飲食店、ホテル、民宿、など限られた商業が大きく賑わっていきます。しかし将来に渡って続く分けではありません。除染、廃炉は終わるものだからです。帰還を検討している町民の方々にとっては、それだけでは望んだ町の在り方ではありません。そして少ない人口、超高齢化の中では住みたい町、住みやすい町は描くことが難しい状況になっていきます。
・楢葉町が元来持つ地域性への課題
震災前は東北どこにでもある田舎町でした。楢葉町単独で暮らすと考えた時には将来設計を豊に想像出来る町ではありません。大型スーパー、総合病院、飲食店、といった暮らしやすさを求めるには、現在避難区域中の北に隣接する「富岡町」に依存していました。楢葉町単独解除だけでは生活は成り立ちません。
仕事への不安もあります。地方はどこでも就職が難しい状況にあります。それは楢葉町も同様でした。現在において得られる仕事は、廃炉関係、除染関係となります。限られた選択肢しかない状況では帰還を判断することは出来ません。
楢葉町は4年半を経て、復興への一歩を踏み出しました。放射能汚染という大きなハンデを背負い、スタートを切るまでに約4年半の歳月が流れました。それにより起きた、帰還出来ない人達がいる状況は、町作りを元来住民で行えない状況を生みだしています。
その上に、事故が起きた原発の廃炉を、「最前線で支えるという役目」までもが押し付けられています。
豊かさに溢れる日本の中で、楢葉町に住みたいと思える環境を作る事は容易な事ではありません。避難解除の報を聞き、私達は未だ過酷な状況が続いている事を知りました。困難な状況の中、次世代に託せる地域作りを進めていく楢葉町には、多くの手助けが必要とされています。