【熊本地震】解体か修復か 町屋問題に揺れる城下町
熊本の城下町に残る町屋が、存続の危機に直面している。熊本地震で多くの建物が損壊し、解体が進んでいるのだ。こうした町屋の保存に取り組むのが、地震後に立ち上がった復興団体「くまもと新町古町復興プロジェクト」。「このままでは伝統的な景観が失われてしまう」と危機感をあらわにする、事務局長の吉野徹朗さん(40歳)は、景観維持のため奮闘する。
町屋をどうすべきか…頭をかかえる住民たち
熊本市中央区の新町・古町地区に残る町屋は、明治から戦前にかけて建てられた木造家屋。狭い間口で奥行きのある建物が道沿いに並び、かつては商人や町人らが居住していた。
同団体によると、同地区の町屋は300軒弱。しかし、その多くが熊本地震で被災した。建て直すにしても、木造家屋を敷地面積いっぱいに建築することは、法令上困難。また、所有者の高齢化も進んでおり、新たに商売を始めることは考えにくい。仮に解体した場合、駐車場やマンションなどへの転用が見込まれ、町屋の景観は失われていく。解体か修復か。住民らは皆、頭を抱えている。
所有者らが抱える問題を解決し、町屋の景観を残そうと、地震後に立ち上がったのが同団体。創設は「自然な流れ」(吉野さん)だったという。
地域コミュニティーが発災後の安全網に
吉野さんが、町屋の保存にこだわるのには理由がある。町屋が失われると地域コミュニティーが崩壊し、「災害時の安全網が失われる」との考えからだ。
吉野さんは十数年前、転勤で福岡から熊本へ引っ越してきた。新町・古町地区の町屋を見て、「なんだかいい町並みだな」と感じ、熊本にずっと住み続けると決めた。
吉野さんが住む五福小校区は、普段から地域活動がさかんな地域だった。自治会に商栄会、まちづくり系の組織。多くの住民が活動に参加しており、コミュニティーが形成されていた。
これらのコミュニティーは、地震直後に力を発揮した。前震翌日の2016年4月15日。吉野さんらは、避難所となっていた同小で、朝から炊き出しを行った。余震が続く中、運営は驚くほどスムーズにいった。もともとあった組織が、うまく機能したからだ。吉野さん自身も「活動の内容が違うだけで、普段と進め方は何も変わらないな」と感じた。
4月16日の本震後も、炊き出しは続いた。そして、県外からの支援が行き届き始めた数日後。近所を歩くと、痛々しい姿の町屋が目に入ってきた。その時、吉野さんの頭に不安がよぎった。「町屋の解体が進めば、住人は地域外へ転出してしまう。そうなれば、地域コミュニティーは維持できないのではないか」。その危機感から、4月20日、同団体は誕生した。
町屋の活用がコミュニティー維持につながる
団体は当初、瓦礫(がれき)の撤去や家財道具の運搬などのボランティアにあたった。その後は、町屋への関心を高める目的で、修復体験のワークショップを開催。度々東京へ出向いては、町屋が置かれた状況を伝え続けた。
全国から支援金が寄せられたり、有名アーティストが復興応援ライブを開催してくれたりと、地道な活動は徐々に実を結び始めている。
しかしながら、文化財として指定されていない町屋も多く、現状では公的補助が受けられない住民が多数を占める。とはいえ、公費解体してしまえば、「城下町の風情」は失われてしまう。
そんな中、吉野さんらが今取り組んでいるのが、町屋の新たな活用だ。町屋を修復し、飲食店や物販店、オフィスとして再生させる。それにより、地域の賑わいを創出し、観光客や意欲ある若者を呼び込む。地元住民が外から来た人々と交わることで、新たなコミュニティーも生まれる。結果、町屋が媒体となり、地域になくてはならないコミュニティーが維持される。こうしたサイクルを実現させるべく、吉野さんたちはすでに準備を進めている。
「これまでは目の前のことをやるので精一杯だった。しかしこれからは、先を見据えながら活動に取り組みたい。それが僕たちに支援してくれた全国の方々への恩返しだと思う」
吉野さんたちの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
くまもと新町古町復興プロジェクトの活動は、同団体のFacebookページとホームページで確認できる。