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【熊本地震から6年】「戦場なのか」「夢だったらいいのに」 記憶の継承のため集められた被災者の手記

田中森士ライター・元新聞記者
復興まちづくりセンターに展示されている手記(筆者撮影)

熊本地震で大きな被害を受けた益城町に4月1日、コミュニティー再生の拠点「復興まちづくりセンター」がオープンした。記憶の継承による防災教育などの場を目指しており、施設内には被災者の手記も展示されている。発災当時、どういった被害があったのか。また、被災者らはどういった思いだったのか。手記に書かれた地震当時の様子を再現したい。

2度の震度7を観測した益城町

益城町によると、復興まちづくりセンターは町役場の南側に立地。木造平屋建てで延床面積は約400平方メートル、建設費は約3億1740万円となっている。一時避難所としての機能も備えており、災害発生時は帰宅困難者を受け入れる。

4月1日にオープンした復興まちづくりセンター(筆者撮影)
4月1日にオープンした復興まちづくりセンター(筆者撮影)

熊本地震ではハード面の復興が進み、地震の爪痕を見る機会は激減した。一方で、記憶の継承が課題となっている。施設では、熊本地震関連の展示や研修等に利用できるスペースを完備した。

展示スペースのモニターで当時のニュースが繰り返し流されていた(筆者撮影)
展示スペースのモニターで当時のニュースが繰り返し流されていた(筆者撮影)

展示スペースには、入り口付近にモニターが置かれている。発災直後のニュースが流れており、熊本地震を経験した筆者としては、当時の恐怖が思い起こされる。「熊本地震と益城町」と題したパネルは、熊本地震の威力、被害を数字で示している。熊本地震では、益城町で震度7を2回観測した。震度7は日本で6回観測されているが、2回観測されたのは益城町だけであることが記されている。また、町内で45人が犠牲となり、町全体の98.6%にあたる1万584棟の家屋が被害を受けたことが説明されており、改めて被害の大きさに驚く。

「戦場なのかと思った」

次のエリアには、被災者らの手記がパネル展示されている。ある男性は、手記で前震の直後は「被害は大したことなくすぐ復旧すると感じた」とする一方で、公園で遭遇した本震時は「大きな衝撃音」「電柱で火花」「公園は大混乱」などと描写している。

男性は負傷した妻とともに、町役場駐車場に設置された救助センターに向かった。そこでは多数の怪我人で混乱しており、うめき声も聞こえたという。手記では当時のことを「戦場なのかと思った」と振り返っている。

別の被災者の手記には、本震後にしばらく避難生活を送り、久しぶりに帰宅したところ、自宅に「危険」と書かれた赤い紙が貼られていた経験が綴られている。その光景を見た時、「ずっと我慢していた気持ちが抑えきれず、涙が止まらなかった」という。地震によって生まれ育った町が大きく変わり果て、「今起きている現実が夢だったら良いのにと、そう思った」と当時の率直な思いを明かしている。

避難生活「楽しむこと重要」

一方で、「全員が極端にハイテンションだった」「ハイテンションだった故にあの危機を乗り越えることができた」と別の角度から地震を振り返る手記もあった。筆者も被災時に経験したが、災害という非常事態は多大なるストレスが生じる。自己防衛のため、誰もが無意識に常に気持ちをたかぶらせていたのであろう。この手記の執筆者は、避難生活を乗り切るためには「逆に楽しむことが重要」と指摘。その上で、避難者が中心となって楽しい企画を実行することが重要であり、このことを「強く申し上げたい」と提言している。

展示されている手記(筆者撮影)
展示されている手記(筆者撮影)

筆者は今回、展示を見学し、当時の忘れていた記憶が蘇ってきた。熊本地震を経験していない人でも、地震の恐ろしさや教訓について学ぶことができるであろう。ぜひ多くの方に訪れていただきたいと願う。

ライター・元新聞記者

株式会社クマベイス代表取締役CEO/ライター。熊本市出身、熊本市在住。熊本県立水俣高校で常勤講師として勤務した後、産経新聞社に入社。神戸総局、松山支局、大阪本社社会部を経て退職し、コンテンツマーケティングの会社「クマベイス」を創業した。熊本地震発生後は、執筆やイベント出演などを通し、被災地の課題を県内外に発信する。本業のマーケティング分野でもForbes JAPAN Web版、日経クロストレンドで執筆するなど積極的に情報発信しており、単著に『カルトブランディング 顧客を熱狂させる技法』(祥伝社新書)、共著に『マーケティングZEN』(日本経済新聞出版)がある。

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