「かめはめ波はどうすれば撃てる?」鳥山明先生が子どもたちに与えた影響と、味わってほしい贅沢な作品
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。
マンガやアニメや特撮番組の世界を、空想科学の視点から考察しています。
鳥山明先生が亡くなられ、呆然とする日々が続いています。
『ドラゴンボール』の連載が完結したのは1995年。その翌年、筆者は『空想科学読本』を上梓した。
この本が売れて、講演をする機会が増えたのだが、全国どこへ行っても、質疑応答のコーナーで必ず出たのが「かめはめ波は、どうすれば撃てますか?」という質問だった。
訊かれるのは「かめはめ波の原理や仕組み」ではない。「自分が撃つ方法」なのだ。
ウルトラマンのスペシウム光線について「どうすれば撃てますか」と訊かれたことはないから、これは「かめはめ波」がいかに親近感を持たれていたか、ということだろう。
筆者は「手のひらは熱エネルギーを放射しているので、それを溜めることができるなら、かめはめ波は撃てる。でも溜めるのに3年くらいかかりそう」などと持論を述べて、楽しんでもらったものである。
その後、筆者は『ドラゴンボール』を題材にした検証を積極的に行うようになった。
「筋斗雲」では気象や脳細胞の問題を、「桃白白の飛行」では放物線運動を、「クリリンの戦い」では空気抵抗を、「界王星での修業」では天体の重力を……と、『ドラゴンボール』で描かれたエピソードを、空想科学の視点から解説した。
科学的には難しい内容も多いのだが、いずれも好評をいただき、「これらの原稿を読んで理科が好きになった」という読者が本当にたくさんいる。
鳥山明先生の作品が、画力、キャラ、物語の面白さなどの魅力に満ちているのはもちろんだが、それに加えて、「科学的に考えても楽しい」点もすごいと筆者は確信している。
◆『SAND LAND』について
そしてもう一つ、鳥山先生の作品について書いておきたいことがある。
科学とは少しズレるのだが、それは『SAND LAND』という中編マンガ(コミックス全1巻)について。
『ドラゴンボール』の後に描かれたこの作品の舞台は、人間の行いと天変地異により、すっかり砂漠と化してしまった世界。一つしかない水源は国王が独占し、人も魔物も困っている。
そんな状況下、保安官のラオは「他にも水源があるはず」と確信し、魔物のベルゼブブ、そのお目付け役のシーフといっしょに、新たな水源を探す旅に出る。
ラオは、国王軍のかつての英雄だったが、30年前に死んだと思われていた。
――怪しげな世界で、ワケありの男が旅に出るという、なんともココロ痺れる設定だ。
一見、とってもシブイ物語である。
主人公のラオは60歳を越えているし、ベルゼブブのお目付け役のシーフは、それ以上の老人に見える。
ベルゼブブは子どもだが(魔物だから、実年齢は2500歳)、女性はほとんど登場しないし、男子にもイケメンはいない。
一方で、ちょっとしか出てこないメカや脇役に、さり気なくすごい設定や能力が与えられている。
たとえば、作中に「反石(はんせき)」というのが出てくる。
重力をコントロールできる鉱物で、ラオたちが乗っていた104(ヒトマルヨン)号戦車にも設置されていた。
戦車内に4つ装備されていて、その力を最大にすると、104号戦車の重量は1562kgに軽減するという。一般に、戦車は「軽戦車」でも20tくらいあるが(中規模の戦車は50t前後)、反石4つでそれが1.6tになるわけだ。なんと92%もの軽減。
そんなすごい鉱石があったら、反石を用いた攻防に……という展開になってもおかしくない気がするが、物語は水源を探す話から逸れない。反石の存在は、ストーリーを左右しないのだ。
また、この世界にはアクアニウムという物質があり、これは莫大な破壊力を発揮したり、水を作り出すのに役立ったりするという。
だが、ちらっと触れられるだけで、詳細がまったくわからない。
これも、アクアニウムをめぐる戦いがいくらでも描けそうなのに、まったくそうはならない。
あくまで主軸は、30年前の悔悟を胸に水を探し求めるラオと、その姿に心を動かされるベルゼブブなのだ。
さらに、スイマーズという脇役たちが出てくる。
彼らは突出した能力を持っていて、時速180kmで走ったり、めちゃくちゃ目がよかったりする。
とくに驚くのは目のよさで、85kmも離れた場所からラオを発見し、あっという間にその顔をスケッチした。計算すると、視力は1万7千ほどと思われる。
そこまでの能力があるなら、その俊足や超視力を活かして、ベルゼブブと真っ向勝負……という物語もできそうだが、やっぱりそんな展開にはならない。
彼らは脇役として、とてもいい味を出すのみである。
筆者はこれらに、鳥山ワールドのすごさをしみじみ感じた。
おそらく壮大な世界観が構想されていて、そこには魅力的な設定がたくさんある。いずれも物語の中心に据えることもできるし、話を盛り上げることはいくらでもできるだろう。
だが、それらはサラリとしか使われていない。
鳥山先生はこの作品で、ラオの熱い想いと、ベルゼブブのまっすぐな性格だけを真摯に描いているのだ。
なんという贅沢な作品だろうか。
筆者はこのマンガを子どもたちに知ってほしくて、今月発売の『ジュニア空想科学読本28』でも取り上げている。
ヒットの方程式に乗るのではなく、才能ある描き手が、作品そのものに向き合って誠実に描くとはこういうことではないか……と伝えたかったからだ。
ハデな作品もいいが、こんな作品と出合って、コンテンツを見る目を磨いてほしいなあと思う。
まさか鳥山先生が亡くなるとは思いもしなかった。喪失感に呆然とする日々だ。
でも、素晴らしい作品は残っている。
鳥山先生の作品からさまざまなものを受け取ってきた筆者としては、これからの子どもたちのためにも、その魅力や奥深さ、そこから立ち昇るさまざまな可能性を伝えていきたい……と思っている。