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井上尚弥次戦対戦候補フルトンは理想的。名実ともに軽量級最高選手への道は拓かれた

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
バトラーを追い込む井上尚弥(写真:松尾/アフロスポーツ)

過熱する報道

 井上尚弥(大橋)がバンタム級4団体統一王座を返上し、スーパーバンタム級進出を正式に発表したのはポール・バトラー(英)をKOして“比類なきチャンピオン”に君臨してからちょうど1ヵ月後のことだった。それはただの偶然だったかもしれないが、折り目正しい、時間に正確という日本人の良さがあらわれたような気がした。それから4日後、4団体の一つWBOは井上をスーパーバンタム級1位にランキングした。

 その翌日の1月18日、米国メディア「ESPN」と「ボクシングシーン・ドットコム」は井上とWBC・WBO世界スーパーバンタム級統一王者スティーブン・フルトン(米)が5月か6月、日本で対戦に合意したと伝えた。このニュースは各メディアが流し瞬く間に日本中に浸透した。それぞれの内容を詳しく報じるサイトも目立ち、あるユーチューブではESPNのマイク・コッピンガー記者が執筆した記事をすべて日本語に訳して報道。ESPNの試合中継で解説者を務める元2階級王者ティモシー・ブラッドリー氏のインタビュー付きという熱の入れようだった。

 仮に試合が5月初旬に開催されるとしてもまだ3ヵ月以上ある。私は井上のスーパーバンタム級デビューの相手が決定するまで紆余曲折があると予想していたが、こうもストレートに本命フルトンが浮上してくるとは想像していなかった。前々回の記事「井上尚弥S・バンタム級対戦本命がフェザー級へ逃避?候補に急浮上した男とは」でも触れたように、いずれフルトンと相みることがあっても少なくとも1試合はさむと踏んでいた。それでも2つの記事から判断すると一気に交渉が締結する様相を呈している。

あっという間に広まった知名度

 フルトン(21勝8KO無敗=28歳)の実力評価や井上との相性に関してはこれまで何度か触れてきた。いずれにしても井上にとって最強の相手になることは疑いの余地がない。ただ私がやや懸念しているのは、けっしてフルトンは米国で知名度が高い選手でないということだ。「モンスター再上陸」にあたり、最高のライバルには間違いないが、果たして井上と彼の陣営を満足させる条件――平たく言えばファイトマネーをフルトンが捻出できるのか見当がつかない。

 その疑問に答えてくれたのが知り合いのプエルトリコの記者カルロス・ゴンサレス氏だった。同国の新聞、プリメーラ・オラとエル・ヌエボ・ディア両紙でスポーツを担当する同氏には今まで井上が対戦したエマヌエル・ロドリゲス、昨年、岩田翔吉(帝拳)の挑戦を退けたジョナサン・ゴンサレス(ともにプエルトリコ)らの情報を提供してもらい何度か世話になった。そのゴンサレス記者いわく「日本開催なら問題ないじゃないか」。その通り、米国開催にこだわらなくとも井上vsフルトンは実現できる。むしろその方が事がスムーズに運ぶ。愚かにも私はそれに気づいていなかった。

 これまでもボクシングファンの間では名前が知れた存在だったフルトンだが、今回の「合意」、「締結濃厚」という報道で、母国米国以上に日本で名前が知れ渡ったかもしれない。きっとそうだろう。まるでそれを予期していたかのように報道されたブランドン・フィゲロア(米)とのWBCフェザー級暫定王座決定戦をスルーして高額ファイトマネーを獲得できる井上との一騎打ちに心を惹かれたと推測される。井上戦が正式に決まれば昨年6月のダニエル・ローマン(米)との防衛戦以来およそ1年ぶりの登場となるフルトン。あたかも井上の進出をじっと待ち構えていたような印象もしてくる。

フルトンの最新試合。ローマン(右)に快勝(写真:Esther Lin / SHOWTIME)
フルトンの最新試合。ローマン(右)に快勝(写真:Esther Lin / SHOWTIME)

悪魔王子超えを狙う

 ここでファイトマネーの話を持ち出すのは不謹慎かもしれないが、前回のバトラー戦の井上の最低保証額が3億円と言われる。実際は報奨金がプラスされ、より高額を得たと噂される。階級をスーパーバンタム級に上げて統一王者に挑むとなれば当然、額は増えるはず。週刊誌などの報道では4億、5億円という数字が飛びかっている。フルトンも王者として少なくとも同額を要求するのではないだろうか。

 これは軽量級では破格の報酬だ。今、軽量級でホットなクラス、スーパーフライ級(リミット115ポンド)を牽引するファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)、“ロマゴン”ことローマン・ゴンサレス(ニカラグア)が2021年3月の第2戦でそれぞれ稼いだ金額は100万ドル(約1億3000万円)と言われる。彼らほどのキャリアを誇る選手でも1億円超を得るのは至難の業。その約3倍を稼いだ井上は、やはりただ者ではない。

 では今まで軽量級で一番稼いだボクサーは誰なのか?フェザー級(リミット126ポンド)までを軽量級と仮定するとパッと頭に浮かぶのは「悪魔王子」こと“プリンス”ナジーム・ハメド(英)。変幻自在のムーブメントから繰り出す無類の強打と派手なアクションで一世を風靡したハメドは2001年4月ラスベガスで行った3階級制覇王者マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)との一戦で600万ドル(約7億8000万円)を得たという。ちなみに判定勝ちしたバレラは200万ドル(約2億6000万円)だった。

 井上がこのまま勝ち進めば、超人気選手だったハメドのファイトマネーに追いつき、いずれ抜き去ることも可能だと思える。すでにメキシコの英雄バレラを超えたことも特筆に値する。

2001年のハメド(左)vsバレラ(写真:Boxing History)
2001年のハメド(左)vsバレラ(写真:Boxing History)

レジェンドたちを超える存在

 さて、上記のゴンサレス記者に「井上の相手に一番相応しいのは誰?」と聞くと答えはやはりフルトン。そして「井上がより大きな名声とマネーを獲得するための機会を提供するのがフルトンだと思う。理想的なライバルだと理解している」と語る。プエルトリコは日本、米国からすると第三国であり、ボクシングが盛んという観点からももっともな意見だと受け取れる。

 率直に言って、井上vsフルトンが実現しても22年前のハメドvsバレラほどのインパクトを世界に与えることはできないかもしれない。しかし強敵フルトンを向こうに回して、これまでのようなスペクタクルなパフォーマンスを披露すれば、その次、次の次に及ぼす影響は計り知れない。「黄金のバンタム」エデル・ジョフレ、「ミスターKO」ルーベン・オリバレス、驚異的なKO率を誇ったカルロス・サラテ、アルフォンソ・サモラのZボーイズ、17連続KO防衛のウィルフレド・ゴメス、キャリア絶頂期に逝ったサルバドール・サンチェス、強くて美しかったアレクシス・アルゲリョ……。ラテンアメリカの偉大なヒーローたちを世紀を超えて継承し凌駕して行く存在は日本が生んだモンスターだけかもしれない。

 フルトン戦の勝敗予想をするのはまだ先でいいだろう。とはいえその先まで期待したくなるのが井上という怪物の真骨頂。まずは試合の正式発表を待ちたい。

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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