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保守派に大激震~愛知県知事リコール不正署名で田中事務局長ら逮捕の衝撃~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
2013年における大村知事と河村市長―河村氏は後年、リコール運動の主要人物となる(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 保守派(以下、保守界隈)に大激震が走っている。愛知県の大村知事へのリコール運動を巡り、大量に署名が偽造された事件で愛知県警は2021年5月19日、同リコール運動の事務局長・田中孝博容疑者を地方自治法違反の疑いで逮捕したことは既報の通りである。

 これに関係して、同県警は田中容疑者の妻・なおみ容疑者、次男の雅人容疑者ら3名を逮捕。5月20日午前時点の逮捕者は4名(詳細)。また5月20日16時時点で、今次リコール運動に際しての発起人・高須クリニックの高須克弥氏の女性秘書が不正署名の指紋捺印に関わった、と報道されている(詳細)。

 愛知県知事リコール問題について、筆者はYAHOO!個人記事(リコール不正署名問題―立証された「ネット右翼2%説」2021.2.27)で詳報したが、今一度ことの次第を振り返ってみたい。そして如何なる衝撃が保守界隈を駆け巡っているのだろうか。

・愛知県知事リコール署名不正問題とは何だったのか

 2019年に実施されたあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」に於いて、昭和天皇の写真が焼却される作品が展示されたことは、日本国民への侮辱である―、として保守界隈やそれに付和雷同するネット右翼がこの署名運動を「一丸となって」展開した。リコールの成功(リコール発議)には、愛知県有権者に於いて約87万筆の有効署名が必要であったが、ふたを開けてみるとリコールに失敗したとはいえ、約43万5000筆の署名が集まった。

 これは愛知県有権者全体の約7%程度にあたる。「昭和天皇の写真を焼却するのは日本国民への侮辱だ~」という、保守界隈やネット右翼だけにしか訴求しないジャーゴン(組織内言語)を以て、「ネット右翼2%説(ネット右翼は全国有権者の2%程度)」を永年強固に唱えていた筆者にとっては、この当初速報の署名数は自説を崩しかねないモノであったが、案の定と言おうか、この43万筆の8割が不正で、真正署名は約7万強、有権者人口比は1.2%に過ぎないものであった(詳細)。

・これまで保守界隈が主導した政治的運動の歴史

筆者制作
筆者制作

 これまでの保守界隈の政治的運動は、大きく分けて集団訴訟と首長選挙へ出馬という二つに大別される。

 保守界隈は永年、産経・正論(月刊誌)とその周辺への寄稿・主張という閉鎖的空間だけに自閉しており、中小政治団体の街宣活動や小規模集会、機関誌刊行、はたまた地方選挙への立候補などの政治的運動を除けば、保守界隈における大規模で横断的、かつネット右翼を大きく巻き込んだ政治的運動はほぼ行われないでいた。

 しかし、この定型を覆したのが2008年のCS放送局(当時)日本文化チャンネル桜を発起とした映画『南京の真実』製作運動である。これは読んで字の如く、1937年の所謂「南京事件(南京虐殺)」は主に中国側(および所謂”コミンテルン”などの共産主義者)の捏造であった、とする旨のオピニオンを映画という形で製作する運動で、故・渡部昇一氏や櫻井よしこ氏など、保守界隈を代表する論客らが共同記者会見を行い、その制作費の寄付を全国の保守層に呼び掛けたものである。

 結果、目標とした寄付額(約2億6000万円)が早期に集まり同映画は2008年に第一部として公開された(―この映画の構想は全三部作で、第一部の題名は『七人の死刑囚』、第三部である『支那事変と中国共産党』は2017年に公開された)。

 この『南京の真実』制作に一定程度の成功を見た保守界隈は、次に集団訴訟という政治的運動への活路を見出した。2010年にNHKで報道されたドキュメント番組『ジャパンデビュー』に於いて、「当時日本に統治されていた台湾の少数民族(パイワン族)の名誉を傷つけ、一方的に日本の台湾統治時代を悪と決めつけている」として、保守界隈はNHKを被告とした集団訴訟に踏み切ったのである。

 訴訟の主体になった日本文化チャンネル桜は同番組で大々的な集団訴訟への原告参加や裁判費用の寄付を呼びかけ、最終的に原告団は約1万300人にのぼった。所謂『NHK・ジャパンデビュー集団訴訟』である。

 この裁判は当時、保守界隈始まって以来の大規模な政治的運動であった。すでにネット動画の世界に大きな影響力を持った日本文化チャンネル桜は、その視聴者の大部分を占めるネット右翼に訴求し、一大運動となった。

 結果、第一審の東京地裁では原告が敗訴したものの、第二審の東京高裁では原告が逆転勝訴した。しかし第三審の最高裁判所では原告の請求を棄却し、最高裁判所第一小法廷は、

「一般の視聴者は、日本が先住民族を差別的に取り扱ったという事実を提示した番組と理解するのが通常だ。原告の父親が動物園の動物と同じように扱われるべき者とは受け止めないので、名誉毀損は成立しない」(名誉毀損訴訟、NHK逆転勝訴=台湾統治検証番組で-最高裁,2016.1.21,時事通信,強調筆者)

 とされ、あっけなく原告敗訴が確定して敗北に終わった。

・「史上最大」の朝日新聞集団訴訟に敗北

 保守界隈はこれにめげることなく、二度目の集団訴訟に踏み切った。

 2014年、朝日新聞社が「千葉県在住のライターである故・吉田清治氏が日本統治時代の韓国・済州島で日本軍が婦女子を強制連行した」という証言を1982年から1994年の朝日新聞社の誌面に載せたことについて「(吉田氏による)虚偽・作話であった」として過去にさかのぼって記事を削除した所謂「朝日新聞誤報問題」について、またも「日本国民の名誉を傷つけた」として原告1人に付き1万円の慰謝料と謝罪広告等を求めて朝日新聞社を相手取り提訴に及んだものである。

 この時、同訴訟を主導したのはまたも日本文化チャンネル桜で、その主体は実質的にはその傘下団体である「朝日新聞を糺(ただ)す会」であり、故・渡部昇一氏などが大規模な原告側主張支持・被告批判の姿勢を喧伝したが、2016年の第一審(東京地裁)では、

旧日本軍についての誤った報道で、日本政府への批判的な評価が生まれたとしても、個人の人格権が侵害されたと解するには飛躍がある」(慰安婦報道、慰謝料認めず 朝日新聞への2万人訴訟,2016.7.26,共同通信,強調筆者)

 としてにべもなく請求が棄却された。第二審でも請求が棄却され、またも敗北が確定している。しかしこの朝日新聞集団訴訟においては、第一審の原告参加者が約2万5000名におよび、原告団としては『NHK・ジャパンデビュー集団訴訟』の2倍強を獲得したことで「史上最大の集団訴訟」と銘打つことができ、政治的運動としては一定の成功を見たのであった。

・「田母神選挙」で61万票を獲得する運動を展開するも、後日有罪確定

2014年の都知事選挙で街頭演説する田母神候補
2014年の都知事選挙で街頭演説する田母神候補写真:Natsuki Sakai/アフロ

 この間、保守界隈は首長選挙への自陣営からの立候補という政治的運動にも触手を伸ばす。2014年の猪瀬直樹元都知事の辞職を受けて行われた東京都知事選挙への田母神俊雄元航空幕僚長の擁立であった。

 このときもまたも日本文化チャンネル桜が実質上の主体となって、保守界隈・ネット右翼界隈から横断的で熱狂的な選挙運動が盛り上がった。田母神氏の立候補に際して、選対本部長を務めたのは日本文化チャンネル桜社長の水島総(みずしまさとる)氏(この選挙期間中、同社社長職を辞任)であった。

 結果はこの選挙で主要候補(舛添要一氏、宇都宮健児氏、細川護熙氏)につづく4位となる約61万票を田母神氏は獲得し、落選したものの一定の勢力を誇示した格好となり、今から振り返ると保守界隈の政治的運動は最高潮に達したと言える。

 しかし田母神氏はこの時の選挙で集まった寄付金等の不正使用等の疑いで2016年に逮捕・起訴される(公職選挙法違反―買収)。田母神被告は争ったが、2017年の最高裁で有罪が確定。これをめぐって、田母神候補を支援した日本文化チャンネル桜と、田母神側が不正をしていないという一派が分裂し、お互いがお互いを罵りあうという戦いが展開されたのであった。

 以上、ゼロ年代から現在までの保守界隈の政治的運動を俯瞰してみたが、彼らが獲得した寄付金や、裁判の経緯や、立候補した際の得票数にあっては、至極民主主義的原則に則ったもので、後日その寄付金の使用に不正が発覚したとしても、獲得した得票数に不正はなかった。これが今次の愛知県知事リコール署名運動との最大の違いである。

・田中容疑者逮捕で衝撃を受ける保守界隈~保守派の政治的運動終わりの始まりか~

 曲がりなりにも保守界隈における政治的運動は、これまであらゆる意味で民主的手続きに忠実であろうとした。

 しかし愛知県知事リコール署名は、根底からその手続きを無視した暴挙であった。保守界隈は、「結果としての不正」ではなく「原因としての不正」という禁断の果実に最初から手を染めてしまった。

 これまで繰り返された集団訴訟や首長選挙への立候補という保守界隈の大規模な政治的運動は、一義的には民主的手続きに則ったモノであったが、これが最初から嘘であったのであれば、保守界隈の政治的運動は完全にその信用を喪失し、当然のこと保守界隈やそれに追従するネット右翼界隈以外の一般有権者からも、完全に信用が失墜した格好となる。

 筆者は今次愛知県リコール署名不正問題での逮捕者出来に際し、県外からネット上で応援した古参のネット右翼の男性(60代)に話を聞いたところ、

「私はジャパンデビュー訴訟(2010年)の時から様々な保守派の政治運動に協力してきたが、愛知県知事リコール署名は根底から構造が違う。これまでの保守活動は、負けたとしても正々堂々と胸を張れる正統性があったが、リコール問題は根底から嘘をついていた。これでは世論から白眼視される。保守派は嘘をつく、捏造する、というレッテルを貼られてもしょうがない。今後、類似の活動を支持できるかどうか正直言って自信がない

 と失望した声色で語った。これが保守界隈とそれに追従するネット右翼の偽らざる落胆と失望の象徴ではないか。

 今後、保守界隈が何を主張しても、その主張がかなり好意的にみて正統であったとしても、その根本が嘘と捏造であったのであれば、保守界隈が敗北を重ねながらも連綿として民主的手続きに則った運動を展開してきた歴史は完全に瓦解することになる。

 今次田中事務局長らの逮捕は、保守界隈における政治的運動の終わりを意味するものとなるのか。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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