ラグビー日本代表“新10番”の李承信 在日コリアンとして“ジャパン”でプレーする意味「W杯に出たい」
「本当に驚きの連続です。自分が想像してた21歳よりまったく違うレベルでプレーできていますから」
ラグビー・リーグワンのコベルコ神戸スティーラーズ所属で、日本代表SO(スタンドオフ)の李承信(り・すんしん)は、そう言って照れくさそうに笑っていた。
約2カ月前のテストマッチ。李はウルグアイ戦(6月25日)の後半途中から出場して、「朝鮮学校出身者」として初キャップを獲得。続く世界ランキング2位フランスとの2連戦(7月2、9日)では先発出場を果たし、正確なパス、キックを駆使しチームの司令塔として、攻撃のタクトを振った。特にフランスとの2戦目では、15-20と惜敗したが、勝利にあと一歩まで迫った。
日本代表の「新しい司令塔」、「新10番」と高い評価を受けた李に改めて、在日コリアンとして桜のジャージーを着る意味、来年のW杯に向けた思いについて聞いた。
「国歌を聞いて鳥肌が立った」
――約2カ月前のウルグアイ、フランスとのテストマッチに出場して、日本代表の新たな司令塔と注目されました。周囲の反響や変化は感じますか?
認知度は高まったと感じます。自分の存在を知ってくれるファンの方、多くのラグビーファンなど本当にいろんな方からメッセージいただき、声を掛けていただきました。代表戦に出場したことの影響を改めて実感することが多かったです。地元の神戸に帰ってきて、ご飯を食べに行ったりした時にその店の方が自分のことを知っていたり、名前は知らなくても「テレビで試合見たよ!」と言われたりしましたよ。
――インスタグラムのフォロワーも増えましたか?
ありがたいことに一気に4000人くらい増えました(笑)。
――ウルグアイ戦で、後半に途中出場して初キャップを獲得しました。改めてどのような気持ちでしたか?
代表デビューしたウルグアイ戦はあまり緊張しなかったです。プレーしやすい雰囲気で周りにサポートしてもらい、点差も開いていたのもありましたから。でもフランス戦はかなり緊張しました。ジャパンのユニフォームを着て、国歌の「君が代」を聞いたとき、本当に自分が代表になったという実感がありました。ラグビーを始めた時から日本代表として試合に出るのは憧れだったので、本当に鳥肌が立ちました。
――フランス戦では、先発登録された山沢拓也(埼玉ワイルドナイツ)に代わって、試合前日に急きょ先発で起用されました。心の準備はできていたのでしょうか?
本当に急すぎて、緊張もしたのですが、逆にイレギュラーな環境を楽しもうと思って吹っ切りました。こんな大舞台で10番を背負ってプレーできることを楽しもうという気持ちのほうが大きかったです。
――フランス戦は2試合連続で先発出場。特に第2戦で成長を感じることができたそうですが、具体的にどのような部分でしょうか?
チームを動かす10番としての役割を常に意識していました。自分の任務とプランを遂行する力も必要です。特にゲーム運びの部分でエリアを取り、敵陣でプレーしてスコアするという部分においては、自分1人でできることではありません。そうした部分で神戸で経験できなかったことが、ジャパンで新たに経験できたのは大きかったです。“10番”としての役割を少しは果たせましたし、成長できたかなと思います。
立ち位置では「自分が一番下」
――特にフランスとの2戦目は15-20で勝利へあと一歩のところまで迫りました。悔しい気持ちもあったと思います。
悔しさと自信の両方ですね。チームとして準備してきたハードワークがあったからこそ、悔しさが強かったです。自分が思い描いたものよりもたくさんの経験ができたので、そこはプラスに捉えています。ただ、テストマッチといえども勝たないといけない。やはり結果がすべてですから。
――特に世界2位のフランス代表とは何が違いましたか?
フィジカルとスピードはもちろん、自分たちがどのように戦うのか、どこで勝負するのかをチーム全体が理解しているんです。例えばフォワードのフィジカルで勝負なのか、バックスで勝負なのか、そういう判断がすごく良かったと思います。敵陣に入ったら本当に高い確率でスコアしてるので、自分たちの強みを彼らは知っている。その遂行力のレベルが高いと感じました。
――逆に通用すると感じた部分はありましたか?
日本のメンバー個人のスキル、キャッチ・パス、ランにおいては劣っているとは思いません。ボールを継続すればフランスのディフェンスを崩せるシーンもありましたし、キック判断のところも特にそうです。世界の高いレベルでも自分たちのスキルやジャパンのアタックが通用するのは実感できました。
――新たな「日本の10番」と言われますが、そこに対する意識はありますか?
立ち位置では自分が一番下という思いがあります。でもこの夏の経験はものすごく貴重で、これを絶対に生かして次に積み重ねていきたいです。ジャパンのメンバーとしっかり対等なレベルでプレーできるようにしていきたい。もちろんまったく“負ける”とも思っていないので、必死に食らいついていきたいです。
「朝鮮学校出身者にも可能性と道が開けた」
大阪朝鮮高級学校ラグビー部に所属していた李は、3年時には花園(全国高校ラグビー大会)にも出場。同校は花園に11回出場でベスト4入りは3度の強豪校だ。在日コリアンが通う学校なので、他の強豪校に比べて、はるかに部員数が少ないが、限られた戦力の中で、伝統を築き上げてきた。卒業生の中には明治大学や帝京大学などラグビーの名門大学に進学する者もいれば、トップリーガーも数多く存在する。
ただ、朝鮮学校出身者から(15人制の)ラグビー日本代表になった選手だけはいなかった。そもそも、数少ない朝鮮学校卒業生のラガーマンから日本代表選手が誕生すること自体、夢のような話でもあるが、李がその第一号となったのだ。
――朝鮮学校出身者として初めて日本代表キャップを獲得しました。何か特別な思いはありますか?
すごく光栄なことでうれしいです。僕が日本代表になることで、これから未来の子たちへの道が開けたと思いますし、可能性を感じてもらえたと思います。誰も見てきてない道をもっと自分が開いていきたい気持ちがあります。ポジティブな影響力も与えられたと思いますし、これから自分がもっと活躍することで、朝鮮学校でラグビーをする選手たちが進む道の可能性を大きくしていきたいです。
――父の東慶(トンギョン)さんも毎日新聞の取材で「(息子の日本代表入りに)否定的な意見を持つ人はいるかもしれない。でも、ラグビーはそんなスポーツではないと思う。承信には、これから朝鮮学校出身の子が見たことのない景色を見せてやってほしい」と語っていました。
正直、父からラグビーを教わったことはなくて、ダメ出しもされたことがないんです(笑)。どちらかというと褒められてここまでやってきたので、何か教えがあったりとかもなく自由にラグビーをさせてもらっていたんです。なので、父が日本代表入りに関して、そんなことを思っていたというのは、記事を見て初めて知りました。
「ルーツに誇りを持ちチームに貢献したい」
――実際にジャパン入りに関して、周囲からは否定的な意見もあったのでしょうか?
僕が直接言われたことはないのですが、SNSのツイッターなどで僕が代表入りすることが「何が特別なの?」という意見をしている方がいたと記憶しています。でもどちらかと言えば、好意的に見てくれる人がほとんどで、否定的に見る人はほとんどいません。
――日本代表にはいろんな国籍の選手がいて、それぞれ生まれた背景やルーツも違いますが、みんなが“ジャパン”でプレーする誇りを持っていると思います。李選手はその中で、自身の在日コリアンとしての立ち位置や役割をどのように捉えていますか?
自分には“在日”のルーツがあって、1世の祖父母や両親も含めて、様々な歴史を持っていますが、“ジャパン”の中には自分だけじゃなく、いろんな国の人が自分たちの国のルーツや文化に誇りを持ってプレーしています。自分もそんな選手たちと一緒に“ジャパン”という「ONE TEAM(ワンチーム)」の中で、そんな大事にしている思いが少しでもチームに対してプラスになれるようにしていきたい。チームで勝つことが一番ですし、チームに貢献するという思いが一番強いです。
「本当の意味での10番を背負いたい」
――帝京大学を辞めてニュージーランド留学がコロナ禍で渡航できず、20年に地元のコベルコ神戸スティーラーズに入団、ジャパン入りして試合デビューも飾りました。努力と運など様々な要素が噛み合いここまできていると感じますが、今の姿を想像できていましたか?
本当におっしゃるとおりで、驚きの連続です。自分が想像していた21歳よりも違うレベルでプレーできてるので、そこは数々のチャンスを生かしてつかんできた自負があります。訪れるチャンスをつかむためにも、これからも努力し続けて、準備していくことが大事なんだというのは実感しています。
――ようやく苦労が報われてきたと感じますか?
努力して準備してきたことが実ったという部分で、少しは報われてきたと感じています。ただ、本当に日本代表に入れるとは思っていなかったですし、「10番」として出られるとも思っていませんでした。テストマッチに出られたのも偶然やハプニングがあったわけで、もっと自分の力で、本当の意味での10番を背負えるようになりたいなと思いました。
――自分は「持っている」と思いますか?(笑)
「持っている」と、少しは思います(笑)。でも環境や周りの方たちに支えられて今がありますし、運やタイミングがとても良かったかなというのはあります。
――世界のラグビー強豪国を見ると多くの若い選手が活躍していたり、チームを牽引する選手も多いです。李選手のケースは稀ですが、世界と対等に戦うには若くして経験は必要でしょうか?
人生はラグビーだけが全てじゃないので言い方が難しいですが、自分はプロラガーマンとしてインターナショナルになることが夢だったので、大学を辞めて留学するという道を選択しました。ただ、今回は運よくジャパン入りしてテストマッチを経験できたことで、これからのキャリアにつながっていくと感じています。イングランド代表のマーカス・スミス(23歳)なんかもそうですが、若い選手たちが「10番は俺だ」というようなモチベーションでプレーしていると思うんです。早い段階で高いレベルを経験することで、プライドや自覚が芽生えると思います。
――今後の目標について教えください。
チームとしては本当に納得いかない結果でシーズン(7位)が終わってしまったので、その悔しさやつらさが今シーズンへのエネルギーとなって見返したい気持ちもより一層大きくなりました。そういう意味でももう一回チームを作り直してチャンピオンを目指してやっていきたい。あとは2023年W杯への思いが、この夏でさらに強くなり、明確になりました。自分の立ち位置を見据えながら、成長しメンバー入りを果たしたい。「俺やったらできる」という気持ちも強くなりました。そのためにも秋のテストマッチ(10月29日、ニュージーランド戦)は重要なアピールでチャンスだと思っています。まずはそこでしっかり結果を残していきたい。
■プロフィール
李承信(り・すんしん)/2001年1月13日、神戸市生まれの21歳。176センチ・85キロ。在日コリアン3世で、幼稚園から朝鮮学校に通う。父親と2人の兄の影響で、4歳からラグビーを始める。小中はサッカー部に所属しながら、ラグビースクールに通う。神戸朝鮮初中級学校からラグビー強豪校の大阪朝鮮高級学校に進み、3年時には花園に出場。高校2年時から高校日本代表に選出。帝京大学に進学し、ジュニア・ジャパンの主将を務める。大学を辞めてニュージーランド留学を決意もコロナ禍で渡航できずにいたが、縁あって2020年にコベルコ神戸スティーラーズに入団。加入2年目のリーグワン元年にチームの副将として13試合に出場(11試合先発)。代表キャップ数は「3」。