二十歳になった藤田菜七子騎手のこれまでを振り返ると意外な事実が!!
8月9日に二十歳の誕生日を迎えた藤田菜七子騎手。
昨年のデビュー時はワイドショーに取り上げられるほどフィーバーを巻き起こした。当時と比べると最近は周囲の反応もだいぶ落ち着いてきたが、彼女自身は経験を増して、スキルもアップ。“競馬”という観点でとらえれば、むしろこれから注目しなければいけないジョッキーになってきた。そんな彼女のここまでを振り返りつつ、記録面からみた意外な事実を紹介しよう。
菜七子、競馬との出会いから騎手デビューまで
1997年8月9日、茨城県は現在の守谷市で生まれた。小、中学生の頃は空手や剣道に汗を流した。
そんな頃、家族の運転する車で高速道路を走っている時、面白い形の車に目が行った。
「横に“オグリキャップ号”と書かれている大きな車で、後に馬運車であることを知りました」
オグリキャップとは何だろう?と調べると、競走馬であることが分かった。そして芋づる式に競馬や有馬記念を知り、興味を抱くと、やがて騎手に憧れるようになった。
「騎手が男性ばかりということは分かっていました。でも、女性でもなる資格があると知り、なら挑戦してみようと思いました」
家族の協力の下、乗馬を始めた。すると、競馬学校に合格。2016年に競馬学校を卒業すると、同年3月、美浦、根本康広厩舎からデビューを果たした。
デビューと同時に大フィーバーに巻き込まれ……
JRAでは久々に登場した女性騎手。愛らしいルックスも相俟って藤田菜七子はたちまち“時の人”となった。スポーツ新聞や競馬雑誌はもちろんだが、競馬に関係のない雑誌にも取り上げられた。それどころか新聞は競馬面どころかスポーツ面も飛び出し、社会面で扱われる存在となり、テレビは競馬の行なわれる週末の午後3時だけでなく、ワイドショーでも彼女のために時間を割いた。当時を述懐する彼女の表情は今でも戸惑いの色を隠さない。
「自分でも何が何だか分からない騒動で、どう対応して良いのか困りました」
騎手といっても成りたてで、3年前までどこにでもいる中学生の女の子だったのだ。勝手に神輿に乗せられ、知らぬ間に高く担ぎ上げられたらどうして良いのか分からなくなるのは当然だろう。当時、地方の交流レースで人気のない馬に騎乗し、“人気通り”敗れても騎乗後に共同会見の場が用意され、戸惑っていた彼女を思い出す。
新人でいきなり得た海外遠征のチャンス
しかし、女性騎手であることは決してマイナスな面ばかりを運んできたわけではなかった。例えばその一つに海外からの招待があった。
シェイク・ファティマ・ビン・ムバラク杯レディースワールドチャンピオンシップに招待を受けたのは7月末。デビューから半年も経っていない時のことだった。
「JRAに来た話を、師匠の根本先生を通し伺いました。滅多にある機会ではないのですごく嬉しかったです」
首を縦に振って向かった先はイギリスのサンダウン競馬場。8月19日に自身初めてとなる海外騎乗を果たす予定でいた。
しかし、パドックで曳き手を転ばせるほどイレ込んでいた騎乗予定馬は、藤田が跨ったた次の刹那、立ち上がるとそのまま真後ろに転倒。鞍上を振り落とすと脱兎のごとくパドックから逃げ出してしまった。
落とされた直後は「大丈夫です」と気丈に振る舞っていた藤田だが、主催者から取り消しを告げられると「え!?乗れないんですか!?」と言った後、涙が溢れだした。
時に非情な競馬の神様だが、この時は救いの手を差しのべてくれた。本来なら予選の勝利騎手に与えられる同シリーズ第15戦となる決勝戦への進出を、主催者側の判断で確約してくれたのだ。
こうして11月13日、2度目の海外“初”騎乗が実現した。中東のアブダビで騎乗したのだ。
「結果は7着でした。でも、ゲートボーイ(枠場の中で馬を制御してくれる係員で諸外国の多くが採用)も経験したし、元騎手のジュリー・クローンさんやシャンタル・サザーランドさんを紹介していただくなど、短い期間で多くのことを学べました。自由な時間はほとんど無かったのですが、最後の日にモスクに連れて行ってもらうなど、プライベートでも日本では出来ない経験が出来て、とても有意義に過ごせました」
この春には武豊と共にマカオで騎乗
そういった経験はまだ続いた。
今年の3月にはマカオで行なわれた国際男女混合ジョッキーズチャレンジに、JRAから武豊と共に招待を受けた。現地ではこの夏のワールドオールスタージョッキーズにも招待されることになるオーストラリアのケイトリン・マリオンとも情報を交換した。そしてもちろん、武豊とも時間を共有する機会に恵まれた。
「憧れの武豊さんからは技術面だけでなく、気持ちの持ち方などのアドバイスをいただくことが出来ました」
更に6月には前年同様シェイク・ファティマ・ビン・ムバラク杯の予選で今度はスウェーデンでの騎乗を果たした。
JRA通算13勝にみる意外な事実
「こういった経験を少しでも日本での騎乗に生かしたいです」
最初に外国へ行った時からそう語っていた彼女だが、実際にそれはどのくらい実になっているのか……。
デビュー年の昨年、JRAであげた勝利数は6。そして、今年は十代最後の騎乗となった8月5、6日にそれぞれ1勝ずつをマークし、前年を上回る7勝を記録した。
「まだまだ数字面で満足できることはありません」
彼女自身、そう語る。実際、この勝ち鞍自体は騎手全体の中でも決して多くはない。いや、はっきり記せば少ない方だ。
先述した8月6日までの時点で、彼女はJRAの498レースに騎乗している。その中で13勝、2着18回、3着12回の成績を残している。勝率は2・6%、連対率は6・2%。確かに上に伸びる幅がまだまだある数字だ。
しかし、少し違った面から検証してみると、面白いことに気付く。
この498レース中、1番人気に支持されたのは僅か2頭だけ。2番人気も13頭しかいない。“藤田菜七子ブランド”で過剰人気になるにも関わらず、上位に支持されたのはこれだけ。その中で、先に記した通り13勝をあげているのだ。ちなみに13勝のうち、11勝は4番人気以下での勝利。前年の勝利数を上回った8月6日のコパノディールは単勝3820円の11番人気での優勝。減量というアドバンテージを差っ引いても立派な数字を残している事実が分かる。
二十歳になった菜七子の今後の目標は
この数字を本人に告げると、恥ずかしそうに笑みをみせた後に、言った。
「もっと人気馬に乗れるようにならないとダメですね」
そして更に続けた。
「もっと勝って、信頼を得られるように努力します!!」
言い終わった彼女の表情からはいつの間にか笑みが消えていた。二十歳になった藤田菜七子がもっともっと羽ばたくことを応援したい。
(文中敬称略、撮影=平松さとし)