【パリ】注目の新店 鉄板焼専門店「KOJI(紘司)」にみる本格和食のブランド価値。
コロナ禍にめげず新規開店
コロナ禍でレストランが軒並み長期休業を強いられてきたフランスですが、この5月19日からはテラスが再開され、6月9日からは店内営業も始まり、段階的に元のような状態に戻りつつあります。
ところで、食の都パリで日本人シェフの活躍が目覚ましいことはみなさんすでにご承知のことでしょう。本場で堂々フレンチ三つ星を獲得したシェフ、寿司で二つ星の快挙など、我々日本人としては嬉しいニュースが続いていますし、いわゆるB級グルメの世界でも日本人の仕事が目覚ましい勢いでファンを増やしています。
そして今度は、高級鉄板焼専門店がお目見えすることになりました。場所はパリ郊外、といってもほんの数分歩けばパリ市内に入るというイシー・レ・ムリノ市。マイクロソフトを筆頭に有名企業のビルが立ち並び、住民の大半が管理職ともいわれるエリアにあります。
鉄板焼のカウンターがシェフの舞台
店名の「KOJI(紘司)」は、オーナーシェフの橋本紘司さんの名前からとっています。彼はパリのレストラン「弁慶」でエグゼクティブシェフを務めたうえで、自分の店を持つという夢をいよいよ実現させました。
「弁慶」はセーヌ川に面した近代的な高層ホテル「Novotel(ノヴォテル)」内にあるレストランですが、「ノヴォテル」の前身「ホテル日航」時代から長年親しまれてきた高級和食の店で、パリ滞在中に疲れた胃袋を休めに行ったという思い出をもつ日本人も少なくないことでしょう。そのレストランで一番人気なのが、日本人シェフが目の前で腕を奮ってくれる鉄板焼です。
紘司さんの料理人としてのキャリアは「弁慶」以前にもかなりの豊かさ。パリの二つ星フレンチレストランでスーシェフに次ぐポストで活躍していたこともあるというほどの実力者ですが、いつか自分の店を持つならば鉄板焼、と決めていたのだそうです。
「調理場で仕事をしているときは不思議なもので時間の経過がすごく長く感じるんですが、鉄板焼でカウンターに立っているとあっという間。もちろん人に見られるのが嫌なシェフもいると思いますから、これはもう人によるのですが、鉄板焼のほうがわたしにとっては断然面白い。お客さんの反応がダイレクトにかえってきます。顔を見ていたらわかります。
カウンターでお客さんにお料理を出すとき、これはこうやって食べてくれ、とかはあまり言いません。たとえ手で食べようと、お客さんの好きなように食べてもらえればいいんです。お金をいただいている料理がおいしいのは当たり前です。けれどもレストランの楽しみは、料理だけでなく店の雰囲気とか、誰と食べているかとかトータルなものです。カウンターにいれば、お料理を通じてお客さんにとっていい雰囲気を演出して心のこもったもてなしができる。裏の調理場にいてはできないことです」
言葉のハンディもある外国で、対面で料理をし、さらに相手の表情を見ながら雰囲気作りもするというのは、料理人として優秀なだけではつとまらない仕事だというのは想像ができます。いわゆるエンターテイナーとしての資質もなければ、自ら喜んでその環境を選びはしないのではないでしょうか。
「日本にいたころはずっと音楽、それもロックをやっていて、プロになりたいと思っていました」
と、紘司さん。コックコートがすっかり板についた今の姿からすると意外とも思える話ですが、鉄板焼のカウンターに立って、目の前の人を楽しませることは、あながちロックスターの夢とかけ離れてはいないのかもしれません。
ロックスターになる夢に導かれて海外へ
20代の初めで海外に出ようと思ったのも、音楽を続けたい、成功したいという気持ちから。とりあえず手に職をつける目的で入った調理学校では、外国で役に立つという理由から和食を専攻したのだそうです。
そしてドイツはデュッセルドルフの「弁慶」に就職が決まり、それが紘司さんのヨーロッパでの料理人生のスタートになりました。
「料理が好きになったのは、27、8歳のときなんです」
と、紘司さん。
いってしまえば、それ以前は音楽で成功するためのステップとしての料理人でした。デュッセルドルフの「弁慶」からパリの「弁慶」へ。そして「このまま鉄板焼だけやっていても…」という焦燥感と、「せっかくパリにいるんだし」という気持ちから、フランス料理の世界に入り、そこで働き続けた結果、パリのミシュラン二つ星の有名店「エレーヌ・ダローズ」で肉とソースという、いわばフレンチの要の部門のシェフに抜擢されるまでになりました。
そのままフランス料理の世界で階段を昇ることももちろんできたでしょう。けれども、紘司さんの面白いところは、そこでまた自分の意志で鉄板焼に戻ってきたところ。古巣のパリ「弁慶」でシェフになるのです。
「わたしは結局カウンターがやりたかったんですね。裏の仕事とカウンターの仕事ではやりがいが違います。裏は面白くないです」
と、たしなめられた子供が首を引っこめるようにしながら、紘司さんは笑います。
独立の夢を叶える
「弁慶」では、鉄板焼だけでなく、和食のすべての部門を統括するエグゼクティブシェフというポジションになりましたが、紘司さんはいつかは自分の店をという夢を温めていました。
「ほんとうは静かな郊外で、カウンター10席くらいのこぢんまりした店が持てればと思っていました」という紘司さんですが、今回新しくできたお店は立地はもちろんのこと、広さも内装もそれ以上のスケールです。
メインストリートの角地にある新築ビルの1階、しかも床面積140平米という願ってもない物件の話が紘司さんのもとに舞い込んできたのは、このビルを建てた建築会社の会長からでした。この会長は紘司さんの長年の常連客で、カウンターをはさんで会話を重ねるうちに、奇遇な共通点があることがわかり、少なからず縁を感じる存在になっていました。
そしてこのビルの所有者であるイシー・レ・ムリノ市のサンティニ市長がじつは大の日本贔屓。政治家としての高等教育に加えて国立大学で日本語を修めたという人物で、市に和食の高級店ができるのは彼にとっても望ましいことでした。ちなみに、イシー・レ・ムリノ市は千葉県の市川市と友好都市になっています。
人気エリアでの物件探し、数ある競争相手のなかから選ばれること、そして契約、いずれのステップも、外国人にとってかなりハードルが高いものですが、思わぬ追い風をうけて紘司さんの夢は現実味を帯びてきます。
とはいえ、内装工事から開店までの資金調達は紘司さん自身がなんとかするしかありません。しかも思っていた以上に広い物件ですから、費用も想定外の額。当然銀行からの融資になるわけですが、そのときに決め手になったのは、紘司さんの常連客のほとんどがフランス人ということでした。つまり、和食の店といえども、駐在員や出張者などの日本人客に軸足を置かず、地元フランスの富裕層に長く親しまれてきたことが評価されたのです。
意志を通す勇気と諦めない覚悟
本来ならば2020年4月にオープンする予定だった「KOJI」ですが、折しもこのコロナ禍。さらに建築途中で、職人チームを替えないことには、望むレベルのものが実現しないという苦渋の選択を強いられ、工事は難航、いったんは座礁に乗り上げてしまいました。
「床材以外は日本の木材。カウンターのテーブルも引き戸もこの店のために日本で設計制作したものをここまで運んできています。はじめはフランス人の建築スタッフで取り掛かったのですが、ミリ単位で天井を作り、鴨居と敷居を狂いなく合わせてゆくという仕事は結局無理で、途中でその建築スタッフの方々に退いていただく決断をしたのです。『経験もないくせに』とか、さんざん罵声を浴びせされましたし、その代わりになる人たちを見つけられるのかという問題もありましたが、自分たちがほんとうにしたいことは何なのか、そこは譲れないと思ったのです」
見事に完成した店内でそう語るのは前田愛さん。「弁慶」のサービス部門でキャリアを重ね、紘司さんと新店プロジェクトを立ち上げ、開店までこぎつけた立役者です。
店舗のコンセプト、配置などは紘司さんと愛さんによるものですが、それを建築家の北川原温氏に託したことで、ディテールの隅々までプロならではの創意に満ちた設計になりました。天井の細工、組子のオブジェのアイディアなどは最たるもの。そういったグレードの高い意匠を現場で実際に組み立てていったのは、紘司さんと愛さんが探しに探してたどり着いたフランス在住の日本人の大工さんたちでした。
冒頭に書いたとおり、フランスではレストランの店内営業が、いよいよ6月9日から始まりました。文字通り待ちに待った「KOJI」の幕開けもその日から、と思いきや、開店は翌日の10日。そのココロは、10日が「大安」だからなのだとか…。日本の良きもの、良きことを尊ぶ店のコンセプトがこんなところにも表れているようです。