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ミュージカル『ラブ・レター』、心動かされる音楽座ミュージカル独自の魅力とは?

中本千晶演劇ジャーナリスト
※記事内写真 提供:ヒューマンデザイン 撮影:二階堂健

「これはとんでもないものを見たぞ」と、思った。

 息もつかせぬ展開、美しい音楽と安定の歌唱力、斬新な舞台装置、そしてハマり役なキャストたち……どこを取っても隙がなく、長年にわたってオリジナル・ミュージカルの創作にこだわってきた音楽座の底力を今更ながら見せつけられた気がした。

 7月1〜3日、東京・草月ホールにて上演されたミュージカル『ラブ・レター』は、浅田次郎の同名の小説をミュージカル化した作品だ。初演は2013年だが、今回の再演にあたっては随所に改変がほどこされている。

 2022年の新宿・歌舞伎町で、うだつの上がらぬまま47歳になったサトシ(小林啓也)が街を彷徨っている。そこに昔なじみのナオミ(森彩香)が突然現れ、舞台は30年前にタイムスリップする。

 そこには高野吾郎(安中淳也)という男がいた。吾郎は50万円欲しさに書類上だけの偽装結婚をしていたが、「妻」である中国人女性・白蘭(岡崎かのん)が死んだので、遺体を引き取りに来てほしいと言われる。一度も会ったこともない夫の吾郎に対して、白蘭は一通の手紙を残していた。

 いっぽう、30年前のサトシは、ヤクザの佐竹の元で手配屋として張り切って働いていた。食堂「真砂」の婆ちゃんと、店で働くナオミはそんなサトシの行末を案じている。遺体引き取りに同行することになったサトシは、吾郎の煮え切らない態度にやきもきするばかりだった。

 白蘭が生前働いていた店と亡くなった病院を訪ね、彼女の想いを知った吾郎は次第に深く心動かされていく。だが、そんな吾郎にも、そして「真砂」の婆ちゃんやナオミにも、容赦ない運命が待ち受けていた…。

ナオミ(森彩香)とサトシ(小林啓也)
ナオミ(森彩香)とサトシ(小林啓也)

 音楽座ミュージカルのことはもちろん以前から知っていた。「日本のミュージカルの一翼を担う団体の一つ」という認識でもあった。最近は『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』『マドモアゼル・モーツァルト』『リトルプリンス』が東宝にて上演され、その作品に触れる機会は増えている。

 だが、音楽座本体での上演を観たのは、恥ずかしながら1996年に『マドモアゼル・モーツァルト』を観て以来、久しぶりのことだった。そして、「とんでもないものを見た」と衝撃を受けている。その理由を私なりに整理してみることにした。

 第一に、一見およそ「ミュージカル」に似つかわしくない題材を、ミュージカルという枠組みに落とし込む手腕に脱帽した。

 そもそも舞台が新宿・歌舞伎町というのが生々しい。そこで世間の辛酸を舐めながら生きている人たちの、およそ夢のない話であり、主な登場人物はとことん追い詰められる。だが、根底のところで希望や救いを諦めてはいない。絶妙なバランスの上に成立している舞台である。

 原作小説も読んでみたが、吾郎と白蘭のエピソードがさらりと描かれた、文庫本にしてわずか35ページの短編だ。ところが舞台では、サトシや佐竹のキャラクターをぐっと膨らませ、他にも個性的な人物を幾人も登場させることで、重層的な物語がダイナミックに展開する。さらに、幕開けに「死者たち」を登場させる演出でもって、生きることの「苦しみ」と「喜び」、相反するものをくっきりと浮かび上がらせてみせるのだ。

 第二に、ミュージカルの構成要素である音楽、舞台装置、衣装などのそれぞれにこだわりが感じられ、遜色がない。とくに面白いと思ったのは舞台装置で、柱状のものが舞台上に何本も立っており、これを移動させたり寝かせたりしてあらゆる場面を表現する。幕開きの人間たちの現れ方にはびっくりした。

 スタッフ一覧をみると、脚本・演出・振付は「ワームホールプロジェクト」とある。ワームホールプロジェクトは代表の相川タロー氏を中心に脚本、演出、音楽、振付、美術、衣裳、照明などの各要素の担当プロデューサーで構成され、互いに衝突しながらも妥協せず、最高の舞台を目指すという、音楽座ミュージカルを特徴づける独自の創作システムだ。今回の舞台もこのシステムの賜物でもあるのだろう。

 第三に、キャスト一人ひとりに人間味あふれる魅力があり、歌唱力に関しても死角がない。加えて、不法入国してきた中国人女性、場末の食堂の婆ちゃん、ヤクザの親玉など、尖った個性の登場人物が多いにもかかわらず、誰一人としてハマり役でない人がいないことに驚かされた。

 音楽座ではその時一番良いキャストで舞台を届けるため、配役は「キャスト(案)」として発表されるのが慣例で、ギリギリまで変更になる可能性があるという。今回のハマり役ぶりも、音楽座独特のやり方の賜物なのかもしれないと思った。

 その密度の濃さゆえに、客席数500余りの草月ホールの舞台が狭く感じられるほどだった。幕が降りた後、久しぶりに心から「これはスタンディングオベーションしたい!」と思えた、立ち上がりたくてウズウズさせられた舞台だった。

 ミュージカルといえばブロードウェイやウエストエンドから輸入するもの、という印象が日本ではまだまだ強い。だが「日本人に馴染みの題材で日本オリジナルのミュージカルを創ること」は、ミュージカルが日本に普及しはじめた1960年代以来の悲願だったはずだ。この悲願に愚直に丁寧に挑み続けてきたのが、音楽座というカンパニーなのだと、改めて思い知った。

「東京公演が3日しかないなんて、もったいない」と思ったが、この後、8月24日に名古屋で、9月3日に広島での公演がある。さらに、11月には再び東京・草月ホールでの公演が予定されている。この良心的なミュージカルを是非たくさんの人に味わって欲しいと思う。

白蘭(岡崎かのん)・吾郎(安中淳也)・サトシ(小林啓也) 
白蘭(岡崎かのん)・吾郎(安中淳也)・サトシ(小林啓也) 

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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