Yahoo!ニュース

なぜ最高裁はバイデン政権の「学生ローン返済免除政策」に違法判決を下したのか? 返済不能で破綻急増も

中岡望ジャーナリスト
保守化が進む最高裁:最高裁の入り口(写真:ロイター/アフロ)

■ 保守派の意向を汲んだ最高裁判決が相次ぐ

 最高裁は保守派とリベラル派の「イデオロギー戦争」や社会的な価値観を巡る「文化戦争」の最前線になっている。最高裁の過半数の判事を占めることが、文化戦争で“勝利”を収める道となっている。最高裁は社会の動向を決定する最後の権力を持つ。最高裁判事は終身であり、その影響力は永続する。

 アメリカの保守派勢力は最高裁判事に保守派を送り込むことで、保守派の主張に沿った判決を出させようとしてきた。トランプ前大統領が3名の保守派判事を指名したことで、9名の判事のうち6名が保守派判事となった。今や最高裁では保守派の希望通りの判決が下るようになっている。保守派判事が多数となった2022年以降、最高裁は保守派の意向に沿った判決を相次いで出している。

 最初の保守派の勝利は、2022年6月に女性の中絶権を認めた最高裁の1973年の「ロー対ウエイド判決」を覆したことだ。続いて20223年6月29日に、最高裁は、長年、教育差別を受けてきた黒人の大学進学や雇用の促進を促す「アファーマティブ・アクション」に対して違憲判決を下した(「公平な入試のための学生対ハーバード大学裁判」と「公平な入試のための学生対ノールカロライナ大学裁判」)。さらに翌30日、バイデン政権の目玉政策のひとつである「学生ローン返済免除政策」を違法と判断した(バイデン対ネブラスカ州裁判))。

 同じ日に「宗教的信念」に基づき同性婚のカップルのためのウエブサイト作成の依頼を断ったデザイン会社を巡る裁判(「303クリエイティブ有限会社対エレニス裁判」)で、最高裁は被告の企業の差別を容認する判決を下した。また、あまり注目されていないが、ペンシルバニア州の郵便配達員が合衆国郵便長官を相手取って、日曜日に郵便物を配達させるのは宗教的信念に反すると訴えた「ジェラルド・E・グロッフ対ルイス・デジョイ郵便長官裁判」がある。原告は、日曜日はキリスト教の安息日であり、その日に働くことを求められるのは自分の「宗教的自由」に反すると主張した。最高裁は、原告の主張を認める判決を下した。この2つの裁判に見られるように、エバンジェリカルは自らの「宗教的自由」を根拠に自分たちの信条に反する者に対する差別を合理化しようとしている。今後、同性婚を認めた判決も、保守派の主張を受けて覆る可能性が強い。

 ヤフー個人の別稿で「アファーマティブ・アクション」に関する最高裁判決の分析記事を書いたので、参照いただければ幸いである。本稿では「学生ローン返済免除政策」を巡る裁判の内容と、最高裁が違法とする判断を下した根拠について説明する。

■ なぜバイデン大統領は「学生ローン返済免除政策」を打ち出したのか

 バイデン大統領が掲げる主要政策のひとつに、中産階級の拡大がある。中産階級がアメリカの豊かさの源泉であり、民主主義の礎であるというのが、バイデン大統領の持論である。バイデン大統領は、中産階級を拡大するための政策として、「賃金の引き上げ」と「学生ローン返済免除」を掲げている。2020年の大統領選挙で学生ローン返済免除が公約に掲げ、若者層の支持を得た。

 バイデン大統領は、公約に基づき2022年8月24日に学生ローン返済免除に関する「大統領令」を出した。大統領は声明の中で「大学教育は中産階級の生活を得るためのチケットである。だが大学進学のために借りたローンは中産階級の生活を得る機会を奪う負担になっている」と、学生ローン返済免除の必要性を訴えた。さらに「学生ローンを借りた人々は月々の返済に苦慮し、債務残高が増え続けている。住宅を購入したり、退職後の生活に備える貯蓄をしたり、事業を始めることがますます難しくなっている」と、学生ローンを借りた人の窮状を指摘している。

 バイデン大統領は、学生ローン返済免除を実施する法的な根拠として「HEROES法(Higher Education Relief Opportunities for Student Act of 2003: 学生のための高等教育救済機会法)」を上げた。同法は、2001年の同時多発テロの影響を受けた返済に窮した借り手を保護するために、教育長官に債務放棄の権限を与えたものである。2003年に議会は同法の対象に「国家的な緊急事態によって影響を受けた借り手」という項目を加えた。今回、バイデン政権は、コロナ感染拡大を「国家的な緊急事態」として、学生ローン返済が滞った人を救済するために同法の発動を決定したのである。

 学生ローン返済免除が実施されるまで、2020年3月に学生ローンの返済を9月30日まで猶予する「大統領令」を出した。その後、猶予期間は12月30日まで延長された。さらに最高裁で学生ローン返済免除の合法性を巡る裁判が始まったことから、判決が出るまで猶予期間を延長された。6月30日に最高裁の判決が下り、学生ローンの返済は8月末から始まることになる。

 だが、最高裁判決で学生ローン返済免除は違法であるのと判決が出た。バイデン大統領は別の方法で返済免除を実現する姿勢は崩していないが、実現するかどうかは不透明である。返済免除が実現しなければ、返済遅延や返済不履行に陥る人が多く出てくる懸念がある。

■ 政策には様々な政策が盛り込まれた内容

バイデン大統領の学生ローン返済免除計画の具体的な内容は以下の通りである。

① 個人の年収が12万5000ドル(共稼ぎ夫婦の場合は25万ドル)以下の学生ロ   

  ーンの借り手に対して最高1万ドル、低所得者向けの国の奨学金である「ペル 

  奨学金」を借りていた者に対して最高2万ドルの債務免除が行われる。年収12

  万5000ドルは円換算して約1800万円である。

②月々の返済額の上限を現行の可処分所得の10%から5%に引き下げる。

③毎月返済を滞りなく行っている場合、金利が免除され、残高が増えるない措

   置が講じられる。

④所得が最低賃金を下回る場合、返済は免除される。

⑤最初の債務残額が1万2000ドル以下で、20年以上返済を続けている場合、返

   済は免除される。

⑥卒業後、軍や連邦政府、地方政府で働いている場合、現行制度に加えて免除

   措置を追加する。

⑦給付型奨学金の額を倍増して、学生の金銭的負担を軽減する。

⑧2年制の短大の授業料を無料にする。

⑨大学に対して授業料を妥当な水準に維持し、授業料に見合った価値を確実に

   得られるように義務を科す。

 ホワイトハウスの説明では、約2000万人の債務者の残存残高が免除されるなど、4300万人が恩恵を受けるとされた。また議会予算局は、そうした免除措置に伴い4000憶ドルの財政負担が発生すると推計している。実際に返済免除の申し込みをした数は2600万人で、うち1600万人が承認された。

■ 「学生ローン返済免除政策」に対する2つの訴訟

 学生ローン返済免除について2つの訴訟が起こった。ひとつは、保守派から反対である。共和党が支配するアイオワ州、カンサス州、ネブラスカ州など6州は9月に共同して、「権力分立」と「行政手続法」に違反しているとして、バイデン大統領を訴えた。もうひとつの訴訟は、返済免除の対象とならない二人(マイラ・ブラウンとアレクサンダー・テイラー)が対象の拡充を求めて訴訟を起こしたものである(教育省対ブラウン裁判)。

 6州の訴訟に関して、連邦地方裁判所は訴えを退けたが、11月14日にセントルイスの連邦控訴裁が要求を受け入れ、同政策の「差し止め命令」を下した。連邦控訴裁の判決を受け、バイデン政権はHEROES法によって教育省に国家の緊急事態で債務不履行の危機に陥っている借り手を救済するために債務を免除する権限が与えられていると反論した。政府は最高裁に、事態が逼迫しているので早急に口頭弁論を開くように要請していた経緯がある。そして6月30日に判決が下された。

■ 最高裁、「学生ローン返済免除政策」は違法と判断

 最高裁は、ブラウン裁判に関して「原告に当事者の適格性(standing)を欠く」と棄却した。すなわち原告になる条件は、具体的な被害や損害を被った事実が存在することが必要であるが、最高裁は原告に具体的な被害や損害は認められないと判断したのである。

 6州の州政府が訴えた裁判では、2つの事柄が問題となった。ひとつは「6つの州政府に当事者の適格性があるのかどうか」、もうひとつは「教育省の学生ローン返済免除は同省の法的権限を越えるものか、あるいは判断基準を必要としない裁量的(arbitrary)なものか、法的基準や十分な法的根拠がない(capricious)ものか」である。要するに、学生ローン返済免除は政府の法的な権限を越え、「大統領令」によって教育長官に学生ローン免除の権限を与えるのは違法だという主張である。さらに、原告は、政府の政策は最終的な権限を持つ議会を迂回したもので、憲法にも州法にも違法であると主張した。議会は政府に債務救済政策を実施する権限を与えていないとも主張した。

 さらに原告は、HEROES法が求める、借り手がコロナ感染拡大のなかで資金状況が悪化したという具体的な証拠もないと主張した。最高裁は、原告の主張を全面的に認め、政府は議会の明確な承認なしで、経済に大きな影響を及ぼす政策を採用することはできないという主張を受け入れた。評決は保守派の判事6名とリベラル派の判事3名と割れたが、最高裁は学生ローン返済免除を“違法”と判断したのである。

 判決の内容をもう少し詳しく見てみる。まず当事者適格の問題に関して、判決では「少なくともミズリー州には教育長官を訴える資格はある」と指摘している。「少なくとも」とは奇妙な表現である。6州が原告であるにも拘わらず、ミズリー州だけが原告としての資格があると判断したのである。言い換えれば、他の5州には当事者としての適格性がないことを意味する。当事者適格性は、具体的な被害を被ったかどうかである。ミズリー州政府は非営利団体MOHELA(Missouri Higher Education Loan Authority)を通して奨学金を提供しており、ローン返済が免除されれば損失を被ることになるため、当事者適格の条件を満たすというのが最高裁の判断の根拠であった。ロバーツ主席判事は判決文の中で「教育省の免除計画はMOHELAの収入を減らし、同州の大学生に対する援助努力を損なうことになる」と書いている。

 もうひとつ争点は、「1965年教育法(the Higher Education Act of1965)」は、教育省がローンを免除できるのは、借り手が“永続的かつ完全に障害者”になった場合か、破産した場合であると規定している。「教育法」による減免の対象者は極めて限定的なのに、教育省は「教育法」ではなく、HEROES法によって“全ての”借り手に対して、総額4300憶ドルのローンを免除することができるのかどうかであった。HEROES法には「ローンの借り手が戦争や軍事的作戦、あるいは国家的な危機に関連して金融的な困難に遭遇した場合、教育長官はローン返済を免除できる」と規定されている。今回の学生ローン返済免除が、その規定に該当するかどうかも争われた。要するにコロナ感染拡大は“国家危機”に該当するのかどうかが争点となった。教育省はHEROES法に基づく返済免除の権限はあると主張したが、最高裁は「HEROS法は教育省に債務免除の権限を与えていない」とし、“違法”とした。

 奇妙なのは、学生ローン返済免除の「必要性」と「緊急性」は議論の埒外に置かれたことだ。それどころか、救済に必要な「学生ローンの借り手の具体的に資金的な窮状」は証明されていないと判断されたのである。

■ リベラル派のケーガン判事は「反対意見」で何をかたったのか

 エレナ・ケーガン判事は最高裁の判決に対する「反対意見」を書いている。判事は、最高裁判決は「法解釈よりも政治を優先したものである」と、保守派判事たちの“政治的な意図”に基づいて判断したと糾弾している。

 ケーガン判事は「憲法第3章によれば、原告は政府の決定に異議申し立てを行うには当事者としての適格な資格を持っていなければならない。すなわち個人的な利害関係、事実としての損害を被っていることが必要である。私たちは、政策に反対するからと言って原告が訴訟を起こすことを認めてはならない。6州は教育長官の援助プルグラムに対する個人的な利害関係を持っていない。彼らは古典的なイデオロギー的な原告にすぎない。最高裁は政治的紛争、政策的紛争の調停者のごとく行動している」と、6州の州政府は原告としての適格性に欠けていると批判している。多数派が支持したミズリー州の当事者の適格性に疑問を呈した。

 さらに「権力分立の制度のもとでは、政策に関する判断は議会と大統領によって行われるべきである」とし、「最高裁は国の政策の調停者、実際には決定者になってしまっている。最高裁は議会や政府に取って替わって国の政策を策定する結果になる。それは最高裁の適切な役割ではない。民主主義の秩序にとって危険である」と、最高裁が権限を越えて判断を下したと批判した。

 ただ、議会での予算審議を経ずに、バイデン大統領が大統領令で決めた方法にも問題であった。とはいえ、下院は共和党が多数を占めており、法案を提出しても成立する見込みはなかった。そうした政治状況での学生ローン返済に苦しむ人を救済するための窮余の策であった。

 保守派の論理も紹介しておく。共和党のマッカーシー下院議長は「アメリカ人の87%は学生ローンを抱えていない。税金を使って13%の人の奨学金の返済免除を行うのは不公平である。今回の最高裁判決で、税金を払わなくて済む」と、富裕層の立場を代弁している。もともと富裕層の子供たちは奨学金を必要としない。彼らには高学歴と高所得が保障されている。低所得、中所得層の子供たちが大学に進学し、最低限の生活を確保するために奨学金が必要なのである。しかも卒業後、返済に窮する状況が起こっており、自己責任を理由に放置することはできない。

 保守派の最高裁判事は保守派の意向を汲み、ケーガン判事が指摘するように極めてイデオロギー的かつ政治的な判断に基づいて判決をくだしたことは間違いない。実はトランプ前大統領も2020年3月にHEROES法を発動して、学生ローン返済猶予とゼロ金利政策を実施している。保守派はトランプ前大統領の政策を支持しながら、同じような政策を打ち出したバイデン大統領に反対するという矛盾した態度を取っている。バイデン大統領に反対するという政治的意図が背景にあるのは間違いない。

■ バイデン大統領が検討する「B案」

 返済免除が認められなかったら何が起こるのだろうか。ジャーナリストのペート・コイ氏は『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄稿した記事の中で「最高裁の判決が法的に正しいか、間違っているか分からない。ただ、分かっていることは、多くの返済遅延と破産が起こるということだ。多くの借り手は返済するお金を持っていない。石から血液を絞りとることはできない」と書いている(2023年6月30日、「The Sheer Pain Coming from the Student Debt Decision」)。最高裁の決定は、現実に巨額の債務を抱え、返済ができない多くの人々を見放すことになる。消費者金融保護局は「学生ローンの借り手のうち5人に1人は、現在、猶予されている返済が始まれば、苦しい状況に置かれる」と指摘している。

 バイデン大統領にとっても、学生ローン返済免除は大きな選挙公約である。最高裁判決が出たからと言って後退はできない。来年、大統領選挙が控えているだけに、なおさらである。最高裁判決を受け、バイデン大統領は「今日の最高裁判決でひとつの道は塞がれてしまった。現在、他の道を模索している。この道は健全な道で、最善の道であると信じている。皆さんが学生ローン返済免除を得られるように利用できるあらゆる手段を講じるつもりだ」と語っている。バイデン政権は「プランB」を模索しているが、新しい道を見つけだすことができるのだろうか。

■ 奨学金制度がアメリカを豊かにした

 なぜ学生ローン返済免除が重要なのかを知るにためには、アメリカの奨学金制度を知る必要がある。

 バイデン大統領が指摘しているように、大学教育は中産階級を育て、社会の発展の原動力となった。戦後のアメリカの経済発展は大学進学率の上昇によってもたらされた。大学を卒業した若者の多くはホワイトカラーとなり、住宅購入や自動車、テレビなどの耐久消費財の旺盛な需要を支えた。そうした大学教育の大衆化を実現したのが、連邦政府の奨学金制度であった。1944年に成立した「GIビル(復員軍人援護法)」によって若い復員軍人に奨学金が給付された。同法は56年に廃止されるが、同奨学金を得て約220万人の復員軍事が大学に進学し、560万人が職業訓練を受ける機会を与えられた。

 さらに連邦議会は65年に「教育法」を成立させ、新たな低所得者層向けの給付奨学金制度が導入された。この制度は80年にグレンボーン・ペル上院議員の名前を取って「ペル奨学金」と呼ばれるようになり、アメリカの奨学金制度の支柱となった。

 もともと連邦政府の奨学金は給付奨学金が中心であったが、次第に貸与型奨学金が増え、1990年代後半に給付型奨学金と貸与型奨学金の比率が逆転している。2021年度で見ると、連邦政府は合計で1305億ドルの奨学金を提供しているが、給付奨学金は365億ドル、貸与奨学金は820憶ドルであった。給付奨学金のペル奨学金は、全体の奨学金の15%に過ぎない。これに対して連邦政府の貸与奨学金は25%を占めるまでに増えている。

 貸与奨学金の金利は22年12月段階で5%から7・5%で、決して低くはない。学生ローンの92%は連邦政府のローンだが、連邦政府の奨学金を得られない学生は民間の学生ローンを借りるしかない。その場合、家族の与信状況によって異なるが、金利は3%から13%である。卒業後、元金返済と利払いが多くの人にとって大きな負担になっている。

■ 年間1000万円を超える授業料の大学も

 アメリカは学歴社会である。学歴による階級格差は歴然と存在している。大卒の資格がなければ中産階級の生活を手に入れることはできない。高卒や大学中退者には、低賃金の肉体労働の仕事しかない。だがアメリカの大学の授業料は高い。最も授業料が高いのは、カリフォルニア州にあるハーベイ・マッド大学で、22年度の授業料と寮費や諸手数料を含めた総額は7万7339ドルに達している。日本円に換算すれば年間1000万円以上である。

 大学の業界団体カレッジ・ボードの調査『Trends in College Pricing and Student Aid 2022』では、22年入学の平均授業料は4年制の公立大学で、州外の居住者の子供の場合、授業料、寮費、教材費などを含めた総額は4万0550ドル(約580万円)である。4年制の私立大学で掛かる平均経費は5万0343ドル(約720万円)である。

 アメリカの家族の19年の所得の中央値は6万8703ドルである。家計の所得は、この30年間、ほとんど増えていない。所得格差は拡大しており、中産階級の家庭でも子供を私立大学はいうに及ばず、公立大学へ進学させるのも極めて難しい状況にある。1980年以降、大学の授業料は約3倍上昇しており、家計の負担は大きくなっている。

 多くの学生にとって奨学金なしに大学に進学することは難しい。筆者がアメリカの大学で教えているとき、偶然知り合った日系人の学生は「家が貧しくて、奨学金がなければ大学に進学できなかった。大学を卒業したら医学部に進学したいが、奨学金を貰えるのでなんとかなる」と語っていた。筆者が英字月刊誌の編集長をしていたとき、アメリカ人のスタッフがいた。彼は帰国後、法科大学院を卒業して、政府の仕事に就いたが、給料が安くて、奨学金が返済できないと言っていたのを思い出す。

■ 多様な奨学金制度が存在するアメリカ

 アメリカでは高額の授業料を補填するために様々な奨学金制度が整備されている。先に指摘したハーベイ・マッド大学では学生の70%が様々な給付型の奨学金を得たり、学生ローンを借りたり、あるいは学内で仕事を与えられ所得を得ている。同校の場合、22年度で給付奨学金は全経費の26%を占めている。

 連邦政府や州政府などの公的機関による奨学金に加え、大学や様々な基金や団体による給付奨学金も数多く存在している。4年制私立大学の学生の88%は公的機関から何らかの給付型奨学金を得ている。カレッジ・ボード調べでは、学生が得ている奨学金の平均額は1万5330ドルで、その内訳は連邦政府の給付奨学金が1万0590ドル、貸与奨学金が3780ドル、その他が960ドルである。

 2021年度に学生が借りた学生ローン総額は947憶ドルに達している。21年に卒業した大学生の54%が平均2万9100ドルの債務を抱えている。高収入が得られる仕事に就くなら問題はないが、多くの人にとって学生ローン返済は大きな負担になる。

■ 1・7兆ドルを越える学生ローン残高

 2022年9月時点の学生ローン残高は、連邦政府と民間の学生ローンを合わせて約1兆7500万ドルに達している。残高の92%は政府の学生ローンである。最近時点で学生ローン債務を抱えている人は4500万人以上に達している。年齢別に見ると、25歳から34歳の債務残高は5000憶ドル、35歳から49歳の債務者は6220憶ドル、50歳から61歳では2810憶ドルの債務を抱えている。債務の24%が50歳以上の高齢層が保有している。奨学金債務は若者の問題ではない。70代になった年金生活者が依然として奨学金返済を迫られている現実がある。バイデン大統領は、「長年誠実に返済してきたのだから、もう返済を免除しましょう」と語っているが、その背景には、そうした事情がある。

 高齢者の債務残高が多いことは、大学卒業後、40年以上経っても債務を完済できない層が多く存在していることを意味している。その結果、返済遅延や破産件数が増加し、社会問題となっている。債務者の約12%が返済遅延し、5%が90日以上の利払い遅延か債務不履行に陥っている。その30%以上が高齢者である。

 学生ローンを借りた学生の約31%が大学を中退している。こうした層は学位もなく、返済するための十分な所得を稼ぐこともできないため、常に潜在的な債務不履行者となっている。2022年11月に調査会社モーニング・コンサルトが行った調査で、連邦政府の学生ローン債務を抱えている人に返済を返済する資金に困ったことがあるかと問うたところ、66%が「ある」と答えている。奨学金返済問題の深刻さは、想像以上に深刻なのである。

■ アメリカの問題と日本の問題

 日本の奨学金は貸与型が主流である。岸田首相は給付型奨学金を増やす方針を明らかにしている。だがアメリカでは給付型奨学金は主流ではあるが、減少傾向にある。財政的な厳しさから連邦政府も州政府も予算削減に閉まられている。前述のように現在では、貸与型奨学金が給付型奨学金を上回っている。公的な奨学金でも高い金利が付く。それ以上に大きな問題は、授業料の急激な上昇である。平均所得の家計ですら、子供を大学に進学させるのは容易ではない現実がある。アメリカでは大学の授業料をいかに抑制するかが大きな問題となっている。あるいは「大学は授業料に見合う教育を提供しているのか」が問われている。

 日本の場合、アメリカほど大学の授業料は高くはないが、授業料は無料か、極めて低いドイツや北欧と比べれば、安いとはいえない。それに奨学金制度は極めて貧弱である。所得が上昇しない中で、奨学金返済負担で生活が破綻する人が増えるなど、アメリカと同様な問題も起こっている。

 日本の問題は教育予算が少なすぎることだ。経済協力開発機構(OECD)によれば、国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合(2019年時点)は、日本は2・8%と加盟37か国中36位だった。OECD平均は4・1%で、最も高かったのはノルウェーの6・4%である。大学などの高等教育を受ける学生の私費負担の割合は、日本は67%でOECD平均の31%を大きく上回っている。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

中岡望の最近の記事