Yahoo!ニュース

あなたは家族を「駆除」できますか? 映画『ジ・アニマル・キングダム』(2023)

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
体も心も動物化していき、森を求めるようになる

ある日、人間がどんどん動物化していく。ウイルスに感染して、あなたの周りの人が牛や馬や犬や鳥やカメレオンや狼になっていく。私たちは彼らとどう付き合っていくべきだろうか?

当然、「共存」の道を探るべきだろう。

今は動物でも、もともとあなたの親や子や友だちなのだから。

しかし、だ。

コミュニケーションはどんどん難しくなっていく。動物化するに従って彼らは人間の言葉を失っていく。彼らはあなたを理解できず、あなたも彼らの鳴き声や咆哮を理解できない。文字は読めなくなり書けなくなる。運動能力も失う。例えば、自転車の乗り方を忘れる。

つまり、人間と動物とを区別している、あなたを人間たらしめているすべてのものを彼らはいずれ失う。病気が進行するにつれ、姿形も人間から半獣半人へ、さらに完全に獣へと変わっていく

行動も動物らしくなる。生肉を食べたがり、家に居たがらず、規則正しい生活を好まず、人間のルールを嫌い、森での自由を求める。

■共存か? 隔離か? 駆除か?

そこで、もう一度質問する。

姿形も行動も獣になった元人間と、あなたは共存できますか? 野生動物になった元家族と、あなたはどこで、どうやって、一緒に生活していくのか? 共存のために教育(調教)するという手もあるが、サーカスや動物園の動物は果たして幸せだろうか?

映画『ジ・アニマル・キングダム』が突き付けるのは、こういうリアルな問いである。

自然との共存とか動物との共存とかは概念としては机上の論理としては美しいが、現実には難しい。

そこで、「共存」に代わって「隔離」という選択肢が出てくる。

主人公の父(右)の妻は動物化し行方不明になっている
主人公の父(右)の妻は動物化し行方不明になっている

動物たちは、病気になった人間である。感染の可能性があり治療や療養のために隔離は必要だから、この選択肢には抵抗がない

ただ、いずれ病院がパンクしてしまう。だって、治療後の引き取り先がないのだから。

動物化が進んだ人間を元の姿に戻す方法はない。よって、病気の進行を止めることが医療の目的となるのだが、半獣半人との共同生活が極めて困難なのは、すでに述べた通り。

手に負えなくなった家族は「退院」ではなく「入院の継続」を希望することになる。

■人間は街で、動物は森で

とはいえ、動物であるからこそ拘束を嫌う。治療名目でベッドに縛り付けておくことには“人権上の問題”もある。動物は森へ逃げようとし、家族にも病院にも彼らを引き留めておく理由はない。

となると、おそらく「動物に自由を!」などのスローガンの下、動物を野に放とうとするムーブメントも出てくるだろう。

動物は森で暮らすのが一番幸せである。ならば、なぜ人間がそれを妨害する必要がある?

動物化した人間を野に放つのは禁止。警察官の彼女はもちろん理解しているが……
動物化した人間を野に放つのは禁止。警察官の彼女はもちろん理解しているが……

人間は街で、動物は森で。別々の場所で、別々に生きていく。が、この解決策も最終的なものではない。なぜなら、自然を破壊する必要がある人間と、棲み処を追われる動物は遅かれ早かれ衝突せざるを得ないからだ。

野に放たれた動物化した人間たちは、エサが取れない。半獣半人の彼らの動物としての機能は完全ではなく、また親からも狩りの教育を受けていないから。だから畑を荒らしたり、家畜を襲ったり、ゴミを漁ったり、店や家に盗みに入ったりすることになる。

となると当然「駆除」に乗り出す人たちもいるだろう。動物愛護の精神からすれば好ましくないが、生活を脅かされる側からすれば、野生化した元人間たちは迷惑でしかない。自警団のようなものができて、罠を仕掛け狩りに出掛けるようになる。

ここにきて、人間たちと元人間たちは完全に対立する。

■問題提起が似ている2作

『ジ・アニマル・キングダム』は、モンスター化した元人間との共存は可能か?を問う点で、いくつかの過去作と似ている。

マギーのポスター
マギーのポスター

例えば『マギー』

娘がゾンビになってしまった。「共存」は当初は可能だが、病気が進行するとともに「隔離」を選択せざるを得ず、さらに、命の危険が及ぶに至って「駆除」が現実的な解決策になっていく。でも、可愛い娘を殺すなんてことはできない……。

この作品ではアーノルド・シュワルツェネッガーのキャリア最高の演技が見られる。

※2015年の作品で動画配信サービスで視聴可能。予告編は検索するといくらでも出てくる

例えば『CURED キュアード』

ゾンビ病にワクチンが発見され、治療を終えた元ゾンビたちの社会復帰を描いている。この作品が突き付けてくるのは、“あなたの父親を殺した元ゾンビの弟に、あなたは自宅の扉を開くことができるか?”である。

※この作品の評は↓

「待たれる日本公開『The Cured』。ゾンビ“健康保菌者”の社会復帰はどうあるべきなのか?」

※公式サイトはこちら

『ジ・アニマル・キングダム』にしても、『マギー』にしても、『CURED キュアード』にしても、他人事であれば「駆除でいいんじゃない」とお気楽に言える。

だが、あなたが直面する現実とは、家族や身内がそうなったらどうするか、なのだ。

※写真提供はシッチェス映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事