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目標は「優勝、大関復帰、横綱昇進」 賜杯目前で負傷、悔し涙流した高安が明かす胸中、家族への感謝

飯塚さきスポーツライター
「結果を出し恩返ししたい」と語る高安(写真:筆者撮影)

人気・実力十分の高安。2022年は先の九州場所を含め3度優勝争いに絡み、場所を大いに盛り上げた。最後まで単独トップだった九州場所では、本割で阿炎に惜敗、貴景勝を交えた巴戦に臨んだが、阿炎戦の立ち合いの衝撃で首を負傷。引き上げる花道で悔し涙を見せた。

そんな高安にインタビューを実施。ケガによる大関陥落から、復帰の路を辿り、賜杯にあと一歩のところまできた。彼はいま何を思い、2023年にどんな未来を託すのか。胸中を語る。

思わずあふれた悔し涙 巴戦を振り返る

――東前頭筆頭で迎えた九州場所。どういう状態で入りましたか。

「精力的に稽古して体を仕上げていましたが、伊勢ヶ濱部屋に出稽古に行ったときに足をケガしてしまいました。ただ、10月はたくさん稽古できたので、逆にオーバーワークにならずに体をしっかり休めて調整できました」

――初日の若隆景戦は、前に攻める素晴らしい相撲でした。最後少し足が痛そうでしたが。

「取っているなかで足にストレスがかかって少し痛めてしまったんですが、前に出て勝てたのでとても自信になり、初日からいいスタートが切れました。自分でも、自信に満ち溢れた安定感のある相撲が取れたと思いますね」

――連日、立ち合いのかちあげが効いていました。

「体がよくなるにつれて、立ち合いの当たりも力強さが戻ってきましたから、安定感のある攻めの相撲が取れたと思います。幕内下位に陥落してからかちあげがあまり効かず、本来の立ち合いがうまくできないなか、辛抱してコツコツと積み上げてきました。9月場所終盤からようやくしっくりくるようになりましたので、11月も序盤からかちあげで攻める相撲を取っていこうと、そういう気持ちで15日間戦いました」

――関取は長時間の取組に強いイメージもありますが、九州場所は長い取組がありませんでした。

「(取組が)長くなることは、調子が上向いていない証拠。短時間で勝負をつける相撲に変えていかないといけないと思っています。長く取れば疲弊しますし、相手に攻める隙を与えますから、いいことないんです。まずは、短時間で理詰めの厳しい攻めをすること。それを目指した上で、長くなってしまった相撲でもしっかりと勝ちを拾うことは大事ですが、今回は長い相撲がなかったのでよかったと思います」

――千秋楽まで単独トップでした。優勝の意識はありましたか。

「場所前から、千秋楽まで優勝争いに絡んで場所を面白くすると目標を掲げていましたので、口には出しませんでしたが、もちろん優勝は狙っていました」

――本割の阿炎戦では緊張されていたのでしょうか。

「緊張ではなく、慎重になってしまいました。ぐいぐい前に出ればよかったのに、相手の動きを見ながら対応しようとしてしまったんです。横の動きやはたき、いろんな動きがある力士なので、盤石に勝ちたい、相手をよく見て相撲を取ろうという気持ちが出てしまって、攻めっ気がなくなりましたね」

首に電気が…それでも「次、いきます」と

――その後、貴景勝関を含んだ巴戦に臨んだときの心境は。

「2番連続勝ちに行く気持ちで土俵に上がりました。しかし、自分と相手の立ち合いのタイミングによって、当たったときに首に電気が走って、一時的に動けなくなってしまったんです。でも、しょうがないですね、僕の選択ミスですから」

――関取に勝利した阿炎関が、その後貴景勝関を破って優勝を果たしたわけですが、あのときもし貴景勝関が阿炎関に勝っていたら、関取はもう一度土俵に上がれたのでしょうか。

「全力で勝ちにいこうと思っていました。あそこは引けないですね。体の状態としてはまったく問題なかったですし、どんな状況でもあそこは引けません。死んでも行っていたと思います」

――昨年1月、土俵上で脳振とうを起こした力士の対応を巡って議論が起こり、審判団が危険と判断した場合は本人の意思にかかわらず取り直しの一番に出場させないなど、協会の規定が変わりました。今回の巴戦でも、花道で呼出しさんが「不戦勝」の垂れ幕を準備されていたようです。高安関は、こうした流れについて競技者側の視点からどうお考えですか。

「亡くなった方がいますからね(昨年3月の春場所、土俵上で頭を打った三段目の響龍さんが、その約1か月後に逝去した)。相撲には所作があり、礼に始まり礼に終わりますから、そういう面ではほかの格闘技と比べて判断が難しいと思います。ましてや当人は負けたくないのに、それで負けにされてしまうのは悔しいですから。しかし、制度が変わったので、審判部の親方衆の冷静な判断が必要なのではないでしょうか。今回、僕は脳振とうではなく首に電気が走った。もし脊髄に損傷があれば動けないので相撲は取れなかったと思いますが、動けたし歩けました。審判部長にも、呼出しさんを通して状況を聞かれたので『次、行けます』と返答しました。世間では、あれは危ないと騒がれましたが、僕としては正しい判断だったと思います。それよりも、自分がああいう相撲を取ったのが悪いんです」

――引き上げる花道では、悔しさが涙になってこみ上げました。

「本割でも決定戦でも出し切れなかったので、やっぱり悔しい気持ちが強かったですね…。でも、すぐに切り替えてその日のうちに整理しましたので、気持ちは前を向いていました。終わってしまったものはもう取り戻せないので。全体を振り返ると、上位戦だった序盤からとても内容のいい相撲が取れて、そこで星をどんどん上げることができたのは、中盤・終盤に向けても自信になりました」

苦悩の2年間、期待に応えたい一心で再起

――2022年は計3度、優勝争いに絡みました。ご自身での1年の総括はいかがでしょうか。

「ケガをして番付を下げてから、精神的にも肉体的にもしんどい時期が2年間ありました。2020年から2021年の末まで、自分のイメージと実際の相撲がかけ離れてしまい、以前のような力強い相撲が取れなくなっていたんです。でも、未来を信じてコツコツ、ストイックにやってきた結果、今年は本当に頑張ってきてよかったなと思える、そういう1年でした」

九州場所では、連日自信にあふれる相撲を取った高安(写真:毎日新聞社/アフロ)
九州場所では、連日自信にあふれる相撲を取った高安(写真:毎日新聞社/アフロ)

――苦しい時期を乗り越えられた原動力はなんでしたか。

「たくさんありますけれども、一番は家族です。結婚後に大関から陥落し、平幕の下のほうまで落ちました。でも、結婚して弱くなったと言われたくなかったし、子どもの物心がつくときまで強いお相撲さんでいたいっていう気持ちがありました。下に落ちても応援してくれるファンや後援会の方は、自分がまた戻れるのを信じてくれていました。すべての方の気持ちに応えたい一心で辛抱して、稽古・トレーニング・治療に励んできました」

――ご家族の支えは大きな励みになったのですね。

「家では、自分がリラックスできるような環境を妻が作ってくれています。僕も子どもの世話はするんですが、なるべく負担にならないようにしてくれているので、本当に感謝しています。僕の残り少ない相撲人生、精一杯頑張ると妻に伝えていますので、その気持ちに応えてくれている妻に本当に感謝です」

――2023年の2月で33歳。ベテランとして、どんな意識の変化がありますか。

「新入幕、大関昇進、そして大関陥落と、節目で心の持ち方が変わってきていますが、いまが一番ストイックだと思います。やっぱり大関から落ちたときが一番の変わるきっかけになりました。若いときは勢いで相撲に取り組んでいましたが、落ちたのは自分の怠慢ですから、自分を変えないといけないと思ってここまでやってきました。来年こそ優勝を目指し、6場所全部優勝争いができるようにやっていく、そういう目標があります。15日間ありますので、初日から千秋楽まで自分の力をコンスタントに発揮できるように、勝ち負けに一喜一憂しないで淡々とやりたいですね」

――一喜一憂しない、そういった精神面の安定も、経験と共に身についているのですね。

「感情的にならず、勝因や敗因をしっかり消化して、コンスタントに自分の相撲を取っていく。そういうモチベーションでいます。負けて投げやりになったり落ち込んだりすることはないですね。勝っても舞い上がらない、調子に乗らない。そういう考えで15日間取ることができています」

ベテランの域になり「いまが一番ストイック」と語る高安(写真:筆者撮影)
ベテランの域になり「いまが一番ストイック」と語る高安(写真:筆者撮影)

出稽古の解禁も後押し、「最高の1年にしたい」

――関取は、解禁になった出稽古に精力的でした。巡業の稽古も含め、その成果はありましたか。

「とても大きかったと感じています。出稽古ができない期間も自分なりに工夫してやっていましたが、やっぱり関取と稽古できるのが一番力になりますから、対応していただいた協会の方々に感謝しています」

――佐渡ヶ嶽部屋の秀ノ山親方(元大関・琴奨菊)が、高安関はほかの部屋の若い衆にももっているすべての知識を教えてくれると言って絶賛していました。その意図はなんでしょうか。

「どの部屋にもなかなか壁を破れない若い衆がいて、相撲の取り口や稽古内容、基礎のやり方を見ていたら気づく点はたくさんありますから、つきっきりで教えたいくらいです(笑)。お相撲さんはみんな、人生かけて頑張っています。家族も地元で応援してくれる人もたくさんいて、関取になったらその人たちに恩返しできるんですから、何かをきっかけにして上に上がってきてほしいっていう、誰に対してもそういう思いです。相撲は相手があることですが、少しでも結果につながればいいなという気持ちでコツを教えています」

――関取のお人柄がよく表れたエピソードですね。出稽古で気になる力士はいましたか。

「霧馬山かな。自分の稽古にもすごく応えて、何番も取ってくれるし、いい相撲取りますよね。強くなると思います。うちの一門にもたくさん強い関取がいて、どんどん番付を上げてくるんでしょうけど、まだまだ負けたくないですね」

――再度波に乗っているいま。この流れで迎える2023年が楽しみです。最後に、目標をお聞かせください。

「優勝、大関復帰、横綱昇進。この3つがいまの僕の目標です。精一杯やって結果を出します。家族に対しても、結果を出すことが一番の恩返しです。2022年は優勝はできなかったけど、精一杯やっていることはわかってくれたと思います。最高の年にしたい。そして、悔いのない最高の相撲人生にしたいですね」

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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