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元大関・貴景勝の湊川親方ロングインタビュー 悔いなき土俵人生「大関の地位を汚したくなかった」【前編】

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
引退後、筆者のインタビューに初めて応えていただいた湊川親方(写真:筆者撮影)

先の大相撲9月場所を最後に、惜しまれながら土俵を去った元大関・貴景勝。誰よりもひたむきに相撲と向き合ってきた人生だった。大きな区切りを迎え、戦わなくなった男の柔和な表情に胸を打たれる。年寄・湊川を襲名し、親方としての業務に当たるいま、あらためて話を伺った前後編のロングインタビュー。前編では、現在の心境や親方としての業務、先輩親方衆との交流などについてお話しいただく。

突然の引退も「悔いはまったくない」

――現役生活、まずは本当にお疲れ様でした。あらためて、引退の背景と心境を教えていただけますか。

「最初に体力がなくなって、気力もなくなって。気持ちで相撲を取っていたので、その気持ちがなくなったらプロとしてダメだなという思いで、スパッと決めました。横綱になりたかった思いはありますが、土俵人生に悔いが残ったかというとそれはまったくなくて、横綱になる気力と体力がなくなるときが引き際だと思っていたところに、実際にそうなったから辞めたということです。横綱になる夢を果たせなかったことへの心残りはありますが、辞めたことに対する後悔はまったくありません」

――現在28歳。若くしてもったいないという声もありますが、ご自身にとっては年齢の問題ではなかったわけですよね。

「はい、僕は年齢で相撲を取っていたわけではないので、引き際だと思った以上は、たとえ20歳であろうが35歳であろうが、そう思ったときに辞めようと思っていました。ただ、横綱を目指していたから大関も頑張ってやってこられたし、大関でいいやと思うことは一度もなかった。だからこそ、大関から落ちて続ける意味はもうなかったかなというふうに思います」

――多くの親方衆が、貴景勝関は現在の地位に満足することなく上を目指しているのが相撲を見ていてよくわかるとおっしゃっていました。そういった自負はありましたよね。

「大関は、務めようと思って務まるほど甘い番付ではありませんでした。自分が心がけていたのは、とにかくこれまでの歴代の大関の先輩たちの顔に泥を塗らないようにすること。大関は強いんだというのを、世間の皆さんに証明してきた先輩たちから受け継いだこの地位を、汚してはいけない。自分が強い相撲を取れば、歴代の先輩大関たちも強かったんだと思ってもらえるので、その使命感がとてもありました」

――土俵人生で最も思い出深いのはどんなことですか。

「関取になったとき、大関に上がったとき、優勝したときと、節目はいろいろありますが、やっぱり一番心に残っているのは、序ノ口で土俵に上がった新弟子のとき。まさに九州場所でした。宿舎が田川市という、場所から遠いところにあったので、朝3時半に起きて少し体を動かした後、5時には宿舎を出て7時前に場所に着いていました。そのときの不安や恐怖、夢に向かっていく楽しみ、はたまた初めて幕内力士を目の前にしたときの絶望感。いろんな感情が渦巻いた最初の九州場所が、一番の思い出です。家族が見に来てくれて、相撲が終わった後、外のベンチでほんの5分くらいしか話せなかったんですが、夢をつかんでいくぞ、頑張ろうと話したのが、いまでもずーっと忘れられないですね。小さい頃から相撲をやってきて、ケガしたら何もなくなるという恐怖と、必ず関取に上がらなきゃいけない自分への課題。あのときの感情は、もう一生ないのかなって」

中学生時代の貴景勝(写真左)。アマチュア相撲から小さな体で戦ってきた
中学生時代の貴景勝(写真左)。アマチュア相撲から小さな体で戦ってきた写真:アフロスポーツ

――神送りの儀で初めて幕内力士を見て、間違ったところに来てしまったと思ったと、以前インタビューでもお話してくださいましたね。

「本当に。筋肉はすごいし体は大きいし、ドスーンと響く四股とか、アップでのいっちょ押しの迫力とか、何もかもがアマチュア選手とは違っていて、体が小さい自分は本当にやっていけるのかなって、とんでもない衝撃を受けました。でも、そこで自分は相当頑張らないといけないと心を入れ替えられたのがよかったですね。自分はアマチュアである程度成績を残してきていたので、この感じで頑張ればいけるだろうと中途半端に思ったままだったら、いまの自分はなかったと思います」

「本当は喋りたかった」 先輩親方との交流を楽しむいま

――引退後、現在は湊川親方として指導に当たられています。生活の変化は。

「最初は座って見ていようと思っていたんですが、まわしを締めないのがやっぱりちょっと気持ち悪くて、運動をする・しないにかかわらず、いつもまわしを締めて指導しています。胸もたまに出します。気持ちの面では、後悔はまったくないけど寂しさがあって。いままで2ヵ月に1回生きるか死ぬかの戦いをしていたのがなくなって、現役って本当に素晴らしいなってあらためて思いますね。今回、こうして本場所の警備をしているときに、自分が戦うことはもう二度とないんだなと思いながら見ています」

――相撲を取らずに見ているのは、まだ変な感じですか。

「いえ、もう相撲を取ることがないっていうのは自分でも理解していて、変な感じではないんですが、花道は1ヵ月半前までいた場所なので、力士の緊張した顔や呼吸を横で見て、ああ自分もこうだったなって。いまは警備の仕事をしっかりしなきゃいけないんですけど、そんなふうに思って見ていますね」

現役時代は常に緊張感と隣り合わせ。どの一瞬も真剣に相撲と向き合ってきた
現役時代は常に緊張感と隣り合わせ。どの一瞬も真剣に相撲と向き合ってきた写真:長田洋平/アフロスポーツ

――警備を含め、親方の職務には慣れてきましたか。警備室では、皆さん和気あいあいとお話しされていますね。

「はい、毎日先輩の親方衆に勉強させていただいています。喋りかけていただいてありがたい限りです。現役のときは大栄翔関と唯一喋るだけで、全然喋らなかったのでね。本当はみんなと仲良くしたかったんですよ。喋りかけたいなと思うことは何十回もあったんですけど、それだとどうしても情が出てしまう。気持ちで取っていた身としては、闘争心が薄れたら一気に力が出なくなる、勝負に影響すると思って、話すことはできませんでした。いま、例えば千田川親方(元幕内・德勝龍)が優勝されたときの最後の一番の相手が僕だったので、あの一番の裏側というか、僕はとにかく思いっきりいこうと思ったとか、いまだから話せることをたくさん話していて、そのあたりが引退してガラッと変わりましたね。新たな気づきがたくさんあってとても楽しいです」

――世間話も楽しそうですし、今後は親方として横のつながりがむしろ大切になってきそうですね。

「本当にそうですね。こうしたコミュニケーションを大切にして、少しずつ先輩方に教えていただけたらなと思っています」

後編へ続く

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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