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同日に引退発表した元関脇・妙義龍×碧山の対談が実現 切磋琢磨した二人の大相撲の思い出と引退発表秘話

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
元関脇・妙義龍の振分親方(写真左)と元関脇・碧山の岩友親方(写真:筆者撮影)

大相撲9月場所終了後、9月24日に引退を発表した、元関脇・妙義龍と碧山。それぞれ振分、岩友を襲名した。同い年で同期の二人は、新入幕も同時。奇しくも引退まで同じ日になった。同じ出羽海一門の力士として切磋琢磨してきたお二人に、あらためてこれまでの土俵人生や交流を振り返っていただく。(※本稿ではわかりやすいように四股名で表記します)

碧山の引退は妙義龍にとって寝耳に水?

――お二人とも、現役生活本当にお疲れ様でございました。引退発表が同日でしたね。

妙義龍 実は、発表する前日に、ダニエル(碧山の本名)に電話したんですよ。

碧山 そう。挨拶の電話をくれて、お疲れ様でしたって。電話をくれたのはうれしかったけど、寂しかったですね。話している間に、巡業や稽古のこと、お互いケガを乗り越えてきたこと、本当に頑張ってきたなって、でも限界だよな、と思いました。電話しながら涙が出てきて、隣にいた奥さんが「泣いてるの?」って。それで次の日、師匠とも話して、自分も引退を決めて宮本(妙義龍の本名)に電話しました。

妙義龍 その日、何回も電話していたんです。俺、いま発表したわ、とか。そうしたら、またダニエルからかかってきて、「実は僕も発表しました。お世話になりました」って。自分、ニュースも何も見ていなかったので、いやいや嘘。そういうのいいからって(笑)。

――たしかに、発表はたった数時間の差でした。引退を決めた理由は。

碧山 私はもともと、十両から落ちるようなら辞めますというのを師匠とも話して決めていました。寂しい気持ちはありますけれど、悔いはないですね。やり切ったと思っています。

妙義龍 一番は、自分のイメージしている相撲が取れなくなってきたこと。悔いを残さないように全力で稽古してきたので、自分も悔いはないです。ただ、中学から親元を離れて、人生に常に相撲があった。稽古も食事も体づくりも、生活はすべて本場所の土俵のためにあったので、それがなくなって変な感じはあります。

――まだ引退して数週間ですが、生活は変わりましたか。

碧山 自分が稽古していないというだけで、まだ胸を出しているので、まだ生活は一緒ですね。朝も同じ時間に起きています。

妙義龍 変わったといえば服装が変わりました。いままでは着物か浴衣でしたからね。初めて(スーツ姿を)見て、どうですか?

スーツに革靴が「まだ慣れない」と言うお二人。しかし、お似合いです(写真:筆者撮影)
スーツに革靴が「まだ慣れない」と言うお二人。しかし、お似合いです(写真:筆者撮影)

――新鮮です。一方で、引退を実感せざるを得ない、寂しい感じがします。

碧山 自分でも見慣れないから、街でちょっと鏡とかガラスがあったらすぐ自分のことを見ちゃう。大丈夫かな、変じゃないかなって。いままでそんなこと一回もなかったのに。

いまだから聞ける互いの攻略法とは

――お二人のこれまでの交流についてもお聞かせください。

妙義龍 新弟子検査も一緒で、新入幕も一緒。場所数も一緒。一門も一緒やから、正月の稽古総見とか、大阪場所は宿舎が近いので毎年出稽古に行くとか、交流は多くありましたね。

碧山 しかも、妙義龍関は一回ケガして幕下に落ちて、次の再十両のときが私の新十両と一緒だったんですよ。

妙義龍 あ、そうなんや。(2005年の)名古屋?

碧山 はい。対戦もして、私は負けています。

妙義龍 その場所と次の9月、俺どっちも勝って、優勝もしたんや。

――お二人のこれまでの対戦成績も調べてまいりました。ご存じですか?

妙義龍 15対15くらいじゃないですか?

――惜しいです。妙義龍関の16勝15敗です。

妙義龍 おお。不戦勝があったんかな。

碧山 いや、不戦はないです。それは覚えています。

昨年9月場所初日の対戦。妙義龍が碧山を寄り切り、この一番で対戦成績が15-15となった(写真:筆者撮影)
昨年9月場所初日の対戦。妙義龍が碧山を寄り切り、この一番で対戦成績が15-15となった(写真:筆者撮影)

――ほぼ五分の勝負だったお二人。いまだから聞ける、互いの攻略法も教えてください。どうしたら妙義龍関を、碧山関を倒せますか?

妙義龍 突っ張りって、本来大きな動きじゃないですか。でも、碧山関は巨体を生かした小さな突っ張りが得意で、僕はそれが嫌やったんです。それをまともに受けないように先に攻め込むか、少しずらして相撲を取るか。負けるときは、ずらし切れずに押し出されるとか、引き足が速いので土俵際ではたかれるとか、それで何番も負けたと思います。それがなかったら25対6くらいやった(笑)。実は、本当は負けていたのに勝ちになった取組もあるんですよ。映像で見ると、僕がはたかれて先に手をついていた。

碧山 そのとき、私はその写真を送りました。これでいいの?って(笑)。

妙義龍 まあとにかく、190kgくらいの巨体が突進してくるわけですから、それを受けるのも大変やし、立ち合い勝負という感じでしたね。

碧山 私からしたら、スピードがとても速い関取ですから、はっきり言って一番相撲を取りたくない相手でした。対戦相手とは必ずストレートに目を合わせるんですが、彼とは目を合わせられなかった。相撲がうまくて、すぐ中に入ってきますから、どうやって入らせないようにするかをずっと考えていました。でも、中に入れないようにと思って自分から強く当たると、いなしてくる。それでバランスを崩せば、そこで中に入ってくる。押しとおっつけが、重いしうまい。そして足の運びが速い。攻める時間がすぐなくなって、気がついたら土俵の外にいる。よくはたかれたって言われましたけど、こっちもよくはたかれた。最後の相撲も、はたき込みで私が負けています。

妙義龍 はたきが決まらず押し出されるっていうのも、ままあります。

碧山 お互いの相撲をわかっているから、一つ間違えばお互いにチャンスです。

――稽古もよくしたとおっしゃっていました。巡業や出稽古での思い出は。

碧山 これ、本当に聞いてほしいんですけど、二人ともケガしてどんどん番付が落ちちゃったとき、巡業で私はずっと「稽古しましょう」と言い続けました。何年もそう言って稽古し続けたら、二人ともまた三役に戻ったんです。

妙義龍 冬の巡業とか、朝寒くて寝転がっているじゃないですか。来るんですよ、「稽古しよう」って。嫌や、って言って。初めはしぶしぶ土俵に上がっていたんですけど、そこから毎日やりだして。現役を最後ちょっと長いことできたのは、本当にその影響があったからです。

碧山 私だけ一人で稽古に行くのは嫌だったから、いつも声をかけました。でも、ダニエルのおかげで成績がよくなったってそのときも言ってもらって、うれしかったですよ。

妙義龍 本当にそう思っています。あの巡業の誘いがなかったら、もうちょっと引退は早かったんじゃないかなと。それが6年ほど前のことです。

共通の趣味は釣り プライベートでの交流も

――現在すっかり仲良しのお二人ですが、お互いの第一印象は。

碧山 新弟子検査のとき、たまたま隣同士で立っていて、俺のことめちゃくちゃ睨みつけていたんだよね。

妙義龍 自分は大学チャンピオンで入ってきたんですが、彼のことはまったく知らなくて、坊主ででかくて見るからに怖くて、どこの国から来たかもわからんし、誰やねんコイツと。

碧山 その後部屋に帰って、みんなが相撲の雑誌を見ていて、宮本のことをチャンピオンって言っていたから、ああさっき隣で睨まれた人だってわかったんです。

妙義龍 お互いに認め合ったというか、ほんまに仲良くなったのはここ7、8年くらいですかね。

現役時代からプライベートでも交流があったという二人(写真:碧山関提供)
現役時代からプライベートでも交流があったという二人(写真:碧山関提供)

――そうでしたか。プライベートでの交流は。

妙義龍 ありますよ。この間はモスバーガー行ったね。

碧山 あと、二人とも釣りが趣味なんですけど、「今度一緒に行こう」って言って、8年間まだ一回も誘ってもらってないです。これ絶対言おうと思ってた。

妙義龍 誘う、誘う!(笑)

――どんなお魚を釣るんですか。

妙義龍 千葉とか東京湾に行くんですが、スズキやアジ、カサゴ、太刀魚とか。10月はイナダやブリも。夏はタコとか。いろんなの釣れるんです。特に東京は一番魚がいます。

――ぜひ近々誘って差し上げてください(笑)。では最後に、今後の指導者としての展望は。

妙義龍 引退したばかりでまだ何をしたらいいかわからないんですが、師匠も部屋付き親方もいる部屋にいるので、親方としての勉強を一から学びながら、部屋の力士たちに自分がやってきていいと思ったものを伝えていけたらと思います。

碧山 私も同じです。私が引退して、栃大海がまた十両に上がれたので、さらにまた次の関取を出せるように、厳しいところは厳しくして教えていきたいです。自分に負けないで頑張らないと、番付は上がっていかないからね。

妙義龍 協会の仕事はまだこれからですが、協会への恩返しと思って、これからやっていきたいです。

碧山 九州場所は警備だね。二人が東と西(の花道)だったら面白いね。

協会ジャンパーを着て記念撮影。長い現役生活、本当にお疲れ様でした。これからは親方として、角界を支えていってください(写真:碧山関提供)
協会ジャンパーを着て記念撮影。長い現役生活、本当にお疲れ様でした。これからは親方として、角界を支えていってください(写真:碧山関提供)

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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