日本の統治機構を解体に向かわせるのは誰か
今年の通常国会を安倍総理は「働き方国会」と命名し、「成果主義」を基調とする米国型の雇用慣行を導入しようとしたが、裁量労働を巡る厚労省データに「捏造」が見つかり先行きに暗雲が生じた。
するといったん収まったかに見えた「森友疑惑」が再燃する。森友学園への国有地売却を巡る決裁文書が「改竄」されていたことを朝日新聞がスクープし、「改竄」前の資料が財務省から出てきた。
「改竄」をやらされた職員は自殺し、「改竄」を命じたとみられる佐川国税庁長官は辞任したが、役所が決裁文書を「改竄」するのは前代未聞で「ありえない話」である。2011年に施行された公文書管理法4条で行政機関は意思決定に至る過程を文書に残さなければならない。だが財務省はその部分を削除していた。
佐川前国税庁長官は国会に証人喚問されたが、「刑事訴追の恐れがある」ことを理由に55回も証言を拒否した。一体誰のために何のために決裁文書を「改竄」したかについて疑惑は残ったままだ。
するとまた「加計疑惑」も再燃する。加計学園の獣医学部新設を巡り2015年4月に愛媛県と今治市が総理官邸で総理秘書官と面会していた文書が愛媛県と農水省から出てきた。安倍総理が国会で2017年1月まで加計学園の獣医学部新設計画を知らなかったとする答弁を覆す文書である。
面会した当時の柳瀬総理秘書官は「記憶にない」を連発し、そのため来週の国会に喚問されることになった。柳瀬氏は現在経産省ナンバー2として安倍政権を支える要職にあるが、財務省と経産省の中枢が相次いで国会に喚問される事態は日本の統治機構がまともに機能していないことを物語る。
財務省の前身である大蔵省と経産省の前身である通産省は戦後の日本経済を牽引した輝かしい歴史を持つ。敗戦で焼け野原になった日本を繁栄に導き、高度経済成長によって世界一格差の少ない経済大国を作り上げたのは大蔵省と通産省の力である。それが今や信じられない醜態をさらしている。
一体何がそうさせるのか、私の体験をもとに私なりの考えを述べる。私はレーガン政権時代から日米経済摩擦を取材してきたが、それが最も激しくなったのはクリントン政権の時だ。ソ連崩壊後に「唯一の超大国」の大統領に就任したクリントンは米国の経済再生を政権の中心課題に据えた。
そのためクリントンは世界一の金貸し国となった「日本経済の強さ」を徹底的に分析し、一面ではそれを真似し、もう一面ではそれを解体しようとした。真似したのは国民皆保険制度である。しかし国民全員を医療保険の適用対象とすることに「小さな政府」を志向する米国民は反発した。
日本と違い社会保障を「悪」と考える米国で日本の真似は受け入れられず、米民主党は後に一部修正して「オバマ・ケア」として実現するが、トランプ大統領はそれをまた否定する動きを見せている。日米国民の考え方の違いはそれほどに大きいのである。
一方で米国が解体しようとしたのは官僚主導の統制経済構造だった。日本では最も遅れた企業が落伍しないよう官僚機構が業界全体を監督指導する護送船団方式が採用されていた。それは市場原理主義の米国とは異なる。
宮沢政権から始まる「年次改革要望書」で米国は日本に構造転換を迫ってきた。そして極めつけはクリントン大統領が「大蔵省、通産省、赤門は日本の三悪」と宣言したことだった。
つまり米国の敵は、徴税権を持ち、予算配分によって国の方向を決め、日本経済の血管に当たる金融機関を監督する大蔵省と、輸出主導型の貿易政策を主導し、民間企業を監督指導する通産省と、そして霞が関に人材を送り込む東京大学であると名指ししたのである。
同時に米国から「政官業の癒着はけしからん」としきりに批判された。日本の資本主義は国家主導の資本主義で異質というわけだ。ソ連が崩壊し米国が「唯一の超大国」になった直後だけに米国の主張には説得力があり、私なども「日本には改革が必要」と考えた。
日米構造協議に関わった法務官僚の中にも「改革派」が生まれ、それが裁判員制度など米国を真似た仕組みを導入する。ところが法務省の特別な機関で捜査権限を持つ検察の中には「官庁の中の官庁」として「聖域」扱いされてきた大蔵省に切り込むチャンスと捉える動きが出てきた。
検察が大蔵省のキャリア官僚を逮捕したのは戦後すぐの昭電事件だけで、しかも逮捕された福田赳夫氏は裁判で無罪になった。特捜部は何が何でもキャリア官僚を逮捕する方針を固め、金融機関の接待が多かった30代の課長補佐を「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待汚職事件の容疑者として逮捕した。
「ノーパンしゃぶしゃぶ」といういかがわしい接待は世間の関心を集め、逮捕で国民は大いに留飲を下げたが、しかし司法記者歴の長い朝日新聞の村山治氏や産経新聞の石塚健司氏の著作を読むと、事件はでっち上げで逮捕された大蔵官僚は「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」など受けてはいなかった。にもかかわらず大蔵省のキャリア官僚は有罪判決を受けた。
そして大蔵省は財務省と金融庁に分離され、国家の司令塔としての役割や機能を大いに減じられる。通産省も輸出主導型の貿易政策を進めることが出来なくなり、かつて豊富な人材を擁し戦後日本の牽引役を務めた面影は失われた。「大蔵省、通産省、赤門」を「日本の三悪」と名指しした米大統領の解体工作は成功したのである。
私も当時は「政官業の癒着」を批判した一人だが、米国を取材すると米国の「政官業」も密接に連携している。主要官僚は政治任用だから政治と一体である。また政権交代があれば主要官僚もクビになるから民間に天下りして次の政権交代を待つ。官僚は「回転ドア」と言って民間と役所の間を行ったり来たりする。
日本の「政官業」が「癒着」と批判されるのは政権交代がないからではないかと私は思う。政権交代がスムーズに行われる政治であれば緊張感が生まれるので「腐敗」は起こりにくい。長期単独政権は「腐敗」を生む。ところが日本は米国に言われるまま「米国の敵」を自分たちで足を引っ張り、大蔵省と通産省を死に追いやったのである。
それから20年が経ち、今度は通産省の後身である経産省が安倍総理を担ぎ上げ、アベノミクスなる「異形」の経済政策で大蔵省の後身である財務省に対抗した。「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」をでっち上げられ力を削がれた財務省だが、それでも国税庁という脱税摘発の強制権力と予算配分を通してその後の政権にも影響力を及ぼしてきた。
ところが安倍政権はスタートから財務省を無視する形で経産省主導の人事配置を行った。政権の司令塔は経産省出身の今井秘書官であり、財務省の財政健全化路線とは真逆の考えを持つ人々が周囲を固めて「アベノミクス」が打ち出された。これほど財務省が政権に影響力を持てなくなったのはかつてなかったことだと思う。
それが「森友問題」で財務省が総理夫妻の機嫌を損ねないようにした背景にあると私は想像する。だから安倍総理が「関係があれば総理大臣も国会議員も辞める」と発言した時、必死に「関係がない」ことを主張して総理を守る姿勢を見せ、それが「改竄」につながった。
ところが安倍総理の全否定は逆効果となって問題は収束しない。すると官邸も与党も財務省を「悪者」に仕立てて逃げ切りを図る構図が見えてきた。大阪地検の捜査が安倍総理やその周辺に及ぶとは考えられず、逮捕者は出なくとも財務省を防波堤にする構図である。
「週刊新潮」が報じた福田財務事務次官のセクハラ問題もそれを補強する一環で、ついには財務省の力の源泉である国税庁を財務省から分離する案も囁かれ出した。更迭されると見られた福田次官が官邸や与党の期待を裏切り、疑惑を否定した背景にはそうした構図に対する抵抗があるのかもしれない。
しかし一方で安倍総理を担ぎ上げて官邸を牛耳った経産省にもダメージがないとは言えない。安倍政権と運命を共にするしかない経産省にも逆風が吹き始めた。すり寄って「蜜月」を演出したトランプ大統領は秋の中間選挙に暗雲が立ち込め、それを跳ね返すため日中との貿易戦争を仕掛けてきた。この戦争を処理できなければ経産省の評価は地に落ちる。
1990年代に戦後日本の経済繁栄を牽引した大蔵省と通産省を殺したのは米大統領の「大蔵省、通産省、赤門は日本の三悪」という言葉だったと私は思っている。そして20年後に財務省と経産省は再び死に至る病に陥ろうとしている。
こちらは安倍夫妻の近しい関係から生まれた「森友・加計疑惑」がそうさせる。日本の統治機構はこうして二度目の死を迎えるのである。