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「競技人生のハイライトに」小松原美里&ティム・コレトが滑った“和”のプログラムへの想い

沢田聡子ライター
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「このプログラム『SAYURI』は、自分たちの競技人生のハイライトになるのではないかと思っている作品です。映画の中でも、水は石を貫くし、何かせき止められても自分の道を作るという強いメッセージがあるので、それを皆さんと共有したいし、自分の力にしたいと思います」(小松原美里)

11月13日、国立代々木競技場第一体育館(東京)で行われたフィギュアスケート・NHK杯のアイスダンス・フリーダンスで小松原美里&ティム・コレトが滑ったのは、映画『SAYURI』の曲を使う和のプログラムだった。苦しい状況の中自分を磨き、花街一の芸者に成長する少女を描く映画に込められたメッセージを観客に届けたい――それが、夫婦でもある二人の思いだ。

日本をテーマにしたプログラムを滑りたいと考えたのは、昨季のNHK杯を前にした時期にティムが日本国籍を取得しており、今季が初めての日本人カップルとして迎えるシーズンだったからだという。『SAYURI』は、念願の五輪日本代表となる資格を手にした小松原組がオリンピックシーズンに用意した、特別なプログラムなのだ。

『SAYURI』については、歌舞伎役者である片岡孝太郎さんの指導を受け、手の振り付けなどに工夫をこらしてきた。

「孝太郎さんはアイディアが豊富で、新しいことも取り込むすごく勉強熱心な方。浮世絵の手の形、枯葉や芽吹きの手の表現をやっていただいたり、『スケートアメリカの時、最後の表情が苦しそうだったけど、なんでそうなったの?』って聞いてくださったり。孝太郎さんに助けていただいて、難しいことを簡単にしてくださっています」(美里)

フリーダンスの前にも、二人は孝太郎さんに指導を受けた動画を見て備えたという。

フリーダンス本番を迎え、水色と白を基調にした着物風の衣装を身につけてティムとともにスタート位置に着いた美里は、凛としたまなざしで演技を開始する。過去のプログラム『ある愛の詩』でもそうだったが、小松原組の滑りにはにじみ出る情緒がある。この日の『SAYURI』も、哀切な曲の盛り上がりと彼らのスケーティングがあいまって、観る者の心を打つものになった。それは、美里の脳震とうやティムの日本国籍取得など、数々の苦難を超えてきた彼らの人生も投影されたプログラムだからだろう。

フリーダンスの得点は、自己ベストを更新する104.07。直後に滑った村元哉中&髙橋大輔に更新されたものの、その時点では日本歴代最高得点となるスコアだった。

演技後に涙を見せた美里は、リモート取材でその理由を説明した。

「演技が終わるまでは絶対にプロフェッショナルとして、応援してくれている方のために滑るという気持ちで今日は来ました。それができたと思ったので、ほっとしてたくさんの感情があふれ出てしまった」

「この大会は、自分の人生の中でプレッシャーが一番高い」とティムが言うように、北京五輪代表の一枠を競う村元&髙橋も出場するNHK杯は、小松原組にとり大きな重圧を伴う試合だった。

そして、彼らが抱えていたのは重圧だけではなかった。ビザの問題で拠点であるカナダに入ることが叶わず、ティムの実家があるアメリカ・コロラドスプリングズで練習をしていたのだ。コーチとのやり取りは、zoomに頼るしかない。ティムは「モントリオールの先生に会えない状態では、自分の心が壊れてしまいます」と悲痛な言葉を口にしている。

「本当に、何故今一緒に練習できないのか、自分の人生の中で一番大切な時間で…二人とも頑張っているから、自分たちに自信を持ちながら…でもやっぱり辛いところです」

また美里は、フリーダンス後に初めて、肘の靭帯を損傷していることを明かしている(そのため、出場を予定していたワルシャワ杯を欠場)。しかし、そんな中での戦いに、彼らは光を見出していた。

「今日は自己ベストを出せた、とてもいいことだと思います」(ティム)

「(リズムダンス・フリーダンスの)二つともこの緊張感の中で自己ベストが出せたというのは、ものすごく将来自信につながると思います」(美里)

後日、美里はインスタグラムで、検査の結果肘の骨には問題がなかったことを報告し、前進し続ける決意を綴っている。

「凛とした演技を皆様の前で披露出来るよう頑張りますので、また引き続きどうぞ宜しくお願い致します」

水は、石を貫く。小松原組は、自分たちの道を作る。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。2022年北京五輪を現地取材。

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