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アーティスティックスイミング日本代表が3年間泳ぎ続けた傑作「チェス」 新ルールに対応しつつ貫いた美学

沢田聡子ライター
(写真:ロイター/アフロ)

パリ五輪のアーティスティックスイミング(以下AS)・チームのフリールーティン(以下FR)で日本代表が泳いだのは、「チェス」をテーマにしたルーティンだった。東京五輪が終わってからパリ五輪までの3年間、日本代表が新ルールに翻弄されながらも泳ぎ続け、最後まで芸術面での可能性を示したのがFR「チェス」だった。

2021年に行われた東京五輪後、新生AS日本代表は新たにヘッドコーチ(以下HC)に就任した中島貴子氏の下でスタートを切る。最初に臨んだ大きな国際大会だった2022年世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)で披露した「チェス」は、鮮烈な印象を与えた。帆足圭吾氏が作曲したゲーム音楽『美シキ歌』などを使用するモダンで勢いのあるルーティンを、選手達は生き生きとした表情で泳ぎ切り、銅メダルを獲得している。

「チェス」の振付は、中島HCと振付家のKAORIalive氏が担当している。以前から関係者の中ではルーティンを振り付けるセンスに定評があったという中島HCが、KAORIalive氏を招聘した。パリ五輪を一か月後に控え、今年の7月7日に行われた公開練習で、中島HCはその経緯を説明した。

「KAORIaliveさんは、全然知り合いでもなかったのですが、直接ご連絡して。本当は相手もしてもらえないぐらいのすごい方だと思うのですが、気持ちが伝わったのか、会って下さって。みんなの練習風景を見て、『一緒に頑張ろう』って。(中島氏がHCに就任した)初年度、最初の(世界選手権)ブダペスト(大会)から一緒にやってきて下さった先生で、今もずっといろんな部分でお声がけをして下さっている」(中島HC)

KAORIalive氏に依頼した理由を問われた中島HCは、次のように答えている。

「KAORIaliveさんの、豊かな創造力。テーマがただ一つのものを表現するだけじゃなくて、人の心を動かして…戦争など結構重いテーマが多いのですが、本当に世界中が考えるべきテーマを打ち出す先生なので、そこに心を打たれて。もちろんテーマを考えるだけじゃなくて、人を動かす。一人だけじゃなくてチーム全体を動かす目を持っているので、すごい先生に出会えてよかったなと思います」(中島HC)

2023年に行われたルールの大幅な改正は、ASを根底から変えた。それでも、2023年7月に福岡で行われた世界選手権で「チェス」を泳いだ日本代表は、チームFRの銀メダルを獲得。芸術点では優勝した中国を上回り、新ルール下でも高い評価を得た。当時ジャンパーを務めていた栁澤明希の、高さと鋭さのある跳躍が今も印象に残る。

世界選手権福岡大会のFR決勝後、主将の吉田萌は、ミックスゾーンで次のように語った。

「最後の方は『自分達の結果にもチェックメイトする』というふうに決めている振り付けもあるので、気に入っているプログラムです」(吉田)

2024年2月にドーハで行われた世界選手権でも、日本はFRで銀メダルをとった。チームのパリ五輪出場枠獲得をかけて臨んだこの大会で、日本はアクロバティックルーティンで7位と出遅れている。そこから銅メダルを獲得して巻き返したTRに続き、「チェス」で日本の力を示してFRの銀メダルを獲得、最終的にはパリ五輪出場枠を勝ち取った。

そしてパリ五輪のチームでは、日本はTR3位につけてFRに臨んだ。パリでの「チェス」は、新たな陸上動作から始まった。冒頭のリフトでは和田彩未が美しい姿勢を保って高く上がり、ジャンパーを務めた佐藤友花も生き生きと跳躍した。リフトの一つがベースマーク(最低難易率)と判定されFR6位となったのは痛恨の極みだが、芸術点では銅メダリストとなるスペインを上回った。

テレビ放送で解説を務めていた武田美保氏によれば、パリ五輪では、演技をスピーディにみせるために原曲のテンポを上げていたという。新ルール下で得点を上げる工夫もしつつ、表現も追求する中島HCの美学がこめられていたのが「チェス」だった。

パリ五輪のチームは、総合5位という結果だった。中島HCと選手たちの思いが詰まった「チェス」は、観た者の記憶にこれからも残り続ける。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。2022年北京五輪を現地取材。

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