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日産のゴーンと西川を「鬼平犯科帳の盗賊団」と言う理由

井上久男経済ジャーナリスト
ゴーン前会長は、自分を追い詰めた西川社長の事実上の解任をどう受け止めているのか(写真:ロイター/アフロ)

 昨日、筆者は本欄で「ひとりの元幹部の死から考えた、日産の『本当の病巣』」を執筆・発信した。その中で、カルロス・ゴーンが率いた日産自動車が、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』に出てくる「盗賊団」のような会社に変貌したということを書いた。その点についてもう少し詳しく解説しよう。これを読めば、「西川よりもゴーンの方がましだった」とか、「ゴーンは国策捜査ではめられた」といった議論がナンセンスに思う読者もいるだろう。

 ゴーンはいま、刑事被告人であるが、裁判は推定無罪であるし、起訴事実について審判を下すのは裁判所である。「盗賊」と表現したのは小説から引用したあくまでたとえであり、ゴーンや西川廣人社長が凶悪犯であるという事実はない。本稿の狙いは、報酬を不正にかさ上げしたことによる西川の事実上の解任を受けて、日産という世界的企業の組織風土を論評することにある。

「盗賊」を隠すための慈善

『鬼平犯科帳』の中に、土蜘蛛の金五郎という盗賊が出てくる。「急ぎ働き(人を殺傷して金品を強奪すること)」の盗賊の親玉だが、表の顔を隠すために盗んだ金を原資に、ふだんは、貧しい人に破格の値段で食事を提供する飯屋を経営している。

 鬼平こと、現在の警視総監に当たる火付盗賊改め方長官の長谷川平蔵は、この世知辛い時代に安い飯を提供することに疑念を抱き、定食屋の正体を見破る。鬼平は、この「急ぎ働き」の盗賊を憎み、自らの刀で切り倒すことが多い。一方で、同じ盗賊でも、人を殺さず、貧しい者から奪わず、悪どい商人宅に内通者を置いて時間をかけて盗む親玉を「本格のお頭」と呼び、時には理解者となり、自分の協力者にしてしまうことがある。

 ゴーンは日産の中で、「土蜘蛛の金五郎」のような存在だった。要は、「急ぎ働き」の親玉だが、いいこともすれば、悪いこともする、という意味である。

リストラで狙われた日本人

 ゴーンは1999年に来日して、経営破綻寸前の日産を救ったことは事実である。ゴーンがしがらみのない改革を指揮していなければ、日産はおそらく倒産していただろう。この点は、ゴーンの最大の功績と言える。

 しかし、ゴーンは巨大自動車企業を持続的に成長させる経営手腕を持っていたかというと、並みかそれ以下だったと言わざるを得ない。利益を出し続けるために、人員削減と下請けなどへの無理なコスト削減を続けてきたに過ぎない。

 特に人員削減の手法は悪辣だった。コスト削減の目標を達成しないと、事実上の指名解雇をしていた。ごく普通の社員でも、少しおとなしく社内でアピール力が弱い日本人が狙われた。筆者は、なぜこの人が辞めさせられるのか、という人を何人か見てきた。

 その一方でゴーンに忠誠を誓ったルノーから日産への出向者の中には、役員でもないのに、月の家賃が200万円もするような高級マンションに住まわせるなど破格の福利厚生を与えられた者もいた。出向なのに、給料もルノーではなく、日産が支払っていた。こうした人を一人受け入れるだけで、日産は5000万円から1億円程度の総労務費を負担していたと言われる。

「急ぎ働き」では持続的成長はできない

 これでは「『急ぎ働き』の盗賊」が、弱い人から手っ取り早く盗み、手下どもと盗み金を分かち合うのと同じではないか。西川氏が高級住宅を求めたことが社内規定に反する不正な報酬かさ上げにつながったが、こうした役員でもない外国人出向者の贅沢ぶりを見て、自分はもっと職位が上なのだから、好条件の福利厚生を要求してもいいと思ったのではないか。出鱈目な組織風土が西川氏の感覚を麻痺させたと筆者は見ている。

 自動車会社は「仕込み」が重要だ。人材を丁寧に育て、技術を仕込み、それを商品に反映させ、ブランドを世界の市場に浸透させて初めて収益を得ることができる。稲作で、耕し、種をまき、丁寧に育てやっと刈り取ることができるのと同じだ。

 ひとつのクルマを完成させるには4~5年かかると言われる。開発、生産、購買、営業など会社の各機能がチームワークを発揮して成果を得られる。手っ取り早く、外部から技術を買い、優秀な人材をヘッドハントし、業績が落ち始めると、リストラするだけでは持続的な成長は望めない。「急ぎ働き」では、駄目だということだ。

 ゴーンが経営トップとして在任した約20年間で、営業利益率が最も高かったのは2004年3月期決算だ。その頃が、ゴーンの経営者としてのピークで、それ以降は、経営目標で掲げた数値を達成できず、言い訳と部下への責任転嫁で逃げ切ることが多かった。

 日産におけるゴーン経営は大きく3つのフェーズに分けてみると、その変貌が分かりやすいと筆者は考える。99年から04年までの「改革期」。ここではゴーンは自分の名誉のためにも、日産のためにも真剣に汗水たらした。

晩節を汚したゴーン

 続いて、05年から11年までの「躓き期」。ルノーのCEOを兼任し、さらに大きな権力を掌中に入れたが、ゴーンの手法が通じなくなり、必達目標も未達。07年3月期決算で来日以来初の減益となり、コスト削減のためには極寒の栃木工場の暖房を止めるなど無謀なコスト削減を続けた。しかし、08年のリーマンショックと11年の東日本大震災では、ゴーン流のリストラが威力を発揮し、他社に比べて業績の落ち込みが少なかった。こうしたことにより、ゴーンの経営者としての衰えが糊塗された一面がある。

 そして第3フェーズが12年から逮捕に至るまでの「私物化期」。会社のカネで取得した世界各地の豪華邸宅を、意図的に連結を外した関連会社で保有するなど内規違反の経費流用が目立つようになった。ゴーンを擁護する人の中には「ゴーンさんくらいの世界的な経営者なら邸宅を世界各地に持っていてもおかしくない」ともっともらしく言う人がいるが、租税回避地にペーパーカンパニーを設けて豪華住宅を保有すること自体がいかがわしい。経営面でも、新興国への無謀な投資と無謀な規模拡大戦略が始まった。

 筆者は07年まではゴーン経営を讃えることが多かったが、それ以降は批判することが多く、記者会見で「晩節を汚していませんか」とゴーン氏本人に質したことがある。

「レバシリ」には気を付けろ

 西川の肩を持つわけではないが、現在、日産が収益を大きく落とし、経営情勢が悪いのは、新興国へ無謀な投資をしたことで新車開発へ資金が回らず、売れ筋商品が底をついているからだ。18年前後が台数と収益を稼げる商品投入がボトムの状態だ。しかも、チープな車を造ってきたので、値引きしないと売れない状況にある。前述したが、車の開発には4~5年かかる。12年以降に新車開発が疎かになれば、ボディーブローのように時間を経て経営には効いてくる。

 はっきり言うが、ゴーンはこうしたことも計算ずくで西川に社長のバトンを渡したと筆者は見ている。西川が社長に就任したのは17年。賢いゴーンは、これから業績が落ちるのを見越して、いざとなれば責任は西川に押し付ければいいと考えたわけだ。

 ビジネスの世界では「レバシリには気を付けろ」と格言めいて言われることがある。その意味は、レバノンやシリア出身の商人は巧みでずる賢いから気を付けろということだ。レバノンやシリアがある地域はかつて海賊が支配する地域でもあった。ゴーンはレバノン出身である。こうした地域性や民族性がビジネス運営の特徴に現れることは多々ある。断っておくが、筆者には国や民族を蔑む意図はない。

所詮同じ穴のムジナ

「盗賊」の話に戻るが、貧乏人に飯をふるまう「土蜘蛛の金五郎」は所詮、盗賊。人を殺めて奪った金で慈善の行いをすることが許されるはずがない。ゴーンの日産経営者としての後半部分は、「盗賊」のように、社員や部品メーカーなどから「収奪」するだけで、日産の真の企業価値を高めることを怠った。

 西川は「土蜘蛛の金五郎」の有能な手下に過ぎない。「盗賊」の一味だ。『鬼平犯科帳』でも盗賊の仲間割れがある。「『急ぎ働き』は許せない」とかなんとか言って、仲間と結託して親玉を亡き者にして自分が取って代わるが、自分も「急ぎ働き」に手を染め、結局、お縄になってしまうストーリーだ。

 西川が、男気からゴーンを追い出した、すなわち取締役会で解任動議を出してゴーンを追い詰めて取って代わり、その後、西川自身の不正が発覚したのであれば、まだ許せるが、ゴーンが怖くてそれができず、結局、検察の力を借りたと言われている。しかし、自分も取締役会で早期の辞任を促され、「お縄」になってしまった。ゴーン逮捕、西川解任という一連のごたごたは、まるで鬼平の世界の「盗賊」たちを見ているようだ。

                                                       (敬称略)

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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